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人生を実らせるのは、『エリート・金持ち・有名』ではなく『良い人間関係・元気・心の平安』です」

&コミュニケーション(人間関係)とファッションについて。など。

冒頭の鮮明なメッセージは、松尾一也氏の言葉。50代以上のみならず、若い人にも必見です。

味わい深い、会のこと。

昨夜 123回めを迎えた
10年前に発足した、ある仲間の会があった。
名もないこの会は、普通に「定例会」とだけ呼ばれていて、色気も何もないが、会自体は 10年の月日がワインのように、味わい深いものだ。

誰にはなしても「信じられない」といわれるけど
10年間 月に一度、かならず開催される定例会
え?!月に一度?それは無理でしょ、と。

昨夜はこの状況なのでZoom。
2月は私の誕生日があり、バースデー会も含めて、さまざまなメンバーが顔を出してくれた。

にゃんのルークも時々参加。@ なんまか。私はターバン巻いてる人。


今回幹事をしてくれたのが17歳のときからの親友 ↓ 山本牧子(上、私の横)だったこともあり 久々にこの会について書き留めておこうと思った。

発足メンバーは下の4人。この日は、丸4年を祝っての会にて乾杯。

発足したときは4人の会からスタート。そこからぼちぼち人が増えて
だいたい10人~13人とかでメンバーは落ち着いている。(流動性あり)

大勢にしようという主旨の会じゃなくて、居心地の良さが前提の適度な縛り、暗黙のルールを、やんわり大事にしそうな人の集まり。

途中抜けるひとや
休憩する人もいつつ、気がつけば10年が経った。

会自体は最小2人でも継続なので、私が参加しないときも、いつも誰かがどこかで、この会を通して関係性をつないでいる。

そう、参加しなくてはいけない、という縛りはないけど
自分が幹事になるときは、自然に出席になる。

昨年の2月のバースデー(今野&政近の)は、弊社のサロンに集まってもらった。
このときは、親友の金子広美と長いお付き合い大渕氏もお誘いして。好きな人を呼べるのも自由なところがある。


会長とは、私の顧客さんが勤める会社の上司、という関係性にて、15年ほど前に出会った。社内のプリンシパル(表彰された技術者たち)を撮影してほしい、というご依頼から、会社を訪問。

スタイリング&プロカメラマンを入れての一日がかりのイベントとなった。
某大企業に勤める彼は、びっくりするほど多くの部下を抱える手腕部長。

ぜひお食事でもと、社員食堂に案内され、彼の人柄を感じる出会いから、数年後「準子さん、素敵な会に来ませんか?」と。


愛おしい彼らのことを書き出すと、本が一冊書けるくらいの要領になる。
初めて出会ったその日から、それぞれの人生は大きく変わったし、その都度、そのリアルをお互いに感じてきた。

10年もおつきあいしていれば、10年前は「過去」であり、肩書きも背景も激変したメンバーだ。仕事もそうだし、島田さんは 独身⇒2人の息子さんのパパになったり、ほかにもママになったメンバーが二人。
今野さんは東京から北海道・北見に移住されるなど、それぞれの人生を書き出したら日が暮れるどころではない。

会長も、当時勤務していた会社を早期に退職し、鎌倉のご自宅にて最愛の奥様の身体の事情に寄り添われた。その際の決断を聞いたときなんか、私、涙が止まらず、あれはいつだったかの、12月の定例会で号泣したこともあった。
それをいうなら、北見に移住した今野さんの、移住理由だって、心にくるものがある。
実父でも驚くのに、90歳を越える義父さんを一人にはしてはおけないというのだ。今野さんの送別会をかねた定例会でも、私は笑顔で見送ろうと思っていたのに、うかつにも別れる瞬間に号泣。
別れるわけじゃないのに、いろんな思いがこみ上げた。

▼今野誠一氏の著書


それもこれも、積み上げてきた関係性があってこそ、思うところがある、というもの。

発足人の4人で、集まった会は、持ち寄りディナーで。


島田さんは知る人ぞ知る国際交渉人で、交渉に訪れた地で 肩に銃弾を受けるなど壮絶な経験を持つ方。
初めて会ったとき、その貫禄に、まさかひと回りも年下だなんて微塵も思わず、えらい丁寧に話始めた記憶。。笑
人間年齢など関係ないとはいうけれど、このときほどその言葉の意味を痛感したことはない。
圧倒的な存在感と経験を持つ彼だけど、お付き合いをすると本当におちゃめ。懐の深さを感じるひとだ。

▼島田久仁彦氏の著書を読めば、その凄さがわかる。


発足メンバーとの思い出を語るに、やっぱこれかなと思うのが

このメンバーで最初に出会ったイタリアンレストランで、会を取りまとめた会長が、「これから出張:飛行機に間に合わせないと」とそそくさとその場を早々に去っていった事実。笑
今野さんとは、たまたま別の会で一度だけご面識があったものの、ほぼ初対面の私たち3人は、鈴木さんがいなくなって一瞬唖然。
でも結局は、その後2時間以上も話に花を咲かせたんだっけ。

今思えば、鈴木さんが私たちならと信頼し安心しきって場をあとにしたこと、実は過去をたどれば、この会の真の発起人、鈴木&島田両氏が出会ったのも空港だった、ということ。全部が繋がるんだよなぁ。

当時世界をまたにかけ、日本を背負うように働いていた二人が偶然出会い
絆を感じあったこと
に、必然だったのね、と思わずにはいられない。この出逢いがなければ、私にも、この10年はなかった。

二人が出逢ったときの話は、もう100回くらい聞いた気がするけど、笑
何回聞いても飽きない。
それはたぶん、この会の軸は やはり二人の出会いからにあると、私は思っているからだ。

人間関係の継続は簡単では、ない。

57年も生きていると、こんなことは私が語らなくても、そうだよねぇと多くの人が痛感していることだろう。
人間関係を制すもの、世界を制する、というほど難しいことだもの。

もちろん 何のストレスもなくうまーく関係を作れる人もいるだろう。
でも、そんなひとでも会社の定年を迎えたとたん、意外と ぼっち的になるという事実は、仕事柄多くの顧客から聞いてきたこと。

ビジネスで繋がっている「だけ」だった人間関係。
いざ、その場を失えば潤滑だった上司や部下との関係も、仕事以外で会う理由などなくなってしまうのだ。特に男性。
女性はその点、たくましかったりするけど、現代でのSNSでの人間関係、薄い繋がりにも嫌われないように、と本来の自分を出せず、ストレスをためる人は多い。

自分で主催する。

個人的には、私はアスペルガーで言いたいことを口に出してしまう傾向や、何かに集中すると、まずそれが終わらないと、その何か以外が見えてこず
誰かの助けや忠告がないと、気がついたらモクモクとわが道を進み
周囲がついて来れない状況を作りがちだ。汗。



そうした自分の特性も客観視しつつ、どうしたらよい人間関係が築けるのか? これこそがパーソナル。

コミュニティーに属するというより、自らが場を作り、提供する側にいることが一つの解決策のようだ。
今、主催している学校なんかも、ある意味その表現の一つなのかも。


信頼する人についていく。

もう一つは、自分主催ではなく、信頼する人の考えに「ついていく」という
方法。ぶらさがるんじゃなく、何かできることはする。一員であることの暗黙のルールは守る。
それが心地良い、というように自分を成長させることも大事。

わたしにとって、この方法は 冒頭の松尾氏の言葉にあるように そこに「心の平安」があってありがたい。

自分が主催すれば、正直心の平安は、あまりない。笑
悪い意味でもなく、それぞれのよさがあるのだと思う。

この日は赤一点ならぬ、黒一点?会長を囲む会みたい、ついていくよん。
はるちゃんや あかねちゃん とえこは 大部長くなったけど、笑 新しいメンバーも、この会を楽しんでくれてて嬉しい。


暗黙のルールとは

よく、この会の継続ついて さまざまな人から質問されるし、会のメンバー同士でも、意見が割れたことだってある。
ルールって、ゆるければ関わりやすいけど、ゆるい「だけ」では崩壊もする。
継続する、ということはビジネスだって同じで、起業した会社、ファッションレスキューが、17年目に突入できるのも、それなりの暗黙のルールのようなものを守ってきたところがあるように感じている。

暗黙のルールは、モチベーションが大きく関係するし
気遣いということも、できるようになるのではないか。
またルールがあることで、改善、進化、変革、ができる。

来たいときにくればいい、というゆるいだけのものだったら、この会はすでに終息していただろう。

クニ&陽一会長コンビが出逢ったからこそ。


継続には努力も必要。

会がはじまって数年経ったとき、1ヶ月に一回はきついんじゃないか、という感覚が、じんわり数人の意見として上がったことがある。正直私も
やんわり、2ヶ月に一回でいいんじゃないか?なんて思っていた。
そう、ほぼ 何も真剣に考えずに。

そんな声が上がった瞬間に、会長と島田さんが、こう切り替えした。
「それでも 同じことなんですよ。結局は同じことだから。」と。
1ヶ月に一回でも、2ヶ月に一回でも同じで、今が継続できないことを
2ヶ月に一回にしたって同じなんだよと。

私は、その瞬間、この気づきは、とんでもないものだと直感した。
そして、彼らに出会えたことに マジで感謝した。

継続に努力というと、無理があるのでは?と思う人も多いと思うけど
この努力は意識の問題。

自分勝手では、成り立たない、という感覚。

ここに写る とこちゃん ゆうちゃんも、今やママに。最初はかわいい妹みたいな存在だったんだよなぁ しょこたんも最近会社を退職して、自分の道を歩みだした。みんな大きく変化したよね。


良かれと思って言ってそうで、実は自分本位。

要するに、私はその日まで、そういう自分だった。
いいこと言ってるようで、言い訳でしかない。
できるだけ ラクをして関わっていたいという、、それが自分。

私はそのときから、少しだけ マシな人間になった。笑
もちろん私の出席率が上がったわけでもなく、いつも仕事が終わらず遅刻だし、123回のうち、私は会を支えるほど、そこにいたわけでもない。

それでも、月に一度 誰かが継続してくれていることに、心から
ありがとうと思える人間になった。

人間関係は、一人では継続できない。

仲間がいて歴史をつむいできた、という事実は誰にも消せないリアルで
10年間も 仲間の日々を共に見つめる関係性を持てたことに、ありがとうしかない。

そして ひとのおかげだけに甘えず、自分の役割的なものを考えれるようにもなった。例えば、時にドレスコードを提示して、食事以上に盛り上がったりした。

自分の役割を提供してみる。

自分が提供できることって何かな、という気持ちから、実践していったことは、実は我がファッションスクールのコンテンツにも繋がっていった。

ドレスコードのプロフェッショナルを作るコースもはじまるが、こうした経験を何度も積んでいく中で、仲間の笑顔が教えてくれたことだ。

ズラを被ってみる会。笑 ま、ドレスコードにもいろいろ。
いつもと違う はっちゃける一面が見れたりして、ファッションは新鮮なコミュニケーションを生みます。
仲間の還暦のお祝いパーティーにて。
還暦ハットとマフラーを持参して、速攻主役になってもらった今野誠一さん。
たくさんの人にお祝いされる誠一さんを見ているのも幸せだった
私も、主役を邪魔しない程度の赤を纏う。


新しい風を吹かせる。

第100回を迎えたとき、みんなで鎌倉の会長のご自宅へお邪魔した。
自分はサロンを場として2度ほど提供したけど、自宅ってやはり格別。
こうした「新しい試み」は、心にも関係性にも心地よい風が吹く。

また、この日は 今野さんの繋がりで、プロのシンガーの皆さんが
素敵な歌を披露してくださったりして、心が震えた。

記憶に残る出会いや、突然自分と気が合う人が現れる、というのは、こうした新しい風が吹いたときにも起こるんだと思う。

人生を実らせること、幸せを感じるとはどういうことか?

実際この話が、昨夜の会で持ち上がり、年を重ねて孤独になるか、幸せに生きるか、それは良い人間関係に尽きるんだよと、教えてくれた会長に
「ねーねー 昨日はなしてたこと、もう一回教えて」とメッセージしたら
松尾氏のリンクが送られてきたのだった。

偶然、松尾さんの会社からは、何度か講演会の依頼を頂いていて、ここでもご縁を感じずにはいられず、冒頭にリンクを張った次第。

松尾さんとは一度しかお会いしたことはなくとも、その福が詰まった風貌に、この記事が真実だってことがわかる。

顧客を超えて

このメンバーの中には、ファッションレスキューのお客様として、が出会いで、今は大切な人生の友になった人も多い。
相原さんをはじめ他にも数名が、この会でもご縁を続けている。
彼とは電話でバトルしたこともあり⇒講演会に行くときに本音で大切なことを伝えて頂いた。
この会には初期のころ、ぜひと誘って加わってもらい、どんなときも豪快な笑顔とはつらつとした声、ダンディーな風貌で会を盛り上げてくれるし
私にとって、長いご縁は心の支えでもある。

他のみんなにも、もちろん思いがあるけど、全部書くとさ、なんか 遺書みたいじゃない??汗。

部下の結婚式にも参列して頂いた仲。


共に仕事をするメンバーの存在も。

そう、過去2度ほど、こんなセミナー登壇を任された、村田さんもこの会のメンバー。忘れたころ(忘れてないよ)ひょっこり参加する感じがまたいい。なのに存在がでかい。笑 

この会が存在し、島田さんがいなければ、この機会もなかったかと思うと、本当に人が仕事を呼ぶ現実に、ありがとうしか、ない。

仕事、と書いたけど、村さんのオファーには、自由な遊び要素が大きくて
伸び伸びと講義させて貰っている。

セミナーのことは、noteに記録しているのでリンクを貼っておきます。



村さんのnoteを読むのは日課に。この日のことを 彼も書いてくれている。
そして村さんの感性が好き。とても刺激を受けてる。


最後に、出逢って40年。

生きていてくれるだけで、ありがとうな存在とは。


そんな親友が幹事だったことが このnoteを書く理由になった。

あるとき、高校時代からの友達 マキちゃんをこの会に誘ってみた。
最近は特に忙しすぎて、なかなか参加が難しかったマキ、今回は幹事だったから、久々に顔を出してくれた。
彼女の話は、正直長くなりすぎる。40年だよ、どこから書いていいのかさえわからない。

高校ではキュートで元気な印象、仲がよかったグループの中でも一番に嫁にいきそう、なんて言われていた彼女は
今や着実にキャリアを積んだ結果、最近では あの ヨーヨーマを招待してのイベントを開催するなど、親友じゃなければ「雲の上の人?」バリに
活躍する人になった。そう、この日もヨーヨーマの話でZoomは花開き
リアルな秘話にて ますますヨーヨーマのファンになるメンバー続出。笑

最後に言いたいのは、17歳~57歳まで、こんなに近くでお互いをいまだに
応援していられること、いや、生きていてくれるだけでいい、という関係性って、ありがたいなぁということ。

起業して数年、原宿にサロンを構えたころ。


17歳から、となると いくら格好つけたところで、自分のヤンチャナ過去のリアルを知っているってことだ。笑
どんだけビジネスで気張ろうが、お互いたぶん別にそこが、つきあいの決め手なんかじゃない。
彼女は、私が起業した際も、ただひたすら応援して顧客になってくれた。
ファッションの学校にも、「うん やるよ」といって共に勉強してくれた。

そして昨夜も、もし、夫が先立ったら、マキにすがる!といってる自分がいて、自分でワロた。

私はこれだけお世話になってきたマキに、何か返せているんだろうか。
スクールで同じ生徒として入学した、熊坂仁美女史とは、絶対気が合うから!とお互いに話し、本当に二人は仲良く親友になり、そんな姿を見ると、よかったなーと思うけど、ほんと、そのくらいだ。

この日記の場を借りて、ありがとうっていっとこうと思う。笑

マキをはじめ、彼女たちは、私の仕事現場にも駆けつけてくれた。
PINKOにてファッションイベント。

 

人間関係は今日からでも作れる

さて 諦めなければ 人間関係は今日から作れる。
また私のような 人間関係を作っていくに多々問題ありなアスペルガー性質をもっていて、失敗を繰り返しながらも「希望」は常にある、ということを伝えたい。

いちばんまずいのは、その希望と行動をやめてしまうこと。
自分を守るだけの行動は逆に、自分を枯らせることにもなる。

このみずみずしいお花のように、
また たとえ朽ちていっても、ありのままを受け入れてくれ、
本当にまずいときは、ちゃんと警告も鳴らしてくれる仲間がいれば
人生は何歳になっても楽しい。

最近では 新しいメンバーも会の中心のように馴染んでくれていて
それもまた月日がたったことを感じさせる。このお花は大好きな、とえこ、茜愛ちゃんが届けてくれたもの。

ファッションはコミュニケーション

ファッションで言えば 今までは若者中心でトレンドも動いていた世界から
年齢など関係なく、自己表現できる大人が格好いいとされる時代の到来だ。

私はこのことも 今 推し進めている マインドとファッションの学校で
証明していきたい。
パーソナルスタイリスト創始22年。
次なる時代へ、と生み出すプログラムも、こうしたリアルな人間関係の経験の中でしか、生まれないのだから。

Zoomちう

そしてきっとこの会は、これからもさまざまに形を変え
暗黙のルールさえ、改革されたりしながら
続いていくんだと思う。

でもやはり、こうしたすべてを見守り行動してきた会長の存在に
マジで感謝している。
そしてきっと、メンバーはこう言いそうだ。
このnoteをみて

「長すぎるよ!最後までよめねーわ」 と。

























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