退廃美考・・・音の狂ったピアノに自由を聴く

久しぶりにピアノに向かって作曲している。そして、当たり前だが五線紙に音符を書き込んでいる。

ここ暫くこんなゆっくり作曲したことがない。大抵、稽古中や稽古の合間の食事中に五線紙・・・下手すれば何かの切れ端に五線を引いた即席五線紙・・・に直接音符を書くか、頭の中で創ったものを直接コンピューターに入力していくかのどちらかだ。

コロナ禍は思わぬ時間をプレゼントしてくれた。

実はピアノの音(調律)が狂っている。暫く弾かれることもなく、調律もされていないピアノ。ちょうど調律をお願いしたいと考えていた矢先のコロナ騒動。最初こそ、この明後日の方向に駆けて抜けていく倍音に気持ち悪さを感じていたものの、だんだん心地良くすら感じてきた。

都会の中の自然・・・手入れもされず伸び放題の木々に感じるあの力強さにも似た音。規律(調律)からはみ出した伸び放題の音たち。飼い慣らされた美を楽々と凌駕してしまう退廃美。壊れゆく価値観を象徴するかの様な退廃的な憂いを漂わせる音たち。

持続と変化・・・最近なぜか、今更ながらのミニマルミュージック的構成に向かっている自分がいる。現代に生きる自身の反映か? 私の場合、音楽は私小説なのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?