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アフロ民藝ってなに?@森美術館

暑過ぎて家に篭るの巻

気温36℃は私の平均体温より高い…そして体感温度50度って…なにそれ?
家にいる方が安全であることは間違いない、特にシニアは😅
ならば次の民藝講座の予習も兼ねて、届いていたけどほぼ積読の『アフロ民藝』図録をしっかり読むことにして手に取ったら、思いがけず2011年にMET で観た「アレキサンダー・マックイーン サベージ・ビューティー」に繋がった❗️
今頃になってそういうことだったかと気づいたので忘れないように書き出しておくことにした。

注文して届くも、積読になっていた…

まず、アフロ民藝とは何かを知るためには、アメリカにおける黒人の歴史から、柳宗悦の民藝に関する概念、常滑における産業の歴史とか、はっきり言って途方もない時空を理解する必要があった。ゲイツが架空の人物を創造しその人生を辿るように展示を紡いだ理由は、その複雑さを集約するためでもあったと思われる。抑圧され歴史から排除された人々への眼差しは展示からも薄々感じられたけど、これほど複雑とは思わなかった。
以前、民藝の講義で講師が暮らし寄りの心地よい民藝に対する批判的な視点の意味が、やっとわかる気がした。今更ですけど…。

“以下、アフロ民藝解説より抜粋要約

美が用いられ方次第で醜となり、醜が用いられ方次第で美となる 中略 美と醜が互いに切り離されずにあるこの世界全体を輝かしいものとして受け入れる視点…
美醜の二項対立の彼岸、それこそが「無有美醜」という視点でありアフロ民藝に繋がる。”

こんなくだりを読んで、あ!と閃いた。これってマックイーンの伝えたかった視点と同じではないのか?
彼は有名なファッションデザイナーであり、サビルロウ出身の職人でもあった。彼のショーはある意味で奇妙で、グロテスクな部分が時として物議を醸すこともあるほどセンセーショナルだった。
その彼は美について以下のように述べている。

“Beauty can come from the strangest of places, even the most disgusting places.
It’s the ugly things I notice more, because other people tend to ignore the ugly things.”
美しさは最も奇妙な場所、最も嫌な場所からも生まれる。人は醜さを無視する傾向にあるけれど、私はそこにもっとも注目する。

メトロポリタン美術館発行
アレクサンダー・マックィーン図録より引用
メトロポリタン美術館発行
アレクサンダー・マックィーン図録より引用
最後のページの一文。grotesqueも美学の分野だと知った。

実際、マックイーンは世間一般の美の基準に対し批判的に抗うことを、自分が創り出すファッションを通してやって見せたと思う。特にショーでは芸術としての表現をぎりぎりまで追求したがゆえのセンセーショナルであり、これこそ「無有美醜」ではないのか?
民藝、芸術、ファッション…分野は違っても共通する概念…うまく説明できないけど、共通する筋が感覚的に見える気がした。

「綺麗は汚ない、汚ないは綺麗」『マクベス』冒頭、魔女の台詞を思い出す。

ゲイツは自分のアイデンティティ、出自を深く掘り下げた人である。そこにはアフリカ系アメリカ人という特殊な事情があった。奴隷として連れてこられた黒人にとって、奴隷以前の祖先伝来の歴史はとても見えづらくなっている事実。
常滑で陶芸を通して繋がるルーツを見いだすにはどれほどの学びを必要としたのだろうか。
アイデンティティと帰属について、無意識のうちに意識していない自分には理解するのが難しいけれど、芸術を学ぶのであれば、歴史と同じように意識する必要があるとも思えた。
貧乏徳利にわざわざ、自分のプロジェクト名を入れる意味。まさかそこに識字を学ぶことも許されなかった黒人の歴史が絡むとは。付加価値をつけるだけの単純な意味ではないと知った。
自分にとって、知的好奇心と学びが繋がる感覚は何よりも楽しい。

アフロ民藝、思ったよりも奥が深かった。次の民藝の講義が楽しみ過ぎる😊
あと、アフロ民藝DJナイトも体験したい。あのカウンターにもたれ、日本酒を舐めながら音楽に合わせ、身体を動かせたら相当気分いいだろうなぁ😉
などと思っている。

ここでDJナイトは楽しそう!行こうかな😉

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