見出し画像

解けないままの魔法みたいに曖昧な子供の頃のこと。

子供の頃の記憶は曖昧だ。
物事をきちんと理論立てて捉えられない年齢だから当然なのだろうけど、今となっては魔法にでも掛けられたのか?と思うほど前後が抜け落ちている思い出がある。

わりとある。

例えば、

<雪の降る日の記憶>
その日、母と姉と私の三人で買い物に行くことになっていた。
玄関でみんなが靴を履いていたとき、私だけ靴下を履いていなかった。正確に言えば、履かせてもらえていなかった。たぶん、みっつくらいだったと思う。私はその頃、とても不器用で、ジャンパーのファスナーが留められなかったり、靴下を履くことができなかった。いつも母の手を借りていた。

その朝、きっと母は忙しくて、または機嫌が悪くて、娘の靴下まで頭が回らなかったのだろう。私は履けないことをうまく伝えられなくて、なんだか叱られそうで、裸足のままでいた。

その時の母のがっかりしたような、あきれたような顔。
記憶はそこで終わっている。

私はちゃんと靴下を履かせてもらったのだろうか?
買い物には行けたのだろうか?

また、

<知らない男の人が倒れていた記憶>
その頃住んでいた家の前に、そこそこ急な坂道があった。
幼稚園の帰り、道に中年の男性が倒れていた。意識がなかったようだ。
泥酔していたのだろうか?怪我をしていたのだろうか?
私には幼すぎて、救急車を呼ぶという発想もなく、ただ怖くて、急いで家に逃げ帰った。
近所の人たちが、しっかりして・・・とか、どこから来たの?とか話しかけていたように思う。

あの後、男の人はどうなったのだろう。
病院には行けたのだろうか?
無事、おうちに帰れたのだろうか?
そして、何故、母は「救急車を呼びましょう」とならなかったのだろう。
確かにあの頃は、我が家には電話はなかったが、大家さんの家まで走っていけば、電話は借りられたはずだ。

その人は、とても大きな身体をしていたように記憶している。
ガリバー旅行記のガリバーみたいに。
あんなに大きな身体をしている大人でさえ、倒れてしまうことがあるんだと知って、恐怖を覚えた。以来、身体の大きな人が、何故か怖い。

あるいは、

<自宅裏の原っぱの記憶>
父と姉と私の三人で、自宅裏の原っぱにいた。当時、田舎には、都会と違って「利用していないただの空き地」は、わりとあった。
おそらく秋。寒かったのを覚えている。枯草がざわざわと風に揺れ、早くうちに帰りたいと思っていた。
何故、そこにいたのだろう。覚えていない。

突然、父が枯草に火をつけた。
びっくりした。
こんなことしていいの?みたいなことを私は父に言ったと思う。
父は「土のためにはこうやって燃やしてやるのも良いことなんだ」みたいなことを言った。
「野焼き」のつもりだったのだろうか。

でも、この土地、うちのじゃないですから!
なんで勝手に火をつけちゃってるんですか?

幼くても、そのくらいは分かった。

この後、どうやって火を消したのか覚えていない。
ただただ、父は変わっている。恐ろしい人だ。という認識の上書きがされた。
途中、火の粉が飛んできて、私のズボンに落ちた。
私はどうすればいいのか分からなくて、あ~とか、きゃあ~とか叫んだ。
「そういう時は、手で振り払えばいいんだよ!」と父は叫んだ。何故か怒っていた。
幼稚園児に判断できるわけもないのに。私はただ、すっ飛んできて、父に振り払って欲しかったのに。

今、振り返るだけでも、このくらいの謎がある。それらの記憶は、短い映画のトレーラーみたいに頭の中でフラッシュバックする。

母の怒ったような顔とドカドカと降る雪。
父の枯れ草に火をつける手のアップ。

父は既に他界したので謎のままだ。
坂道の男の人のことは、母にも姉にも尋ねたことがある。
二人とも、そんなことがあったこと自体、覚えていないようだった。

まだ解けない謎があるなら、母と姉が生きているうちに聞いておきたい。
つい昨日までは、そう思っていた。

でも、このままでもいい気がした。
子供の頃の記憶なんて、誰にとってもきっと曖昧だ。
曖昧のまま、胸にしまっておくのも悪くない。
そして、その内容が良くても悪くても、私はしっかりと受け止められるだけの大人になった。

そういうことなのだろう。

まだまだ変な記憶が沢山ある。
そのうちまた、書いてみたいと思う。

オチですか?
特にありません。今日も。(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?