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「ホムンクルス」、見る=所有する、について

 山本から名越、からの蓮田。相変わらずの温度差でグッピーが死ぬインスタを眺めながらのファン活たのしい! 4月になりました。
 桜の開花が何故か知らんけど地元ちょっと例年より遅くて、そのおかげで個人的な修羅場を抜けてからの桜を堪能できました。いやーキツかった。でもこのブートキャンプを抜けたら綾野さんの新作ッとウキウキしながら過ごせたので精神的にはめちゃ元気でした。
 順調にウイスキーは減っています。まだフルボトル開けたくないんだけどなあ。自分の誕生日まで待ちたいんだけどなあ。

 さて心待ちにしていたこの「ホムンクルス」ですが、堪え性がないもので映画を見る前に原作に手を出してしまいました。
 何でもそうですが、原作のあるものを映像化する際にエピソードを足すことより削ることの方が多いじゃないですか。それで映像の方がやや不説明になることって多々あると思うんですよ。なので今回はノベライズと原作漫画を先に入手しての映画でした。
 まず原作を読んだ感想として、いやこれ完全映画化は無理っすわ、というのが最初にきました。
 尺が足りない。何時間の映画になるん? 六時間くらいあれば全部映像化できるんじゃないかな。でもまあそれは無理っすよね、ということで、逆説的に「これは映画オリジナル展開くるな」というのを最初に落とし込むことができました。

 頭に穴を開ける。フィクション題材ではロボトミー手術なんかと同様に「禁断の施術」として語られる題材。しかしこの漫画の凄いところは、それそのもののセンセーショナルな行為以上に、普遍性のある人間心理に踏み込んで言及した点にあると考えます。物語の中で名越は常に己のレゾンデートルや自己肯定感と向き合うことになるわけですが、案外こういうモチーフって日本のフィクションでは見なくて、むしろ海外の古典文学によくある構図だと思いました。ずっと伊藤と名越の関係はメフィストフェレスとファウストの関係だなと思っていましたが(おそらく意図的にそうした部分もあるのでは?)ただメフィストフェレスの圧倒的優位性みたいなものを何度も崩しにかかる=伊藤もまた人間であり名越や名越の説くものに救済される、という相互補助的な救済の関係を15巻かけて丁寧に描いているんだな、という感想を持ちました。作中何度も名越が「俺を見ろ」「見たい」「見せろ」と言っているのは、象徴的行為として「見る」ことを体現しており、それはすなわち相手を理解すること、なんなら支配することまで包含した強い要求であるように思いました。
 宗教的な話になりますが、何でも「見る」というのは神秘的な行為であり、ともすれば越権行為なんですよね。一部の宗教では偶像崇拝を禁じているし(神の姿は「見る」ことが許されない)、偶像を認めていても公開と同義でない(写真や映像に残すことが許されない)なんてのは神道仏教にもごまんとあるわけで、人間社会や道徳における「見る」という行為がいかに強力な、暴力的な、スレスレの行為かがわかる気がします。だから名越の持つ「見る」能力はそれをもって人を外れてしまったし、人を外れたからには人でなくなるしかない、ラストはまさにそうなるよねえと納得の展開でした。あの展開を描くための14巻のエピソード。漫画原作は、映画を見た人には絶対に見てほしい。名越は実は、頭骨に穴を開けるなんて別に初めてのことではなかったっていうね。そこが一番、個人的には「やられた」と思いました。
 漫画原作の強いところはもう一つあって、それは二次元の人間であればこそ、躊躇なく容姿に言及できるという点です。先述の通り「見る」ことに軸を据えたこの作品は「見ること」と同じくらい「見られること」にも言及しており、少なくともそこに関する描写が劇場版ではほとんど削られていました。まあそこにしっかり触れようと思ったらそれこそ六時間勝負になってしまうので、「見る」だけにフォーカスした改変は実に正解だと思います。中途半端に滲ませたりもしなかったし。そう、扱えないなら扱わないという、スマートさを感じたのです。ただ漫画原作にはその「見られる」要素が光と影、表と裏のように常に張り付いていて、そこがとても良かったと感じました。なので見てほしいです。いろんな方に。

 映画の話をしよう。
 まずこれはいろんな方が仰ってますが音楽めちゃくちゃ良かった。オープニングからぶっ飛ばしてくれるの最高ですよ。この曲以外にないなって一瞬で思える。音作り、世界観、ボーカルの持つ巧みさ。「トップガン」のオープニングくらい合致してた。
 綾野さんはホームレスのお兄さんで、でも何故かブラックカード持ってて、記憶をなくしてて(?)、謎の研修医に「頭に穴開けていっすか?」って訊かれる役。謎の研修医は成田凌。可愛い顔してヘラヘラ笑うけど真面目な医者。そう、原作の伊藤はピアスや異形が意図的に誇示されてて触れたらあかん人系の雰囲気が漂ってるんですが、ピアスの数や髪の色なんかは寄せてあるのに成田凌がめっちゃ成田凌で普通にお洒落になってしまってるのがすげーーーーって思いました。成田さんもともとが華やかだからどんなに着飾っても浮かないんだよな……
 前半はめちゃくちゃ原作に忠実で、映画オリジナルの展開が来てからは映画の持ち味がグッと前に出てくる。名越や伊藤の設定の根幹に関わる部分も改変してあるんだけど、そりゃ確かにあの設定はこの俳優陣に使えんだろうと思いました。複雑な気持ちになってしまう。
 個人的には金魚(元はグッピー)の使い方、ややテンプレ的ではあるんだけど、そこ掘り下げるならもっと尺も言葉もいるよって思ってたので、まるっと変えてきたのになおさら好印象を持ちました。逆にそのトピックに対する誠意を感じるというか。「ななこ」の扱いもよかったな。結局原作では「ななこ」は本当に救われないというか、名越を語るためのツール的な役だったので、この映画のifは希望があってこれはこれで、と思いました。名越が「救う」側に回るのも映画ならではですよね。原作でも女子高生やヤクザの組長に関しては「救った」かもしれないが、それは話の本筋に関わることではなかったので……最後の最後で伊藤を救う(道を示す)構図になったのは、おお、と思いました。伊藤はそこまでして「見たかった」んだなと思いましたし、ゆえに最後、都心の朝を眺めながら「見る」側の世界に身を投じた伊藤に思いを馳せずにはいられない。原作の伊藤は求めていることを明らかにしてもらえたけど、映画の伊藤は「僕を見てほしい」のところからまだ抜け出せずにいて、それがあの右目を封じた世界に行き着くことになったのかな……とか考えたり。この辺はまたちょっと配信されてから見直してみたいと思います。
 二人のラストショットの名越の後光、すごくよかった。光の設計、「影裏」とはまた少し違うんだけど、名越の聖性、救済の担い手としての存在感を決定づけるいい画面でした。さながら預言者でしたね。救世主ではないんだけど、預言を伝えることはできる存在。伊藤にとっては少なくともそうだったんじゃないかな。

 正直簡単な話ではないので何度も見て咀嚼すべきかと思うんですが、初見の感想はこんな感じでした。
 どうでもいいですが回想シーンの金融エリート名越がめっちゃ「綾野剛」でちょっと笑いました。かっこよすぎだよ。
 ホームレスと上流の両方を難なく演じるという意味では綾野さんの配役はまためちゃくちゃよかったんだなと思いました。

 以上でっす!
 これと前後してみた「ドクター・デスの遺産」についても言いたいこといろいろあるのでこれもまたまとめます!
 またよろしくどうぞ。では。
 

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