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【南イタリア】大晦日の交通機関はチェックが必要だ?

海外の大晦日の交通事情には、
注意が必要ですね。

昔、今から25年くらい前。
私はイタリアを旅してました。

目的は、偶然写真で見た
イタリアの海岸町アマルフィに行く、
ただそれだけ。
 
いや、更には、
その隣り町ポジターノに
行くことも目的の一つ。
当時愛読していた宮本輝の小説の 
舞台だったから。

宮本輝がポジターノに
実際に訪れたのか、 
見事な海岸町だからという理由で
舞台に選んだのかは分からない。

いや、それよりも、
私はアマルフィで25年前、
素晴らしい体験と、
とんでもない体験をしたんです。

アマルフィは田舎です。
少なくとも当時はまだ、
バルには目つきのウロンな老人たちが
集まっては、
私みたいなアジア人のヨソ者を
いぶかるような目で迎えていた。

前日、ローマに着き、
翌朝、電車でナポリに急行で。 
さらに、ソレントまで各停で。
そこから海岸沿いを縫うように
バスが走っていました。
まあ、ジブリが描きそうな
崖の上のジグザグ道を、
バスのドライバーが、
見事な運転さばきで走り抜ける。
何度も、神様仏様どうか
バスが落ちませんように、
と両手を合わせて祈りました(汗)。

アマルフィのバス停で、
ほうほうのていで、
私はバスを下りました。

さあて。
まずは深呼吸。
アマルフィは海岸町です。
見下ろすと、
海辺は、赤や黄色や青のペンキ?に
塗られた家並はまるで宝石箱みたい。

さっそく降りて行こう。
でも、海辺からはかなり離れた
標高の高いバス停でした。
バス停の真ん前には、
バル、バールがありました。
カフェの一種です。

本当は、
ここで帰りのバスの切符を買い、
ついでに、今日の最終の戻りの
バスの時間を聞いておくべきでした。
でも、聡明ではない私は
最終のバスの時間は聞かず、
アマルフィで一番オススメの
レストランはどこかと、
大声で訊ねました(笑)。
男たちは、しばし無言、、、。
店内は、しーんとなりました。

いきなり来たアジア人の青年が
なんかいってるぞ?!的な空気。

すると、その沈黙をさっと破って
一人の中年女性が、
私に近づいてきました。
どうも私をオススメの店に
案内してくれようとしているらしい。

後から気づいたのですが、
アマルフィのような
漁師町には、
英語がわかるイタリア人は
あまりいなかったんです。
あの時、その女性だけが、
そのバルで英語を解せた
唯一の人だったのでしょう。

私は彼女に連れられ、
峠のバルから
真下の海辺にまで運んでくれる
小さなバスに乗りました。

そうして、
当たり前のように
海の真ん前のレストランに
連れていってくれました、
というか、私と一緒に彼女も
店内に入ってきました。

その女性はサンドラさんという。
私の拙い英語で話すうちに、
彼女はアマルフィに暮らす
代々続くセレブであるらしいことが
わかってきました。
親は外交官、
祖父はプラダのデザイナー、
などなど。

そんなサンドラさんが
店員にチョイスしたパスタも
サラダもサイドメニューも
どれもこれも、美味しかった。
たしか、トコブシのトマト煮は
今も忘れられない味でした。

まあ、漁師町。
眼の前で採れた海の幸が
うまくないはずがありません。

また、彼女がチョイスしたワインも
実に美味しかったですが、
銘柄はもう忘れてしまった。
アマルフィ名産の
レモンのお酒も美味しかった。

ああ、満足。

サンドラさんから、
「今夜はどこに行く予定か?」
聞かれたので、
「予定はない」と答えたら、
サンドラさんは、
うちに泊まればいいと
いってくれた。

ニューイヤーイブズパーティ?
でもするのですか?と聞いたら、
サンドラさんも
特にホームパーティを開く予定は
ないらしい。

私は、そこで急に背中を
恐怖が走りぬけました。
私は部屋に着いた途端に
手足を縛られ、自由を失い、
女王さまの鞭さばきに
悲鳴を挙げてしまうのではないか?
まだ25?26?歳の私は
バカバカしい妄想が豊か過ぎました。

結局、サンドラさんが
急に怖くなった私は、
ちょっとトイレに行くと告げ、
ダッシュでレストランをとび出した(汗)。

この時、時刻はすでに3時過ぎ。
また、来た道を登りつめて
峠のバス停に戻って、
ソレントに帰ろう。

ただただ、歩き続けて、
バス停が視界に入った時、
ちょうどバスが出発していきました。

あの次のバスに乗ろう。
そんな気楽な気持ちで
バス停で待つことにしました。

これが致命的でした。
あれが、さっき私が見たあのバスが
今日最後のバスだったと知ったのは
もう少し後のことでした。

イタリア南部の地域では、
地域にもよりますが、
大晦日は、午前中や遅い午後で
公的な交通機関は
休みになることが多い。
地域にもよりますが。

つまり、私はアマルフィのバス停で
来る予定もないバスを
待ち続けるかっこうだったのです。

通行人にそう教わった私は
眼の前が真っ暗になりました。

マジか?
マジか?マジか?!マジか?!

ここはなんとしても帰るぞ!
そう決意した私は、
午後4時のアマルフィのバス停で
ひたすらヒッチハイクの
指出しアピールをしていきました。

15分に1台は車がやって来る。
なんとかなるんじゃないか?

でも、その考えも甘かった。
だんだん夕暮れになる。
車の来る数も減りだした。

ああ、これなら、
サンドラさんの家についていって
鞭に打たれてる方がマシだった(汗)。

だんだん真っ暗に。

車もめったに来ない。
そりゃそうです。
大晦日。晩ごはん。
大事な人と過ごす大事な時刻です。
そんな時刻に、
山の峠に、見慣れぬアジア人が
一人でつったって、
ヒッチハイクしている、、、、
怪しい、超〜怪しい。
怪しい以外のなにものでもない。

4時から始めたヒッチハイク。
誰も止まってくれなかった。
みんな、車の中で、
ケーキやらチキンやら、
大切そうに抱えたイタリア人が
キャッキャ言いながら
通り過ぎて行く。
それがまた、みんな、一瞬だけ、
道ばたで私を見て変な感じになる。

車はまたどれも満員だった。
私を乗せる余裕はなさそうだった。

とはいえ、私もこのまま
峠で夜を明かす訳にはいかない。

ああ、どうしようか?
と嘆いていたら、
なんと、1台、小さな車が
止まってくれました。

運転席は、お父さんだろう。
愉快そうなオジサンだった。
助手席には奥さん。

後ろには、大人1人、子供2人。
私が乗れそうな余裕は
どうもなさそうです。 

でも、オジサンは
ニコニコ話しかけてきます。
本当にいい人なんですね、きっと。
ここは、お願いします!と
開き直ることにしました。
後部座席は、無理やり
3人が乗っている。
そこが更に4人乗りになる。
すでにパンパンが、
更にパンパンになること必至。
大丈夫かなあ。

ところが、
私はこっちだ、こっちに乗れと、
ニコニコしたお父さんは、
助手席を指さしていう。

いやいや、それは、、、、
と辞退したのだけれど、
お父さんは引き下がらない。
それに奥さんはもう後部座席に
乗り換えていました。

結局、私は厚かましことに
助手席に乗せてもらいました。

後部座席は、
奥さんが加わり、
4人でパンパンです。
みんな、それなのに、
ゲラゲラ笑っているんです。

幸せな家庭って、
きっとこういう笑いが絶えない
人たちのことにちがいない。

イタリア語はほとんどわからない
私にむかって、
お父さんはイタリア語で
色いろと話しかけてくる。
私がそれに困りながら、
カタコトのイタリア語で返すのが
また後部座席の子供や奥さんには
面白くてたまらないらしい。

私がソレントの駅前で
下ろしてもらうまで
ずっと車中は笑いっぱなし。

その日、私は
なんとも温かな想いに
満たされることになりました。
長い長い1日でした。
大晦日は、交通機関は
意外に早くお休みになるので、
最終のバスや電車を
確かめておくことをオススメします。

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