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今までの僕の人生とエイプリルドリーム①

いよいよ4月1日。
今年度も是非よろしくお願いいたします。

さて、今年度1発目の記事ですが、こんなタイトルで始めました。

エイプリルドリーム

今年はコロナウイルスの影響もあり、エイプリルフールは自粛しようという運びになる中、優秀なTwitterの皆さんが中心になって波及させた言葉です。

いつものような面白い嘘じゃなくって、年度始めならではの夢を語ろう!

ということで、僕も珍しく自分の過去の振り返りとこれからの夢を語ってみようと思います。

ちなみに、僕は絶対に人と経歴が被らない自信があります。
よく言えば面白い人生、悪くいうとレールを外れた人生。

自分としての捉え方はもちろん、前者です。

長野県立諏訪清陵高等学校

僕は高校球児でした。

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今の僕を知っている人は想像つかないと思うけど、本当に坊主で甲子園を目指す高校球児。

3年生の8月までは土日も朝から晩まで野球。
きちんと勉強を始めたのは、9月から。

もともと数学が得意で理系だった、でも野球しかしてなかったせいで将来やりたいことがない。
「とりあえず偏差値が高いところから受けてみよう!」と東大理三を志望にした模試で自分の実力を思い知りました。。笑

その次に考えたのは、医学部。
共働きの一人っ子だった僕は、毎日おばあちゃんと一緒に暮らしていた
”おばあちゃん子”。

肝臓が良くなかった(当時薬もなかった)おばあちゃんを助けたい!と思って、毎日15時間勉強しました。これ本当に。

9月からの半年で毎日15時間勉強した、通算約2,700時間。
(今思うと恐ろしい、、、)

結果、医学部は全部落ちました。笑
でも、受かったのが当時設立から10年経っていなかった慶應の薬学部。

目的だったおばあちゃんの病気も治せそうだし、洗練された都会のイメージにも憧れて上京を決めました。

慶應義塾大学薬学部 薬学科(6年制)

僕が入学したのは、薬剤師を目指す6年生の学部。
結果2年で転学科をしたですが、その2年間は壮絶でした。笑

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みんなが思っている大学生活とは程遠く、履修を決めるとか楽単とかの概念は一切なし。

授業は全て学校側から決められており、
週5日毎日5限までが埋まった時間割を渡されます。本当に高校生と一緒。

命を守る職業を目指すのでコレは当たり前のことだと今となっては言えるのですが、当時の僕にはかなりの苦行。
高校時代は生物選択だったのですが、薬学部って想像以上に物理の世界だったのです。。
しかも、慶應ということもあり周りの学習レベルは半端なく高い、みんな頭がいい、良すぎる。

僕は240人の同級生の中で下から5番、とかをザラにとる生活。

だからバイトを毎日したり、薬学部の学園祭の実行委員長をしたり、勉強以外にタイムシェアを割いた結果、2年の終わりに逃げるように薬剤師にはならず4年で卒業できる学科への転学科を決めたのです。

慶應義塾大学薬学部 薬科学科(4年制)

転学科先のみんなは基本、大学院に進み研究者になる人たち。
でも、小口は早く卒業したいがために就活をすることを決めていました。

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3年の頭から学科を変えたのと同時に、インターンなどの面接に死ぬほどいきました。でも文系就職した人も薬学部には基本いないし、大手の知っている企業にふらっと行く程度。

そんな中、学校では研究室を決めねばならないタイミングがきます。

僕が選んだのは「衛生化学研究室」
就活できる時間があるからと聞いて選んだこの研究室が僕の人生を変えたのです。

ある日、就活から帰ると勝手に研究テーマが決められていました。

コーヒーにおける白内障予防効果の検討

つまり、コーヒーを飲むだけで、発症したら治療法のない白内障という病気の予防ができる、という研究でした。(スタバでバイトしてたから勝手に決められたとかそんなレベル笑)

そしたらもう、僕はこの研究のトリコになりました。
大袈裟ではなく、本当に。

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だって、コーヒーを飲むだけで深刻な病気が予防できるんですよ?
みんな薬は好きじゃない、でも対処療法的に飲まざるを得ない。
でもコーヒーだったら、ポジティブに飲むことができて予防にもなる。

コーヒーってすごいな!!!
と思うと同時に、僕の頭に浮かんだことがもう一つ。

コーヒーみたいに、ポジティブに摂取できるモノや行えるコトで、
病気の予防になることは他にもたくさんあるんじゃないだろうか

僕がやりたかったのはおばあちゃんを治療すること。

医者としての治療は諦めた、薬剤師としての治療も諦めた。
でも、薬よりもさらにポジティブなやり方で予防や治療ができたら、それはもう最高にハッピーだ!!と思ったことを鮮明に覚えています。

そこからは、毎日が楽しかった。

見かけるもの全てに、これはもしかしたら病気が予防できるのかな。
という感覚でモノを見るようになった。

毎日が宝探しみたいな感覚。

そこで気づいたのは、別に薬になるモノだけが面白いんじゃないってこと。

世の中の人が気づいていない、新しい価値を自分で見つけること。
そしてそれを発信して世界をより良くすること。

これこそが僕のやりたいことだ!!
と、気づいた瞬間からは研究はそっちのけになりました。
(研究室の皆さんごめんなさい笑)

ここからはとことん就活。

”物事の価値発見・創出と発信をすること”こそ、マーケティングだ!
と考えた当時の僕は、マーケティング職を志望の軸にすることに。

中でも、いろんな商品に関わって価値発見・創出ができるかつ、発信までできるという広告代理店のマーケティング職を中心に就活をしました。

そして、ツテは一切ない中、OB訪問を100人する、それ以外は何もしないという独自の就活スタイルで、代理店の内定をいただきました。

(ここ詳しく書くと長いので割愛しますが、大変でした。笑
毎年就活生にはここが一番刺さりますが、、、別の機会に。)

4年の夏からは、担当の先生がいなくなるなどのトラブルもありましたが、在学中に学会発表と英語論文もきちんと書いて(2ndですが)、無事に卒業しました。
(田村先生、多胡先生、清水先生、そしてビッグラブ中澤先生、ありがとうございました!)

これが僕の薬学部から代理店に行った話。

広告代理店 マーケティング職

満を辞して入社し、2ヶ月の研修を受けた後に念願のマーケティングへ。
それがちょうど3年前のことですね。

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結果、またここも2年で一時離脱することになりますので、大きなことは言えないですが少しだけ。
でも、本当に大好きな会社です。

1年目は先輩について、主に飲料や食品といった消費財のブランドマーケティングを中心に関わらせていただきました。(末端を担う、が正解)
想像されるようなTVCMはもちろん、リサーチから仮説をたて、ブランドコンセプトを立てる、といったダイナミックな部分に関わらせていただいて、本当に良い経験をさせていただいたと思っています。

2年目からは自分のJOBを持たせてもらえるようになり、金融系や通信系クライアントのデジタル関連の仕事が多くなりました。
コンセプト立案はもちろん、メディアマーケの部分でエース格の先輩方とご一緒できたこと、これもとてつもない成長になりました。

2年間かけて、ある程度の基礎を勉強できたタイミング。
本当はここから独り立ちするぞ!!というところなのですが、今の代表に声をかけていただいて、グループ内ベンチャープログラムに応募、半年の審査期間を経て通過、そこで一旦代理店業務からは離れることになりました。

詳しくはこちらにまとめてあります。

今振り返ると、育ててくれた皆さまに本当に恵まれていて、頑張ってこいと背中を押していただいて、とてもありがたいことだと思っています。

まだまだがんばらないと、ですね。

株式会社ROOTs 取締役COO

そして2019年5月20日。
代表のシュレスタと株式会社ROOTsを立ち上げました。

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事業ドメインは「地方創生支援事業」

2人とも田舎で育った経験があり、自分のふるさとが今後縮小していくのがとても嫌だった。

僕の地元、長野県富士見町は標高役約1,000mにあります。

インターから


だからこそ、地域が自走して繁盛できるために、お金と人を地域に送り込みたいと考えていました。

そして2019年9月に、日本初の体験特化型ふるさと納税サービス「さといこ」をローンチしました。

お肉などのものをもらうふるさと納税が今までは主流。

自治体にお金は回るけれども、寄附した人は「お肉をもらったけれど、どこの自治体に寄附したのかは覚えていない」というのがもったいなかった。

返礼品をモノではなくコトにすることで、その自治体には税収と合わせて観光客が訪れるようになる、そんな日本を作りたいと思いました。

モノを選ぶとなると人はブランドでものを選ぶ。
〇〇牛、とかがいい例ですね。

だけど、コト消費になると途端に選択基準が変わる。

何をしにいく、どんな人に会いにいくのか

この基準を作ることができれば、どんな田舎だってアイデア一つで地域を繁盛させることができるようになると思っています。

この1年間で、ROOTsとして訪れた自治体は約1,000自治体。
そして、名も無いこのベンチャーに賛同してくれて、ご契約をいただいた自治体は3月31日時点で37自治体にまで増えました。
本当に感謝感謝です。
(個人的に嬉しかったのは、一番最初に僕を見て契約してくれた地元富士見町の小林さん、本当にありがとうございます。)

今は、コロナウイルスでお出かけが助長できない。
正直、順風満帆ではない毎日を過ごしていますが、今だからこそできる土台作りや、新しい事業作りを進めています。

これから向かう先

そんな過去を持つ僕ですが、これから先はどこへ向かうのでしょうか。

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野球部 → 薬学部 → 広告代理店 → 地方創生。
もうこのキャリアに先人はいないし、僕にしか達成できない夢があるんじゃないかな、と思っています。

本当はエイプリルドリームに合わせて今後の夢を描こうと思ったけれど、長くなったので今日はここまで。笑
期待して読んできれた皆さん、すみません、力つきました。。

今後の夢については、明日noteに描こうと思います。

初めてここまで自分の過去を表現しました。
恥ずかしいけれど今年度、前に進むために。

まずは過去、明日は未来。

ぜひ続きも読んで応援いただければと思います。


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