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命 | 思い込み

魂の世界からしたら、流産というのは、あまりショッキングなことではないのかもしれません。(*あくまでもわたしの体験からの話です)


上の娘が2歳だったか・・・
「わたしは一人がいい!誰もいらない!」
と言い出したことがあります。
何を言い出すのかと思っていたら、その後まもなく二人目の妊娠が分かりました。

そこからしばらく、娘のご機嫌ナナメな日が続きました。


『赤ちゃん返り』は、赤ちゃんが生まれてから、お兄ちゃんお姉ちゃんになった子どもが、自分も赤ちゃんのように注目され、お世話をされたくて起こす行動ですが、敏感な子どもさんは、お母さん自身が妊娠に気づく前から、「自分の立場を脅かす存在がやってくる!」と察するようです。そして『赤ちゃん返り』のようにいつもと違う態度を取ったりするのだとか。


うちの娘も、そんな子どもの一人なのでしょうか、かなり早いうちから何かを察していたようです。


結局、その時授かった【 命 】は、心臓の動きを止めてしまったのですが。

「心臓」が動きを止めると、その人間の形を作ろうとしていた【 命 】は、それ以上、人間の形になろう!としなくなるんですね。当たり前のこと、なのかもしれませんが、心臓が止まると、成長が止まるんだ、と、腑に落ちた体験でした。

で、その時、娘には、
「赤ちゃんがうちに来そうだったけど、やっぱり来なくなったんだ。」
というような感じだったと思います。伝えました。

そうしたら、
「だから言ったじゃん!わたしは一人で良いって。」
と言ったのです。

ー その瞬間、わたしは悟りました。


あの【 命 】がお空へ戻って行ったのは、もしかしたらこの子と相談して、、、というよりは、娘が直談判して(笑)お空に帰ってもらったんだ!

と。


本当のところは分かりませんが、わたしはそう理解しました。娘も、お空に帰った【 命 】も、「今じゃないよ」って。きっと、わたしたちも親として。

なので、心臓を止めてしまった【 命 】に対して、悲しい、寂しい、という感情より、ただ「今がそのタイミングじゃなかったんだ」と、落ち着いて受け入れることができました。


それからしばらくして、現在15歳になった息子が生まれました。→ お姉ちゃんが大好きです。


その時、上の娘は、”大丈夫”でしたから、きっと、娘と息子、そしてそれらをアレンジする存在とで、魂レベルでの協議が行われ、みんなが『これで良し!』と合意し、Goサインが出たのかもしれません。



数日前、偶然にもわたしが書いた15年前の記録が出てきました。
息子が生まれるおよそ1ヶ月前のものです。

M(娘)、「赤たんが生まれたら、もっともっとお手伝いしてあげるね。今日はお友達と遊んじゃったけど。」だって。せつない。どうしよう。

わたしの日記

と書いてあるのを見て、びっくりしました。

もっともっとお手伝いしてあげるね、と、言われたこと、全く記憶にないし、お手伝いのオファーが「せつな」く聞こえていたのです。


わたしは、下の子が産まれてくることを、どこかで恐れていました。
自分の勝手な妄想で、「赤ちゃんが生まれたら、娘は、注目をもらえなくなって寂しがる、拗ねてしまう、可哀想、なんとかしなくちゃ!」と、ものすごく心配していたのです。


だから、産まれてくる赤ちゃんのことも、娘のことも、しっかりケアしてあげないと、と、必要以上に自分で自分にプレッシャーをかけていたのかもしれません。(確かに上の子どもの心のケアは大事なんだけど)


目の前の娘が、赤ちゃんが産まれるのを楽しみにしていて、そして、「ママの手伝いをもっともっとやりたい」と言ってくれている事実を、100%受け止めていなかったのです。


もっと目の前の事実を素直に受け入れて、信用して、娘にもっともっとお手伝いをお願いしたり、頼りにすれば良かったな(当時3歳だったけど)・・・と今更ながら思います。

そうしたら10年以上経過してから、『思いやりの瞑想』で号泣しなくても良かった人生があったかもしれません。笑

娘は今18歳、幼い頃に「もっともっとお手伝いしてあげるね」と言っていたのが納得できるほど、しっかりした女性に育っています。あれは持って生まれた性格なんだな、と思います。わたしには無い要素・・・笑


目の前の事実と、そして自分の思考のなかにある虚構の事実(妄想・思い込み)とを、しっかり見極めていたら、必要のない苦労をしなくてすむ・・・という教えでした。

ヨガ哲学にもある教えです。

素直が一番 ☆





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