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授業と休み時間のけじめ

この問題は、教育の中でも度々問題に上がることが多いと思います。

先日、教育実習生の方からもこのような問題を質問してくれたことがありました。

しかし、このような問題と出会う度に思うことがあります。

それが・・・

「けじめ」は誰が何のためにつけるものなのか


授業の主役は教師ではないと思っています。

「子ども」です。

それであるならば、「けじめ」がついているのか、ついていないのか・・・

これを決めるのは、子どもたちなのではないだろうか。

もちろん教師として、社会人としての価値を伝えることは大切なことだと思います。

しかし、教師がもつ「けじめ」の押し付けは、授業の主役が教師になっている場合が多いように思ってしまうのです。

話を聞かせたい
自分の授業に集中させたい
ちゃんと聞かせないと分からなくなるのではないか

と教師の欲「エゴ」による「けじめ」になってしまうと思います。

一斉指導、知識の教え込みが及ぼす危険性だと感じます。

このような見えない主役の転換がいつの間にか子どもの成長や主体性を養う機会を奪ってしまっているように思うのです。

これを打破するためには・・・

①教師の立ち位置
②授業プランの見直し
③心の余裕=とことん信じる

が必要になってくると思うのです。


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