何故勉強しなくてはならないのですか?

  「何故勉強するのだろうか?」

 ふと思い浮かんだ疑問です。女王の教室で、先生が子供達に何故勉強しなくちゃいけないのか?と問われましたが、そのときの答えがあまりに的確過ぎて、うんうんと頷いてしまう程です。


・何故、勉強しなくてはいけないのでしょうか?

 一緒に考えてみましょう。皆さんは、何故勉強しなくてはならないのか、と思いますか?

 私自身は、今ようやくその真の答えにたどり着きました。

 勉強して知識と知恵を得て、それを自分自身の将来に生かし、より良い生活が出来るようにする為。そして、その知ろうという欲求こそが、私達が歩きたい、物を食べたい等と同じように自然なことだからだ。

 何にも探求しようとしなかったら、何も興味を持たなかったらサル以下である、と女王の教室の先生は言っていましたが、今考えるとその通りだと思います。何も考えなかったら、ただボーっとテレビを見たりゲームをしたりして、知力を使うことをしなかったら。私達のそれは、体力と同様にだんだんと衰えていってしまいます。体力も筋力も知力も、日々使い続けるからこそ、日々鍛えられていくのです。


・旧来の常識から抜け出す


 でも、今までの私はこう思っていました。

・勉強は、良い学校を出て良い会社に就職できるようにするためにすることだ。

・勉強とは、難関資格を得て、待遇が良くてレアな仕事を獲得するためにすることだ。

・勉強は、しなくてはいけないものであり、嫌々でも机に座ってちゃんとやるべきことだ。

・勉強は、将来お金持ちなる為にすることだ。

 等です。特に一番上のは、日本が学歴社会なのと終身雇用で一度入った会社で人生が決まると思っていたので、そのように感じていたのです。フリーターやニートになったら損をするよ、と言われるのもそのせいでしょう。

 けれども、もうその「常識」は徐々に変わり始めています。フリーターやニートになったとしても、本人の努力次第で人生をより良くすることができますし、反対に終身雇用はだんだんと崩壊していき、定年より前に自主退職を迫られる場合だって珍しくありません。

 世の中とは常に移り変っていくものだからこそ、常識を疑い、周りではなく自分基準に考えていく必要があるのだと思いますね。


・今まで受けた教育の不備を見つけた


 私達は何かと上の世代からゆとり教育世代等と批判や揶揄をされているような気もしますが、本質はそこではなく、生きていく上で本当に大事なことを果たして教わってきたのか、ということ。確かに振り返ると社会科では、世の中の仕組みを学ぶことは出来ました。 

 でも、そもそもお金って何?どうやって増やすの?株って何?投資って何?また、大人になったらどうやってキャリアを磨くの?そもそもどうやって世の中に価値を提供してお金を稼ぐの?

 等、本当に大事なことは、あまり教育で取り上げられていないような気がします。だから社会に出たときに、学校時代に考えてきたことのギャップに苦しみますし、お金の本当の得方を知らないから今正社員で働いているところをクビにされたらもう終わりだと錯覚してしまうのです。

 教育で習ったことと実社会で必要なこととのギャップがあまりにも大きすぎるのです。 

 一部のヘッドハンティングされるような人は別として、大部分は転職で待遇が落ちるのと、ある年齢になると転職や就職がしづらくなるのも、もしかしたらそのせいかもしれません。若さやポテンシャルという価値は、私達は最初から持っています。が、その価値は年齢とともにやがて落ちていくので、その他の付加価値を上げていくよう高めていくようにしなくてはなりません。

 しかし、終身雇用前提の教育ではそれがない。中年期以降も、何歳になっても社会で活躍できるように付加価値を高めていきましょうという教育はされていません。大学や高校のキャリア教育で受けることは専ら、業界研究とES・筆記試験対策・面接指導等、その会社に採用されるための指導です。ですから、「年を取っていくこと」についてネガティブに感じ、それによって自分自身の価値が下がる、と錯覚してしまうのです。本当は違うのに。


・足りないと感じたら自ら学んでいくしかない。


 しかしながら、何も教えてもらえなかったと嘆いていても何も変わらないし、仕方ないです。大事なのは、自分で見つけたからこそ、だったら自分でやろうという姿勢です。

 いくつになっても、学ぶことはできます。失敗したって、何度でもやり直しは効きます。周りの大人達は、失敗したらろくでもない人生を歩むことになるぞ、と脅かしてくるけれど、失敗はすべきものではなく、むしろ成長の為には欠かせないものだと思っています。試行錯誤もすごく良いことだと今は思っています。

 足りないところからあるこそ、じゃあ今頑張ろうという意欲が湧いてくるのです。勉強し、向上し続けるのは、周囲に見栄を張る為でも、自分のステータスを上げて周囲に見せつける為でもありません。ひたすら自分自身の人生を良くする為です。


 もちろん、将来の子供達、それも10年20年後だったらきっともっとよりよい教育を受けられるだろうなあと羨ましいと思う心もあります。今私達がある程度のお金を出してまで学ぼうとしていることも、未来の子供達は無償で教えてもらえるのですから、羨望の目で見てしまうのです。

 けれども、過去のことを嘆いていたって仕方ありません。もう過ぎてしまったことなのですから。取り返せないことをいつまでも悔やんだり不平を言ったりするのではなく、その足りない部分を見つけ、自分でそれを埋めていくこと。あるいは付け足していくこと。

 足りないところがあるからこそ、困っているからこそ、自分でそれを解決しようという意欲が湧いてくるのです。いわゆる原動力っていうものですね!


 さあ、挑戦すれば、人生は変わる。こう信じているからこそ、たとえその挑戦が失敗だったとしても、私は胸を張って生きていき、この先もこうしてnoteを綴っていきたいです。多分これは家で書くような日記とあまり変わらないような気もするのですけれどもね。けど、こうして書いていくことで、たまたま訪れてきてくれた皆さんに読んで頂けて、一緒に何か共有出来たらなあとも思っています。


 尤、今の年を考えたら、まだまだ柔らかい頭をしていますので、もしかしたら考え方が変わるかもしれません。今まではAだ!と言っていたのに、急にBがいい!等と言い出したり等。

 そんな私ですが、今までさんざん荒れてきたような気もしますが、これからもどうか見守ってくさるよう、よろしくお願いします。


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