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RiNAさんの不思議~自分語り~

写真のイメージに近い。
私の友達、RiNAさんとは、朝渋というオンラインコミュニティで出会った。
なんか混とんとしているような、その中に光り輝くずっしりとした芯がある。
そんなRiNAさんが、今回の自分語りnoteの主人公。
是非この不思議にあなたも迫ってみてほしい。

四国。

RiNAさんの生まれは四国。姉兄の末っ子ちゃん。(そんな雰囲気がどことなくにじみ出てる。)お父さんの転勤で大阪にも住んでいたそう。
一番昔の記憶は・・・・みんなが遊んでいるところを上から眺めている画。


ここまで高いところではないか。


容姿端麗な雰囲気を持つRiNAさん。昔から大人っぽい子どもだったのだろうか。RiNAさんいわく、「小さい時はおとなしかった」。
兄姉がとても賑やかでアグレッシブ。よくあるよね、こういう兄姉構成。
うちの家も私がよくしゃべるので、弟は大人になってからもほとんど話さない子になったな(笑)。
小さい頃は手のかからない子だったそうだ。

保育園・小学校のRiNAちゃん。

そんなRiNAさんは保育園に通いだす。今でも記憶にあるということは相当感じていたんだろうなと思うけど、「コミュニケーションが苦手」だったそうだ。どうも相手への最初のノックがつかみにくい。
「い~れ~て」が、言えない。なんとなく周りが察して入れてくれることもあったけど、なんとなく、居心地も悪い。
さらに小学校に入ると両親が、子どもの環境についてのヒアリングの意味で「学校どうだった?」と聞いてくることが多くなった。
RiNAさんは不思議な気持ちになる。
「何を答えればいいのか?」「聞いてどうするのか」。

きっとすべてにおいて、真正面から考えるのがRiNAさんなんだろうな。
先述の兄姉がアグレッシブだったとあったが、小学校の集会でスピーチが出来るような子どもたちだった。それがRiNA家の当たり前。RiNAさんも小学校のころからスピーチを経験していて特異を感じていた。演劇にも参加したり。
そんなRiNAさん、高学年になりクラブに所属するようになる。その名も「科学部」。入部を申し出ると先生に呼び出された。「男子しかいないけど本当に入るのか?」と。「・・・え、何が悪いの?」考えるRiNAさん。男女の割合の違和感を人に言われて初めて感じるようになったという。

中学校の記憶。

勉強は出来た。でもすごい楽しかったかといわれると、そうでもない。部活はバスケ部。レギュラーだったけど周りも自分も「これでいいのか?」と常に感じていた。さらに、生徒会で副会長。優等生に見える。
生徒会では様々な議題があったが「提案するまで」が楽しいと感じていた。そのあとやりきるところはまた別のフローだ。
どれもこれも「これでいいのか・・・・?」

打って変わって高校生。

「全然楽しくなかった。」
県でトップの高校に行ったからか、勉強にもついていけなかった。
部活は手芸部と調理部。バスケはほかの学校の強い子に勝てる自信がなかった。モノ作りは好きだったのだ。
でも、調理部は女子女子していて馴染めない。
手芸部はお金かかる。刺激がない。
あまりに乗り切れないからある日はドッジボールを提案してみたり。(笑)
RiNAさんっぽいな。

ドッジボールって楽しいよね。あてられると痛いけど。

でもそのドッジボールが少し人生を変える。
腕っぷしの良さから、ハンドボール部の勧誘を受ける。
これがRiNAさんにいい経験となった。いい仲間にも巡り合えて楽しい経験となる。色んな思い出の中で唯一「よく覚えている」経験となった。
ただ、自己肯定感は低いまま。勉強もできない。
・・やりきれてない・・・。家に帰ると泣きたくなった。
褒められても斜に構える。「出来てるよ」といわれても信用できない。
そんな状態だから大学受験も選べなかった。でも唯一数学も得意だったし、環境問題にも取り組みたくて、理系への道を進むことになる。

大学生活。

でも母がうるさくて、なんか決めることも「癇に障った」。
その結果、兄が行ってた「からいっか」ってことでその大学に進む。
でもあまり大それた目的もない。もやもや・・・・
その頃に出会ったのが学生を支援する「就活支援財団」。
「就活とは?」「自分とは?」日々議論を交わす。
ここでの経験はRiNAさんにとって「まだ(経験出来て)よかった」。
幼いころに感じていたスピーチが好きなことも、その団体で再び思い起こすこととなる。発表では自分からスピーチ役を買って出た。
「内容はこれでいいのか?」「このスライドでいいのか?」発表準備では深夜まで議論を続けた。

深夜まで喧々諤々。


発表は眠かったけど頑張った。
結果は「よかったよ!」「RiNAは女優みたいにスピーチするね!」
褒められてうれしかった。やり切ってよかったなって思えた瞬間だった。
青春だなぁ・・・・♪

そのまま社会人に?

とはいえ、ではそのまま熱量高く社会人になるかというとそうではない。
「社会人になったら何がしたいか?」の答えが見つからないまま就活が始まる。流れで大手へのアプローチが続くが全然決まらない。やっと「救ってくれた」のが工具商社だった。
「老舗だからお母さん喜ぶよね。」・・・最初に思ったのがそこだった。
入社してみて仕事は楽しいと思えた。配属先は理系だったからという理由で「情報システム部」だった。
ある日上司が「マクロを組んでくれ」と。やったことないのに(笑)。
でもなぜかトライするRiNAさん。家に持ち込んでまで考えて1カ月で完成させた。自動化できたことは興味深く感じていた。
経営管理部も経験させてもらった。
ある日、そこにとても気の強い女性が配属されてくる。どうやら自分から異動を願い出たらしい。RiNAさん、その方にちょっとよく思われなかったみたい。「マクロ組めて調子に乗ってたのかも?」
話しかけても答えてくれない。話をしても聞いてないという。
RiNAさんが以前担当していた案件についても「対応しないで」。
上司にも相談した。半年ぐらい続いた。・・・ていうか「何やってんだ?」
休職届を出す。2カ月ほど休み、他の部署に異動を申し出た。
別の地域になら異動させてあげる、とのことで上京する。
「一緒に仕事をしている人の裏側が見えた(それぞれ環境が違う。)」「会社って自分のことを守ってくれないんだな・・・」その経験でRiNAさんが感じたことだ。

東京のRiNAちゃん。

東京に来ても仕事はとても大変だった。
労働環境は変わらない。

・・・・そうだ、未来ありそうなシステム関係に転職しよう。
こうして、SIer(エスアイヤー)の仕事を探すこととなる。
海外にも憧れがあったので、グローバルカンパニーをうたっていた企業に再就職した。
でもそこにもわがままなトップがいた。どうしても振り回される。
RPA開発を経験したくて再び転職となった。アットホームな会社だった。
そこでワーキングホリデーに行けることになる。
「どこでも生きていける人になりたい。」
その頃から考えるようになっていた。

朝渋

社会人として数年たち、ワーキングホリデーに行くつもりだったのにコロナで行けなくなった。辞めようと思っていた会社に戻ろうと思っていたのにちょっともめて会社にも熱量がない。
そんな時に「朝渋※」に出会った。※現「朝渋DOJO
印象に残っているのが「作業部」。
部長としてたまたま続いたことがみんなに喜ばれた。
一番うれしいのは今でも「朝渋DOJO」に作業部がメインコンテンツとして残っていることだ。
大事なコンテンツを育て、意味があることを成し遂げたなと感じることができたという。

発展途上

ここまでを一気に言い切ったRiNAさん。
公開コーチングのような語りだった。
「問い」がある環境で頑張れるのでは?と投げかけた人がいた。
人生のどのステージも常に疑問を持ち、真正面から向かい合うRiNAさんの姿が素敵。
逃げるのは簡単だけど、向き合うのって経験するほうが何倍も大変。
あたり前みたいに越えていくように見えるRiNAさんには「エネルギー」が有り余っているように見える。
「他人が出来ることは自分がやる意味ってある?」
何事にも常に問いが付きまとう。
コロナで延期になっていたが、今はアイルランドでワーキングホリデー中。
「帰って何しよう・・・」そこも悩み中だ。
どこまでもまじめに向き合うRiNAさん。
ここからさらに数皮むけるだろうRiNAさんには、その頃再び自分語りをやってほしいと思うところだ。


最後までご覧くださりありがとうございます^^

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