先見の明を養うことの大切さ ー今と将来、どちらを優先しますか?

 変化や時代の流れが非常に速くなり、将来がどうなるかわからない時代になってきて、ますます自分の人生に対して、しっかりと考え、地に足をつけて生きていくようにしていくことが、大事だなあと思うようになりました。

 有名な寓話である「アリとキリギリス」においての、真に重要な点

 最近では、アリのように身を粉にして働くよりも、キリギリスのように働く時間を減らして自分自身の人生を謳歌しようよという価値観に変わってきているようにも思います。アリのように働き詰めでは、結局体を壊すから良くないということでしょう。

 しかしながら、私自身はこのアリとキリギリスについて、別の見方も最近ではするようになりました。

 その両者の決定的な違いは、計画性の有無と先見の明です。

 アリは、ただガムシャラに働いているのではありません。冬には食べ物が手に入らなくなるのを知っていたからこそ、食べ物がたくさんある夏に、冬の為の食料を得ようと日々働いていました。しかし、一方でキリギリスは、冬に食べ物がなくなろうがそのとき考えればよいさという考えで、暑い中必死になって働いているアリを笑って見ていました。

 そして、そのうちに季節が過ぎていき、冬になりました。さて、この二者はどんな結末を迎えたのでしょうか。

  この冬の部分は、私達で言うと失業した時や配偶者と離婚した時、そして老後が当てはまるでしょう。その時になって、きちんと将来のことを見越して準備したのか、それとも将来のことは考えずに何もせずに時を過ごしてしまったのかで、私達にやってくる未来は全く違ったものになります。

 けれど、私達によってはそれらのうち、失業や配偶者との離婚については、よほどのことがない限りは予測不可能でありまして、また老後については気の遠くなるほどの未来ということもあり、なかなか真剣に考えることはできないでしょう。けれども、今は変化の激しい時代であり、この先いつどうなるかわからないですし、また老後のことについても、若いうちはそれほど気にしなくとも、中年期以降は年を取れば取るほどリアルに考えるようになってくるでしょう。

 だからこそ、きちんと将来のことを考える必要があると感じるのです。


5年10年後のシュミレーションは出来ているのか

 私のように、不安定な立場もあって、将来について不安のデパート状態になってしまっている人もいれば、反対に将来のことはその時で何とかなるさというように、楽観主義になっている人もいることでしょう。

 どちらかに当てはまる場合には、将来のシュミレーションをほんの少しでもよいので、してみるべきだなあと思うのです。

 5年後10年後どうしているのか、と。社会に出て働いて、時が経っていくにつれて気になるのです。将来の自分自身の姿を。10年経っても今の仕事をしているのかなあ、結婚しているかな、マイホーム買っているかなあなど。その将来予想については、必ずしもその通りになるわけではないので、具体的にいつやるとは決めず、ただこの先にやりたいことを考えてみてもよいでしょう。例えば、今の職場でもっと良いポストにつきたいとか、マイホームを手に入れたい、とか。結婚したい、独立したい、等。

 将来の方向性についてある程度定まってくると、次第に自分自身の目指すべきものが見えてきます。そして、それに伴い将来の具体的な場面も、可能性としていくつか想定できるようになり、それを前提としてそれぞれ計画したり、対策を取ったりすることができることでしょう。

 

 何故、5年10年に区切るのか?

  例えば、20歳の人が40歳になったときの自分自身を想像しろ、と言われても、多くの人は先のこと過ぎて難しいと思うのです。でも、じゃあ30歳の人が40歳になったときのことを考えろと言われた場合には?確かに、30歳の時の10年後も、まだ遠い未来に感じられ、そんなに具体的には思い浮かべられないかもしれません。

 けれど、20歳の時と比べて経験を積んでいくにつれ、自分自身の得意不得意がわかってきて、やりたいことや目指すべきものもだんだんと形になっていく為、本格的に自分自身のキャリアやそれを積むためのビジョンが見えてくるのです。漠然とかもしれませんが、40歳になったときの自分自身が思い浮かんでくるでしょう。

 そして、35歳になれば40歳の自分が何をしているか、くっきりとは言わなくてもおおよそ見えてくるでしょう。5年後でも、想定していなかった行動をしていたり、変化が訪れていることもあるでしょうが、けれども40歳に近づいているということもあり、大体の自分自身の姿が見えてくるでしょう。

 だからこそ、近すぎるということはないけれど遠すぎないうことで、5年後10年後はシュミレーションをするのにもってこいな未来だと感じるようになったのです。


 決断は先送りにすべきでない

 注意すべきなのは、未来を想定したとして、先延ばしはなるべくしないようにすべきということです。 

 私達の多くは、どうなるかわからない将来のことよりも今のことを楽しもう、精一杯やろうとし、なかなか将来の為の一歩を踏み出せない、或いは行動できても先に進めないという状態になってしまうことでしょう。

 でも、先延ばしは仕方ないことではありますが、なるべくしない方が良いと思うのです。というのも、先延ばしをすればするほどその「未来」がどんどん遠ざかっていき、やがては永遠に実行されないままになってしまう危険があるからです。

 いつでもできるさ、それがもし無意識にも考えてしまっているとしたら要注意です。実は私も考えてしまっていることがあります。今やらなくてもまたあとでやればいいさ、と。でも振り返ってみると、ずっとやらないままになってしまっていることが結構ありました。先延ばしして良いことはないということをその都度学んでいるのですが、本当に仕方ない人だなあと自分自身に対して思ってしまっていますね。

 遅すぎるということはあっても、早すぎるということはない。今がやり時なのです。

 最近では、何歳になっても変われるということをよく聞きますが、果たしてそれは誰にでも当てはまるだろうかと感じることがあります。何歳になっても、とは具体的にいくつになったときか。将来を想定し行動する場合には、きちんと、およそでも良いので、時期をきちんと設定しなければなりません。

 でも、それをせずにただ年を取っても変われるということだけを切り取ってしまったとしたら。40歳では50歳になっても変われると思い、50歳になったら60歳になっても変われると思い― そうして年を重ねていくうちに、気づいたときには何も成し遂げていなかったなんてことにもなりかねません。

 ただ年を取ったから変われるということではありません。年齢に応じた経験を積めるよう、しっかり行動し続けたからこそ着実に目指すべき未来への道を歩めるのです。何もしなければ、結局はいくつになっても、10代や20代のままの感覚で過ごしてしまうことでしょう。

 でも、私達の親はいつまでも生きているわけではありませんし、またすぐには先立たないにしても、ずっと面倒を見ていてくれるわけではありません。

 必ずどこかで腹をくくらなければならないのです。

 決断からは決して逃げられません。どんなに逃げ続けていても、いつかはそれと向き合わなければならない時がやってきます。強制的に。その時になって、何も準備していなくて慌てるのか、それとも前もって想定しておいて、それを元に行動することが出来るようになっているか。


 そんな縁起でもないことを考えるのはやめて、と言われてもー

 私達は、悪いことを想像するのはなるべくなら避けたいです。いつまでも、出来れば今の大変だけど楽しい生活を続けていきたい、と考えることでしょう。でも、先ほども申しました通り、将来は本当に何が起こるかわかりません。天災のような大きなものもあれば、失業や離婚などのように個人的なものもあるでしょう。

 できれば考えたくない、将来を考えるのは恐ろしい、そう考えるのも当たり前です。私もそう思っています。

 しかしながら、そのような未来も想定しておくことによって、実際に事前に対策を立てることが出来、そしてその時が万が一起きた場合でもそれに沿って行動することが出来ます。たとえ予定通りにはいかなかったとしても。

 備えあれば憂いなし、です。

 将来に悔やまない為にも。もっとより良い人生を送るためにも。今できることをやりたいですよね!






 


 

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