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出産の話

 突然だが子を産んだ。元気に映画と音楽の話をし続けていたので突拍子もなくて恐縮だが、まあ無料の個人の公開ブログで何を書こうが勝手だろうと思うし、友人に「書いてほしい」と言われたので書くことにした。このブログを運用して約3年になろうとしているが、見たもの感じたことに関してはずっとかなり素直に書いてきたつもりであり、そうした趣味嗜好の話と地続きの中でひとつの話題として妊娠出産の話があるのもまあアリかなと思った。自分のアカウントはいわゆるマタ垢、ママ垢と呼ばれるような温度感のものでは全くないし、今後もそうした類のものの運用予定はないのだが、個人差があまりに大きい案件であればこそ、人の数だけ事例はあって然りだと思う。資産運用の話や教育事情の話と近いかもしれない。経験則で語れるところと、偶然そうなっちゃった系のラッキー話が混在するので専門家に怒られるかもしれないが、まあこういう奴もいるんだな程度に聞き流してほしい。怖い話ばかりではないです。

①発覚


 結論から言うと妊娠の自覚はなかった。というかめちゃくちゃ遅かった。産婦人科の初診が11週とかそのへんだった。実に申し訳ない。これは子に対して素直に謝るしかない。
 一応言い訳すると、ちょうど5週目だか6週目だかに当たる時期に重めの呼吸器系の持病が出てしまい、今思えばこれは一種の悪阻じゃないかと思うのだが、経験則に頼ってなんの躊躇いもなく呼吸器内科を受診してしまった。もちろん問診票には意気揚々と「妊娠の可能性: なし」にマルをつけた。愚かだ。
 加えて弊業種は夏が大繁忙期であり、長時間労働と酷暑と休みの日に西へ東へ炎天下を飛び回る過酷な推し活(※良識の範疇)に忙殺され、慢性的な睡眠不足も手伝い体調不良もやむなしという有様だった。いっときは体調が悪すぎて酒も飲めなかったのだが、この体調不良も7週目に入る頃にはケロッと治った。ちょうどこの過程、持病の発作が収まるのに酷似していたので勝手に「おお〜体調良くなってきた〜」と判断した。くれぐれも真似しないでほしい。自己判断は大体の場合良い結果にはならない。
 しかもいつも体質的に負荷がかかりすぎるのか、持病の発作が出たときは月経が飛ぶことがあった。そういえば今月来てないな〜と呑気に構えていたが、さすがに2ヶ月飛ぶのは初めてで焦り始める。さらに異様な発汗、倦怠感に悩まされ、基本的には酷暑のせいだろうと結論づけていたものの些かの違和感もあった。しかしここへ来ても妊娠の可能性は頭を掠めもしなかった。祖母が甲状腺に持病を抱えていたことを思い出しつつ、内分泌系のトラブルか…? との疑念が湧いてくる。私ももうそんなに若くはない。とりあえず受診した方が良さそうだということは流石の愚か者でも分かり始める。だいぶ遅いけど。

②初期


 内分泌系ってどこ受診したらええんやと迷い、とりあえず婦人科を探すことにした。近所に評判の良さそうな婦人科があり、とりあえず予約を取ったものの受診当日までは何日か猶予があった。
 ふらっと立ち寄った薬局で妊娠検査薬が目に入った。考えたらこの可能性はまったく想定してなかったぞと思い、勢いで購入して検査をした。
 60秒で結果が出る試薬なのにものの10秒くらいで陽性反応が出た。
 いやでもがんで反応出ることもあるって言うしな…とどこかで聞いた話を反芻しつつ、とりあえずこの可能性も想定しとかなきゃダメなやつだ、と考え直した。聞き齧りの素人の知識はだいたい良いことないぞ! 頼るべきは医療!!!(2回目)
 無事受診日当日、問診票を書き、今度はしっかり「検査薬で陽性が出た」旨を記載した。できれば卵巣腫瘍とかであってほしくない…と思いつつ内診台に乗った。

「だいぶ大きいお子さんいますよ」
 クールなドクターは言った。
「ここまでしんどくなかった?」
 さすがに1週間前に夜行バスで東京に行ったとは言えなかった。
 反省した。何もなかったから良かったものの。一応妊娠の判明以降は3時間以上かかる移動はしないようにしている。無知って怖い。絶対に真似しないように。

 しかし世間で言うところの「しんどいつわり」というやつは幸運なことにほぼ味わうことがなく今の今まで至っている。母や叔母に聞いてみたところ「1人目より2人目の方がきつかった」と言っていたのでそういうもんかもしれない。唯一血液検査でトキソプラズマのリスクを説かれたので生肉は避けているのと、カフェイン中毒だった人間ががんばってコーヒーを避けているくらいだ。酒は飲みたい。一滴も飲んでいない。
 夫は妊娠を聞いてなおまったく現実味がなかったらしく、中期に至ってまだ胎動を感じられないことを「大掛かりなドッキリ説がある」と表現して私に怒られていた。なわけあるか。ドッキリで私がコーヒー我慢できるわけないだろ。

③中期


 そんなわけで初期から比較的ラクな妊娠初期だったため、中期に入ってつわりから解放された喜び! みたいなものはあんまりなかった。強いて言うなら腹帯を巻く戌の日の関連であれこれしたくらいか。七五三のシーズンとかぶって大変だった。寺社仏閣はなにかと子供がらみのイベントが多い。安産祈願に宮参りに七五三に十三詣り。教育業の次くらいに子供に接してる業界かもしれない。
 お腹が出始める6〜7ヶ月に至ってもなお周囲の告げていない人には妊娠をわかってもらえなかった。冬は厚着ですからね(?)
 ちょっと太りましたか〜みたいな雰囲気で流されていた。まあでもそれくらいの温度感でいてもらったほうがこちらも楽と言えば楽だったかもしれない。一応こちらも人手不足の弊社で長期間戦線離脱をキメる罪悪感のようなものはある。ただ私が産休に入る前に近隣部署で体を壊して大変不本意ながら休職してしまった人がいた。おい私より先に離脱すんな。体大事にしてくれ。
 こういうのもあって「女性を雇用するとこういうリスクありますよね」とか訳知り顔で言ってきた若い奴(悪気はない)には「まあお前も明日倒れるとも知れんわけやからな」「若い奴ほど病気の進みは速くて怖いよな〜」「健康診断は行っとけよ」と言っておいた。いやいや、皮肉じゃないですよ。全人類健康であれ。はたまた、自分が健康でも自分の事情以外で働けなくなることなんてこの少子高齢社会ではいつでも発生し得る。別に私がどう言われようと知ったことではないが、人に吐いた呪詛で未来の自分が苦しむのは若い奴には可哀想な話。お前はせいぜい健康で生きろ。

 そういえばこういう職場状況ながら、上の人々はかなり温かく配慮してくれてなんだか申し訳なかった。業務内容はハードだが人は優しい職場である。とりあえず辞める気はないです必ず戻ってきますと足でも負傷した兵士の気持ちで偉い人に再三繰り返しておいた。保育園は死ぬ気で受からないと困る。復帰後の事業内容についても再三話し合った。いざ復職したらポストがないでは困ってしまう。
 あと「子持ち様の皺寄せが私ら独身にのしかかってきて云々」というのがちょうどこの頃バズったが、いやーもう、弊職場がそういうのでなくて本当に良かった。ああいうのは1人いたらそれがその会社のイメージになっちゃうから、そういう会社に入らないこと(入ってないこと)を祈る以外に手立てがないのである。何度も言うがその種の柔軟性を持ち合わせないと損をするのは未来の自分だと思う。私もこうなることを全然想定してなかったけど、自分がピンピンしてた頃に病気で休職した人やメンタルで休んだ人、飛んだ人、それらさまざまな穴埋めを「明日は我が身」と積極的に手伝ってきて本当に良かったと思った。世の中は結局持ちつ持たれつであり、それが嫌なら社会は向いてない。悪意のある人も中にはいるんだろうが、まあ本当に運の良いことに出くわさなかった。ハッピー。もしくはいたけど視界から消してたのかもしれない。

④後期、そして産休


 個人的には後期が一番しんどかった。物理的に子が重い。腹がでかい。着れる服が限られ、疲れやすく、浮腫みやすく、休みの日はよく昼過ぎまで寝込んでいた。
 それも当たり前だろうというのがこの頃になると自分も周りも受け入れられていた。夫にはずいぶん家事をやってもらった。できることは何でもやる人だったので本当に助かったと思う。多分この時期に何もしない、できることを模索しようとしない人間がパートナーだと妊娠出産は不可能に近い。不可能だということが判明してからやっぱやめた、ができないので、今後家庭を持つことを検討している世の中の方々は後戻りができるうちに自分のパートナーに果たしてその技量があるかないか、事前に冷静に判断した方がいい。目が曇ってわからなかったら第三者を介入させてもいい。おそらくこの時期に培えなかった信頼や連帯感のようなものをのちに形成しようとしても不可能だと思う。冷静かつ的確な分析が不可欠となってくる。
 かといってダメだった場合に取れる選択肢ってそんなに多くはないだろうけど、平たく言っちゃうと役立たずと子育てしようと思うとガチでしんどいし、ちょうど共同親権とかいうクソ制度が成立しようとしている今日この頃、ちゃんと仕込んどくか見切りつけるかは子ができるまでに見極めないとだめなんだろうなとは思います。

 職場は2月初頭から産休に入る手筈で12月頃から段取りを進めていたが、2月にひとつ大きな事案があったため法定よりやや後ろ倒しで産休に入った。産休に入ってから暫くは普段通り過ごしたが、3月に入って里帰りした頃から血圧が上昇し、足のむくみもひどくなってきた。そのため定期検診で妊娠高血圧症候群の診断がおり、緊急入院となってしまった。血圧は高くはない、むしろ普段は低い方だが、見たことのない高い値をバンバン叩き出すようになってさすがに自分でも引いた。ただ入院して投薬と安静に努めていると状況が改善してきたため、入院時に検討されていた帝王切開や誘発分娩は結局見送りとなった(主治医曰く、この段階で誘発をかけててもスムーズには生まれなかっただろうとのこと…) 4日間の入院で予想外の出費は痛かったが、血圧管理と体重管理の重要性を思い知った。あとなんとか一旦退院できてよかった。心の準備もできてないし、3月中の予定をすべてすっ飛ばすのはあまりに悲しい。ちなみに3月には12月に行く予定だったライブの振替公演があり、チケットそのものはさすがに手放したわけだが、配信があったので配信はせめて見ておきたかった。必死で散歩をした。城下町を歩き、砂浜を歩き、鳥の写真を撮った。すべてはもう管理入院をしたくない一心であった。最後に人の健康を支えるのはほんの少しの日常的な運動かもしれない。

⑤出産


 そんなこんなで臨月を結果的にかなりストイックに過ごしたわけだが、幸いにしてお腹の子は常に元気だった。彼女が元気でなければ逆に自分も頑張れなかったと思う。NSTで心拍数を測るたびにBPM150前後で鼓舞されて燃えない音楽好きがいるだろうか。何がなんでもここまで健康にきたこの子を元気に産まなければならないという一種の使命感のようなものを感じた。
 そうしていよいよ39週に及び、この頃になると夫も仕事を調整してうちの実家に泊まり込んでくれていたのだが、突然出血があった。重めの生理痛のようなものも手伝ってまあまあ混乱した。急いで病院に行き、診察の結果すぐに生まれることはなかろう…と一度帰されたわけだが、これが予定日3日前のちょっとした予行演習となる。
 危惧された予定日そのものには何も起こらなかったが、その2日後の最終検診日、朝からいわゆる前駆陣痛のような痛みが15分間隔ほどできていた。ただ当然のことだが初産婦にはこの痛みが陣痛なのか否か明白な見分けがつかない。「痛いような気がします」というふわっとしたわけのわからない電話に「10分間隔を切ったらまた連絡ください」とクールに対応してくれた助産師は間違いなくプロだった。結局普通に検診に行ったら痛みらしきものも張りもスッ……と収まった。なんやねん。
 ただ主治医はくだんの血圧の件もあり、予定日を過ぎていることからそろそろ誘発かけるか〜明日どう? と極めてフランクに出産日を決め、じゃあ明日で…とまあまあしっかり心の準備をさせてくれた上で出産に臨むこととなった。この頃に至ると逆に「誘発かけて30時間とかそういうのだけはやめてほしい…祈るしかない…」という心境に至っていた。
 ところが帰宅してその日の夜中、突如として考えられないくらいえげつない痛みがきた。間違えようのない陣痛だった。夫が寝てる横で時間間隔をひたすら測定した。
 いきなり6分間隔だった。それが1時間続いた。泣いた。
 家の中で別の部屋に寝ている母を呼びにいくことすらできず電話をした。5, 6分間隔が1時間続いている。いや何してんださっさと病院行けと蹴り出されるようにして車に乗り込んだ。これまた早朝の受診である。数日前の予行練習が意図せずめちゃくちゃ役立った。ただ私の憔悴ぶりは出血しちゃった〜とかの頃とは比較するまでもなかった。
 私が世話になった病院では分娩をすべて病棟で行うため、病棟のLDRでしばらく寝かせられていたわけだが、この間にマジで尋常じゃない痛みに苛まれてずっと半泣きだった。ちなみに着いたときの内診で子宮口は4cmほどだったが、LDRに寝かされている間に8cmまで開いていて、要はそれだけ勝手にお産が進んでいた。結論から言うとこのお産そのものはトータル6時間のハイパー安産だったのだが、このスムーズさの裏には急速に進行する痛みに音を上げる奴がいたことを主張しておきたい。ちなみにこの痛みはみんなお腹が痛いと思ってるだろうけど、どちらかというと骨盤のあたりに内側からじんわりと割れそうな痛みがひとりでに湧いてくる、というのが正しい。骨盤である。骨盤がひとりでに割れようとしている(※割れません)。しかも2〜3分に一度やってくる。ちなみにこうなってくると本能的に逆に力が入ってしまって、助産師さんに「まだいきまないでくださいね」とやんわりたしなめられてしまった。力を入れた方が痛みがマシになってくる。これはガチ。
 いきみの許可が出たので全力でいきんだら一回で生まれた。早い! 元気なお子さん! おめでとうございます! と主治医助産師看護師etc…に口々に褒められて正直悪い気はしなかった。初産とは思えないスピード感で大変親孝行な娘だった。生まれた瞬間から首を左右に振っていた。これ新生児は普通やらないらしい。首が丈夫なお子さんで…
 結果として誘発をかけるまでもなく自然な陣痛による分娩と相成ったが、それをいちばん喜んでいたのが主治医だったというのはなんとも印象的な光景だった。赤ちゃんの生まれてきたい力というのは偉大である…お産は奇跡なんだなあ と色んなところを縫われながらしみじみ思いました。主治医の先生は縫うのもめちゃくちゃ速かったです。

⑥感謝したいあれこれ


 ③あたりから言及していたがとりあえず今回のふって湧いてきたプロジェクト的なアレを無事成し遂げられたのはまずは職場の理解に他ならない。基本的に趣味に生きてる人間なので仕事は全然好きじゃないし、休むことばかり考えているが、改めて人の良い人が揃ってる会社だなあと思った。会社が良いと言うより、部署の人が良い人揃いだなと思った。とくに直属の上司と部長的ポジの人にはずいぶん便宜を図ってもらった。結局運良く健康だったので一度も産休に入るまでは休まなかったけど、いつでもしんどかったら休んでええからなーと言われている職場とそうでない職場の違いは大きいだろう。昔の上司はおすすめの抱っこ紐まで教えてくれた。この人たちなくしては先の見通しがまず立たなかった。まず第一のラッキー要因である。
 もちろん夫の協力も大きい。肩やら腰やら脚やらに不調を訴えれば嫌な顔ひとつせず揉んでくれたし、外出するときは必ず荷物を持ってくれた。ふらふらと遊び歩くこともなく(そもそも私が遊び歩いていたのに)たまには飲みに行けよ年末だろとこちらから嗾けるくらい基本的にはいつでも家にいてくれた。インフルエンザの予防接種も早々に打っていたし、外出時にはマスクをかかさなかった。里帰り後も週末はこちらの実家まで欠かさず通ってきた。妊娠中の態度がその後の家族関係を定義するとはよく言われるが、夫の聡明さと思慮深さには頭がさがる。私などより余程立派な親になるだろう。
 実家の家族も協力的だった。特に里帰り後は総出でいつでも送迎に動けるようにしてくれていたし、母は病院の選定から出産に関するあらゆる情報収集からすべて前のめりに手伝ってくれた。義理の実家の人々も非常に親切で、何度か行事を欠席してしまったときも必ず体調を労う言葉をくれた。要は良い人が揃ってないと妊娠出産は難しい。誰か嫌な奴がいたらそれだけでうまくいかないプロジェクトである。なのでまずは環境の整備から。いらない奴や害のある奴は切りましょう(断言)

 最後にみんな気になる費用面だが、妊娠判明から出産までの医療関連に要する費用がトータル70万くらいだった。これは高血圧で入院した分を省いて、シンプルに妊娠の経過と出産(分娩)にかかるコストをざっくり合計したものになる。検診がおよそ14回×5〜6000円=7〜8.5万円、里帰りだったので紹介状が5千円、出産入院費が60万円。ちなみにこのうち検診14回分と分娩費用50万円は助成券及び助成金が出るので自己負担は実質10万弱くらい。さらにこの自己負担額も地方自治体が支給してくれる出産一時金等々でトータル相殺できるんじゃないかと思う。このへんは地域差もあるので必ずしもそうではないが、保険適用でないがゆえにポコポコいろんな制度を加算すると、なんやかんやで収支トントンになるように組まれている気がする。予定のある方は居住自治体の制度をしっかり調べることをおすすめします。あと就業してないと貰えない助成金やら補助金やらが多いので、のっぴきならない事情がない限り仕事はやめない方がよく、復帰後の業務形態や待遇などに関しても職場を去る前に偉い人と話し込んでいた方が良いと思います。同じ助成金や保険金のようなものも財源がどこになるかをしっかり把握して貰えるものを貰うようにすればOKで、そういう意味では勿論穴も多いが、妊娠出産における公助は他のものに比べると比較的良く機能してるなあという感想を持ちました。ただ調べないと教えてはくれないので頑張って調べたり聞き込んだりが大事になってくる。日本の役所はなんでもそうだな〜
 でもありがたいです! ありがとう居住自治体! ありがとう弊社! ありがとうありとあらゆる社会保障や税金を泣く泣く天引きで支払ってきた社会人になってからの私!
 ちなみに病院は8ヶ月まで自宅付近のクリニックに通い、産休に入ってからは実家付近の総合病院に転院となりました。周産期医療を頼っていく
 担当医も助産師さんもみんな優しかったですし説明が的確で有り難かった…母子同室で事実上の初任者研修みっちりでしたがおかげでなんとか子を生かせています……入院編の話もそのうちどっかで……

 あとはメンタル管理とかイメージトレーニングとかリスクマネジメントとかさまざまな文脈で「コウノドリ」原作及びドラマにものすごく助けられた。リスクの高いことを知識的に身につけて避けられたのもそうだし、不安に思いがちな要素を紐解いて安心材料にできたのもよかった。初産婦は出産前に読んでみることをお勧めする。あと産婦人科病棟に入った時に「コウノドリで読んだやつだ!」ってなることが結構多い。そして実際に体験してみると「子宮口10cmから1時間…」とかのセリフがサラッと言われるけど、どれだけ妊婦本人が苦しんでいるかの理解度が上がってこっちが息苦しくなる。ほんとに無事に生還できてよかった。これから子育て頑張ります。

 以上です。
 もし質疑があれば可能な範囲で追記します。

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