DNAは変えられない。大事なのはDNAに合った戦略や表現で人生も服装も考えること。G7広島サミットに思う。故郷に思いをはせながら、バラを愛でる私とファッション。
DNA(ルーツ 過去)を変えることは,誰にもできない。
自分のDNAに合った戦略がとれるかどうかが、生きていくにとても大事という話。
これは、人生も、仕事も、ファッションも、同じこと。
自身の核・DNA(内面)と外見(ファッションやヘアメイク、話し方やしぐさ、香りや立ち居振る舞いなど)がリンクしているのか?
ということが、その人の装いの土台にあることが、とても重要だから。
たとえば俳優が、自分が実際に経験していない役をやる場合、その地を
訪れたり、役の人間の性質や生き様を知り尽くそうとし、その背景を想像できればできるほど、良い演技(まるで、本人のような)ができるように。
ファッションは着飾るイメージが色濃いものだからこそ
飾る前に土台が大事になる。土台があれば、削ぎ落としても、存在感は消えない。
G7広島サミット
岸田文雄総理が議長を務める先進7カ国首脳会議(G7サミット)が広島市で開催された。
5月19日から今日までの間、サミットでは、首脳だけではなく、物凄い数の方々が,それぞれの役割を果たされた。
私は、微力ですが、関わる方々の服装についての服装や監修アドバイスの依頼を受け、先ほどすべてが終了した。
さて、このたびのサミットには、個人的にも並々ならぬ思い入れがある。
それはもちろん 広島出身者である岸田総理大臣も同じでしょう。
ロシアによるウクライナ侵略が1年以上経過。厳しい安全保障環境にある中、世界の首脳が一同に被爆地・広島に集結したことは、相当のインパクトと、平和への決意を内外に強く示す役割があったと思う。
日本は原爆を投下された世界で唯一の国であり、核兵器の使用を断固として拒否し、その悲惨さを内外に訴え、実際に2度と使われることがない国際秩序を守り抜いていくリーダーとして先頭に立たなくてはならないお役目。
広島出身者の岸田総理大臣は、そのDNAに相応しい戦略で、広島でのサミットの開催を実現されたと思っています。
もちろん、一番大事なのは 今とこれから、の実態なんですけれど。
ゼレンスキー大統領の参加により、結束を強める「図」の完成はできても、戦争が今このときも行われているという現実。
戦争に「支援」をしているという矛盾。
広島とサミットとバラと平和
画像は,バラを愛でる私の様子、ですが
遠隔操作で服装のアドバイスやレポート書きを行いながら、ぎりぎりバラに触れる機会を今年も持てました。
そして今年は特に,サミットとの関連性,自分のDNAも考える機会となり、感慨深いものがあった。
バラは満開を過ぎ、朽ちていく段階。その姿も これまた美しい。
私も還暦が見える朽ちていくお年頃。朽ちる良さも表現していけたらなぁと思う。
といいながら
赤いパンツはユニクロで売れ残っていた商品で なんと500円位でした。
やすっ。驚。はい、ブランドや値段の価値に頼る着方を、私はしません。
品質と唯一無二で選んだら、ハイブランドになった、というアイテムも、もちろん多々所有もするが、ブランド名から選ぶことは皆無。
他ブラウスと羽織は娘が着なくなって、自宅に置いていったもの。
この日は、究極にサステナブルな、コーディネートです。笑
今年のバラとのショットに、赤、を選んだのは、やはり平和への強い思いから。
岸田総理の赤いネクタイ
岸田総理が広島入りされた際、赤いネクタイとファーストレディー裕子さんも赤いジャケットでしたね。
今回のサミットにかける覚悟と決意の表明だと思います。
ゼレンスキー大統領の略式軍服
またゼレンスキー大統領が広島入りをした際には、いつものウクライナの略式軍服でした。
自国が戦争中に司令官が抜け出しての参加、は正直私はないと思っていたけれど(Zoomだろうなと)現地入りしましたね。
他の首脳と合わせたスーツ姿ではなく、
自分は、戦時国の指導者である、という以上にウクライナの国民と共に戦っている、というマインドの表現なのだと 私は思います。
というような、広島サミットにおける各首脳達の服装についてのエデュケーションは、別ポストにまとめるとして、今回は、バラの香りに癒されながら、DNAを感じて頂きたいなと思うのです。
皆様それぞれの、ルーツ。変えられない、過去。そこから繋がる、今と
変えられる未来と可能性を。
服は確実に、その人の可能性を広げてくれるものだから。
DNAとファッション、戦略や表現
DNAとファッション、戦略や表現について、とはとても深いキーワードなのですが、今日のポストから言えば
広島、バラ、サミット、岸田総理、戦争、核兵器 など、自分の人生と関係が深く繋がっていることは 「何か」という視点は、その人の生き方そのものに通じます。
自分の核からは逃げることができないし、どんなに遠くに旅に出ても
自分が遠ざかるどころか、例えば、日本人であることを強調されますよね。
結局それなりのパーティーでは 着物を着ていることが一番喜ばれたイタリア生活の中からも、日本を離れて異文化を体感すればするほど、自分は何者かが明確になっていった感じ。
以前、貝原デニムを訪問した際の投稿でも、熱く語ったような記憶。そう、デニムも、私にとってはDNA.福山は日本一のデニム産地であり、ユニクロのデニム生地の50%以上を、カイハラが生産しています。
自分自身 全身デニムでいる日は、とてもリラックスできるのは
人生の記憶と暮らしの中に、デニムは当たり前に存在していたからだ。
父の仕事と直結(デニムを扱うアパレル)し、母は呉服家出身⇒結婚した後は、自宅工場で刺繍をする仕事をしていたことは、デニムやハンドメイド、衣服と自分の関係、という 切っても切れない核となった。
衣食住の「衣」は毎日のこと。
食事が体を作るのと同じように、服も毎日裸で暮らすわけにはいかず
必ず衣服を身にまとい、他者への認知やコミュニケーションの前に
自分が自分であることを、第2の皮膚として確かめてもいるものなのだから。服自体が自己承認でもあるのです。
そして、装いは常にメッセージあり、自分&他者へのギフトだということ。
バラを愛でるなら、自分が主役ではなく、バラが主役。
バラ園では、バラの邪魔をしないこと、他に見に来ている人たちにとっても、目障りにならないこと。
かといって自分のテンションが下がるのではなく、気持ちのいい時間をすごせる衣服がいいでしょう。
この話は、桜と私、昨年のバラ投稿にも、詳しく書いていますけれど。
せっかくなので この3年間のバラと私を。
ファッションは平和の象徴
G7広島サミットとバラの関連性なんて、まるでないことのように
思えても、私にとっては自然と繋がっていて
サミットの間中、平和を祈りながらすごしていました。
そして何度でも言うけれど
ファッションは平和の象徴です。
戦争や災害が起きているときに、人間はお洒落など考える余裕などない。
人体を守るものとして必要ですが、そこに「表現」することなどなくなってしまうんです。
明日着るものを考えられるということが、どれほど平和でありがたいことか。
そしてまた 来年もバラの花が見れますように。
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