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日々是妄想: お盆雑感

お盆に戻ってきた御霊に今の世界はどう見えるのだろう…。

両親を看取って何回目かのお盆も終わり、御霊にはお帰り頂かなければならない。果たして戻ってきてくれたのかは疑問だけど何処かにいて見守っていたかも知れない。ここには一回しか来てないから迷ったかもだけど。

どうもこの不調な感じはママだね。ママが逝った時と同じ。まだわかってないのかと思うとため息が出る。速やかに彼岸の向こうにお帰り頂きたい。ママの居場所はもうこっちじゃないのよ。
あれもこれも怖がるばかりで外に目を向けず、変化を知ろうとせず、お陰でこっちはえらい目にあった。頑なにステレオタイプに拘り、出来ない=知りたくない、覚えられない。出来なかったらみっともない。笑われたくない。
最後は介護されていることすら、素直に認めようとしなかったから衝突することも多かったし、その都度心が離れていった。
そんな母親の頑固さに呆れ果てたから、ケアマネに私は出来る限り関わりたくないので、公的支援で何とかして欲しいと言い切った。どちらにせよ、年を追うごとに私の負担は増えたことに変わりはなかったけど。

母性本能と同様、親孝行も標準装備ではない。それを前提にした制度は間違っていると敢えて言う。誰がそれを担うのかをよく考えて欲しい。特に介護は第三者のプロに任せるのが一番。家族は笑って会える時間だけ一緒に過ごせば良いんだから。

今思い返しても、私にとっての介護は長女の義務でしかなかった。そもそも親孝行なんぞ3歳までの可愛さで終わってる。今更、どうだって言うんだというのが本心。
元々あった距離感が介護で縮まることはなく、そのままだったからこそ、最後に私が強制終了ボタンも押せた。そのことは今でも間違っていたとは思っていないし後悔もない。でも、微かにささくれくらいは残った気がする。

15歳のまま成長が止まったところがある娘に言いたいことは山ほどあるかも知れないけど、聞く耳はないから。それはあの頃から変わらず😅
そう言えば2人がどうやって出会ったか聞いたことはなかった。2人にも青春はあったはず。戦中戦後の大変な時代だったにせよ、生きることを選んだ。
パパ、負け戦で死ぬことなく生きながらえたのは立派だった。なんだかんだ言っても負けは負け。どこかでパパはそれを取り返そうとしてたんだね。この国のトラウマになってる負け戦。見ないふりしすぎだよね。

それでも2人が生きる選択をしてくれたお陰で不良娘がこの世に生を受け、最終的に看取りもしたので納得して成仏して頂きたい。私にできることはやったけど、もっと違うアプローチもあったかも知れない。でも自分がキレて壊れたりしなかったことで良しとしたよ。

戦後を生き抜いて私に人生という修行の場を与えてくれたことに感謝してる。土砂降りもあるけど、台風一過みたいな青空が見えることもある。所詮、禍福は糾える縄の如し。もう少しこっちで過ごしたいと思ってるので大人しく見守って。

ではYouTubeで般若心経流すので、速やかにお戻りくださいまし🙏
パパ、ちゃんとママを連れて戻って。ママはぐずぐず言わない。文句ばっかり言ってると置いていかれるよ。はい、さようなら👋🏻

両親の婚礼写真…だと思う。
昭和30年頃と思われるけど定かじゃない。




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