見出し画像

レモンとてがみ

30歳を過ぎてから、「これから私一人で生きていくのかも……。」って思い始めた。東京の商社で営業として働いて10年を過ぎた。1人でも生きていける収入はギリギリある。
広島の田舎で育った私は、実家に帰省するたびに親戚から結婚の予定を聞かれるのが嫌で、この1〜2年帰るのをやめていた。年下の従兄弟に赤ちゃんができたと聞いて嬉しいと思うけど、名前がもう覚えられない。
4年付き合っている彼氏は、結婚願望がないに等しい。おまけに4年間のうち1年は北海道と東京の遠距離で交通費の捻出も厳しく、今年何もなかったら別れるのかな……という思いが私の頭のなかをグルグルまわっていた。

***             

20年10月、新型コロナウィルスの流行が比較的収まり、GOTOトラベルが始るなか、半年ぶりに彼が東京にきた。
「結婚しようか」
え……。それは今までずっと待っていた言葉だったけど、いざ現実となると嬉しいというよりは、温かいものが沁みてくる感覚だった。
世間は少しずつ動き出していたけれど、私たちは結婚式をやる気分にはなれなかったので、グリーンで溢れる小さなスタジオで写真だけ撮ることにした。
母親にラインで写真を1枚送ると、弟や叔母さんに一瞬で拡散されていた。

***

最後に広島に戻ったのはいつだっけ。30歳過ぎても、別れ際にくちゃくちゃの1万円札を私のカバンに突っ込んで「また帰っておいで」という両親。

母は老人介護施設で保健婦をしている。医療従事者というわけではないが、田舎のセンターでクラスターが起きると大ごとなので、感染症対策を徹底しこの1年間全く外食をしていない。父は私が大学生の時に大病をしており、喘息の持病を持っている。
ドレス姿を一番に見せたかった人に届けられないもどかしさから、私は両親に手紙をかくことにした。

***

両親への手紙は記憶する限り書いたことがない。
昔教師をしていた父は躾が厳しくて、それが嫌で大学は必ず実家を出ることを決めていた。だから猛勉強して関西の国立大学に進学した。
便箋1枚のなかには、世間一般の人が結婚式の最後のスピーチで語るような両親への感謝の言葉を…とも思ったが、書いてみると自分でもびっくりするほどアッサリとした内容だった。
大人になって、生きていくこと、家族を持つこと、私にはまだいないけど子供を育てるということの大変さが初めてわかる気がする。
20代前半で私を育てた両親は、厳しさで愛情を伝えるしかなかったのかもしれない。

***

1週間後、父から荷物が届いた。中には箱いっぱいのレモン。父が実家の畑で育てているものだ。
「父さん、れもん届いたよ。ありがとう」
久々の電話にも父は声色が変わる様子もない。
「蜂蜜につけて、お湯で割って飲んだり……。」
レモンの使い方について延々に続く説明が終わったころ、最後に父が、
「手紙読んだよ、ありがとう」
とぽつりと言った。
箱の中におさまった無骨なレモンを見ながら、私たちやっぱり親子だなぁと思った。

***

この春、私は仕事を辞めて転勤族である夫の職場がある北海道へ引っ越す。
「大学は大阪、就職で東京、結婚で北海道へと北上を続ける親不孝な私を許して欲しい。」母にそうラインすると、「もう一番北まで行ったから、あとは南下するだけでしょう。また帰ってきんさい。」と一言。

北海道に着いたら、また両親に手紙をかこうと思う。


#この春やりたいこと
#手紙
#エッセイ
#日記
#両親に感謝
#繊細さん
#レモン

この記事が参加している募集

#自己紹介

230,655件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?