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私のサッカー人生はまさに『喜怒哀楽』

こんにちは。

私は今年の春から新社会人になる。

日本の教育課程の根底にある
「決められた答えを出すことが求められる社会」から

自ら答えを創り、導き出すことが求められる社会
へと進んでいく中で“発信力”や“文章力”を養いたく、noteを始めることにした。

まずは今回noteへの初投稿ということで私の“人となり”について書きたいと思う。

『あっという間だった15年間のサッカー人生

私は幼少期に2002年日韓W杯を見てサッカーを始めた。

そこから約15年間“球蹴り”に没頭した人生を歩んだ。
(今思うとあっという間だったなと感傷に浸り、、)

今回、私のサッカー人生にぴったりな四字熟語を見つけたため
各一文字ずつをテーマに書いていきたいと思う。

・『楽』をした少年団時代

私は幼稚園の年少から地元のサッカー少年団に入った。
その名も「大宮早起きサッカースポーツ少年団」。
(今考えるとネーミングセンスださすぎ。。笑)
※ちなみに全く早起きをする習慣はない

同年代には
プロサッカー選手、現役東大生、リフティング日本一(小学生時代)、デフ日本代表、大宮アルディージャユース、選手権出場校の部長、など
異彩を放つ奴が多数おり、県内ではかなりの強豪だった。

そんなチームにおいて私が常に考えていたのは
早く帰りたい』『つまらない』 
などネガティブなことばかりだった。
正直チームで一番モチベーションが低かったと思う。

結果としてチームは最後の大会で県大会ベスト8という結果に終わり、私自身の出場機会も少なかった。

県大会での敗戦の際、私はチームの負けを悔むことよりも
俺が出ていれば勝てたのに
なんで俺を出さなかったんだ
と当時のコーチに怒りをぶつけたのを覚えている。

今振り返ると自業自得だと反省しているが、少年団時代の経験が今の私の活力になっているのではないか、と感じる。

『喜』を味わった中学時代

私は中学生になり、県内の強豪のクラブチームに通うことにした。
ざっと三学年で100人以上はメンバーがいて、少年団時代に名を馳せていた選手が多く居た。
しかし当時は不安な気持ちよりも
「何としてもこのチームで活躍してやる」
と自信満々で毎日グラウンドに向かっていたのを覚えている。

当時は足の速さが学年で最も速かったため、1年生の時からトップチームの練習に混ぜてもらうことも多く、2年次にはスタメンとして出場の機会を多く頂いていた。
個人としても初の県選抜に入ることができ、その頃は「サッカーが楽しい」という思いでボールを蹴ることができていたと思う。
今振り返ると一番サッカーに“没頭していた時期”だった。

そんな中、人生最大の『喜』を味わう瞬間がやってきた。

中学最後の大会で関東大会への出場がかかる大事な一戦での出来事。
相手は春の大会で全国大会ベスト8の強豪チーム。

試合は後半ロスタイムを迎えた際には1–2のビハインド。
その時、運命の瞬間はやってきた。

私が後半ラストに同点ゴールを決めて追いついた。
また結果としてチームもPK戦で勝利を収めた。

あの時の“高揚感”と“感動”は未だに鮮明に覚えている。

チームメイト、ベンチメンバー、監督、父兄の方々、関係者全員、その場にいた全ての方と『喜』を共有したあの瞬間が今の私の

スポーツを仕事にしたい!
という想いを生んだきっかけではないか、と思う。

・『怒』を味わった高校時代

その後、私は県内の私立高校に進んだ。
理由は単純でスポーツ推薦を頂き、奨学金で入学ができたからだ。
(後にこれが最大の後悔になるのだが、、)

当時は受験勉強をすることが嫌になり、推薦を頂くと同時に第一志望だった公立校を諦め、単願で高校選択をすることにした。

この時“やらなかった後悔”を経験したことが
今の私が物事を考える際に心掛けている
やらなかった後悔よりもやって失敗した後悔の方が断然良い
に繋がっている。

その高校は校則に[恋愛禁止]を掲げており、いわゆる“青春”のような思い出は高校3年間で全くない(笑)。

唯一私が没頭できたことはやはり“部活”だった。部員も総勢150人を超えており、県内では強豪の部類に入る。

私は1年生の時から唯一学年でトップチームへの昇格チャンスを頂くこともでき、中学時代同様にサッカーに没頭できていたのではないかと思う。

そんな私に転機が起きた。

2年時に選手権のスタメンから外され、結局チームは初戦で敗北を喫し、とても悔しい想いをした。
あの時の悔しさは今でも忘れることができない。

そして最高学年となった3年次に
部長をやらせてほしい
と自ら部員全員の前で志願した。

少しやけになっていたということもあると思うが、この意思表明がなければ今の私はないと思うので、唯一過去の行ないを褒めるとすれば当時の私に
「よく言った!」と言ってやりたい(笑)。
(結局この後その選択の後悔をするのだが、、)

そして初の組織のリーダーになることになり、数々の経験をしてきた。
正直辛かったことが10割といっても過言ではない。。
(人生で初めてあそこまで精神的にやられた、、)

何が一番辛かったというと
「私の影響力不足の実感」だった。

「〇〇をしよう!」「〇〇のような組織にしていこう!」
当時は行動より先にキレイゴトのような言動ばかり先走っていた。

そんな時私に喝を入れてくれたのが恩師でもある顧問の監督だった。

まずはお前が行動しろ。一度やると決めたことはやり続けろ』と一言。

当時は反抗心むき出しだったと思うが、あの時悩んでいた私に甘い言葉ではなく、あえて厳しい言葉をかけ続けてくれたのが監督の最大の優しさであったな、と今は本当に感謝している。

結果として様々な弊害や困難があったが、チーム一丸となって全国大会優勝を掲げて日々練習に取り組むことができたとは思っている。
(結果は県大会ベスト16であえなく敗戦、、)

ただ総じて振り返ると『辛い』3年間だったな、と思う。
※ここでは近しい『怒』という表現に適用

・『哀』しい想いをした大学時代

その後、私は駒澤大学に進んだ。
理由は明確で“サッカーが強かったから”だ。
(部活動推薦ではなく指定校推薦で入学)

全国レベルの部員が集う体育会サッカー部へ入部をすることにした。

結論を初めに話すと、2年の夏に退部をした。

退部理由は
「他にやりたいことがある」「別の〇〇の道に進みたい」
などではなく単純に
“きつかったから”“サッカーへの熱が冷めたから”である。

入部をしたことも退部をしたことも後悔はない。

しかし、昨年のインカレ決勝にて準優勝をした際に部員全員が喜びを共有し、称えあっている姿を目の当たりにしたときに
「かっこいいな」「羨ましいな」「サッカーやりたいな」
と思う機会があった。

この瞬間私はやはり“感動や喜びを分かち合うことのできる最大のコンテンツ”であるスポーツが好きなんだ、と実感した。

(今後のビジョンや目標については別の機会に書くつもり)

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私はこのような人生を歩んできた。
改めて自己を客観視して分析すると自己顕示欲が高いうえの我儘人間だな、
なんて思ったり、、(笑)

私自身サッカーというコンテンツを通して数々の経験をしてきた。
改めてサッカーの神様がいればありがとう。と伝えたい。

今回は初の投稿ということで、私の15年間のサッカー人生を書いてみた。

最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。

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