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noteを再開しようかなと。−小説『キネマの神様』を読んで。

泣いた。小説を読んで泣いたのは初めてだと思う。

歳を重ねるごとに涙腺が緩くなっているのは気のせいではないだろう。


さて。久々にnoteを書く。

個人ブログ『全僕にできる恩廻し』がサーバー移転時に全部消えてしまって、復旧もめんどくさくなって、ほったらかしにしていたが、無性に何か書きたくなった。

なぜだろう。先日、新卒で入社した会社の先輩と久しぶりに会ってご飯を食べながら話したからだろうか。

食事の最後の方の会話でその先輩から聞かれた。「どうなって死にたい?」

僕はちょっと考えて「やりたいこと全部やって死にたい」と答えた。

例えば?と聞かれたので咄嗟に「トンガに行く」とか「富士山に登る」と言ったものの、先輩の表情は変わらない。

「なんで?」と聞かれる。「富士山に登るとか理解できないんだよね」と。

僕はとってつけたような理由を話しつつ、結局心に浮かんだ言葉をそのまま伝えた。

「いや多分突き詰めると(やりたいことの)理由なんてないんすけど、そんなもんじゃないっすか?」


その先輩と一緒だった会社の社長は「やりたい、やりたいと思っているだけじゃ全然叶わないから“やりたいことリスト”を文字化して、どんどん実践して人生超ハッピーだからおすすめ!」みたいなことを言っていて、僕はそれに影響されて30歳を目前に作ろうかと思っていたことを先輩に話した。

そしたら先輩は「やりたいことができなかった人生もそれはそれで面白いんじゃないの?」やりたいことリストに書いた“やりたいこと”を消していく人生に否定気味だった。

僕もそこは同感で、「やりたいこと全部やって死にたい」と言いつつも、別に叶わなくたっていいし、別に書き起こす必要もないかもしれないとも思っている。本当にやりたいことなら書き起こさなくてもやるし、やらなかったらそこまでの欲求だったってことでしょって思っている。

それでももう少ししたらリストに書き起こすつもりなのは、その時の自分が何に興味を持って、それがどう変わったのかをあとで読み返すと楽しいと思うから。僕は、未来志向ではなく、過去を振り返るのが好きなのだ。

前は、「未来志向にならなきゃ!」なんて思っていたが、別に無理して変わらなくてもいいんじゃね、って思い出したのはこれもやはり歳をとったからなのかな。これがいいことなのか悪いことなのかは知らないけれど、

SNSがそこまで好きじゃないと思いつつ、やめられないのは、そんときそんときの気持ちをいろんなところに残したいから。

例によって前置きが長くて本題が短くなるんだけど、僕の“やりたかったこと”に「観た映画や読んだ本、聴いた音楽の感想を書き留める」ということがある。大学の頃からやろうとしてやってないから、そこまでやりたいことではないのかもしれない。でも、今、「書きたい!」と思ったから衝動的に書いている。

それくらい小説『キネマの神様』がよかった。

この小説を原作とした、志村けんさんが出演するはずだった映画のニュースを何度かみたので名前は知っていたけど、ここ数年すっかり小説を読むことから遠ざかっていたので、読むことになるとは思っていなかった。

きっかけは、高校生の同級生におすすめの小説を聞いたこと。

大学生から生き急ぎつつ、何度も失敗して、まだまだ人生が落ち着く気配もない中で、ようやく一旦の余裕を作ることにして、心動かす体験がほしく、小説を読みたかったのだ。

作中のゴウちゃんのように人の心動かす映画評は書けないし、そもそも高校生の頃から、前略プロフ?ブログ?で同級生のウイットに富んだ文章に嫉妬しては自分の文才がないことを恨んでいたけれども、それでいいやと。

だれと比べることもなく、浅い感想かもしれないけれども、思ったことを徒然なるままに書こうと、そう思ったのです。

自分のスキでやっていることが、他の人にスキにつながるかもしれないし、『キネマの神様』のようにドラマチックなことが起こるかもしれない。noteってそういう場所ですよね?人生何が起こるかわかったもんじゃない。

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