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番外編 「耳をすませば」

今回は番外編です。10本に1回くらい番外編を挟もうと思います。今回、話そうと考えているのは、何故僕のような大した青春をしていない人物が圧倒的リア充映画、「耳をすませば」にはまったのか。それについて話せればと思います。

耳をすませば 1995年 監督 近藤喜文 日本

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ジブリ映画の名作中の名作!

何気ない日常を描いている、けどどこか届かない、そんな物語です。

僕自身、ジブリの中で一番好きな作品となっています。

深夜に見たのもあって、観終わった後何とも言えない気持ちになりました。

何故なら、あのような甘酸っぱい青春など味わったことがなかったから。

うらやましい気持ちでいっぱいになったんですよね。

真夏の校舎、図書館での受験勉強、何かに一生懸命に打ち込んでいる姿。学校の帰り道。どこか懐かしい裏道。長い階段。ひっそりとたたずむ神社。

主人公 月島雫が中学3年生なので、自分が中学3年生のころを思い出すんですよね。6月ごろに部活が終わって。夏休みは学校や塾で勉強して。自分ちの近くの図書館に思いをはせたり。友達と話しながら下校したり。懐かしいなぁって思うんですよ。

でも月島雫のような青春は出来てないんですよ。中学時代はそんなものとは無縁の生活を送っていましたからね。

完全に嫉妬なんです。この映画の好さって。懐かしさも少しあると思いますが、あの映画に嫉妬を感じない人は人生の全てがうまく回っているとしか思えません(笑)

心の底から夢を追いかけ、それがすべてうまくいき、恋愛面も充実、何かに没頭できた過去を持つ。自分だけの憩いの場所、秘密基地を持っていた、そんな学生時代。あってたまりません。

僕自身、夢を追いかけ、挫折した過去を持っています。おそらく大半の人が挫折した過去があると思います。夢を追いかけ挫折して中には諦めた人もいる。むしろそっちのほうが多いはず。

でもこの映画の中では、月島雫と天沢聖司と2人の登場人物が夢に向かって純粋無垢に奔走している姿を探すことができるんです。目をキラキラさせて試行錯誤をしているんです。

小説を書く月野雫、バイオリン職人、天沢聖司。


夢を追いかける2人と同時進行で描かれるのは、物語の舞台となっている、多摩地区の開発です。昔懐かしい自然が消えていき、コンクリートだらけになる、そんな状況を揶揄して、雫が「コンクリートロード」なんて歌ってますね。

そして雫はいうわけです。「故郷って、なんだかわからない」って。

僕自身にも皆にも生まれ育った故郷があるわけです。

でもそんな故郷はいつまでも同じ姿でいてくれない。

きっとみんなの住んでる故郷だって変わっていくわけです。

そんな故郷を背に。皆それぞれの目標を持って旅に出るのです。

バイオリン職人の修業をしに、イタリアに行く天沢聖司のように。


要するに「耳をすませば」はノスタルジアまみれなんです。だから僕みたいな非リア充がこの映画を観て、嫉妬して、いつまでも同じ表情をしてくれない故郷に帰りたくなって、どこか懐かしく感じて。あの時こうしとけば。ああしとけば。そんな感情が非リア充だからこそより多く見えてくるわけです。後悔だって思い出なんですよ。きっとすべてが充実している人に見えない世界があるんです。その見えない世界があるからこそ、「耳をすませば」という作品がより面白く感じるのです。


僕はすべての感情のなかで懐かしさこそが一番の良い感情だと思っています。

人生の全てが集約された感情だからです。

怒り・悲しみ・喜び・嫉妬はあくまで一時的な感情でしかありません。しかし、懐かしさは自分が積み上げてきた過去があって初めて形成される感情。怒りなどの感情とは積み上げてきたものが違うわけです。そして本当に1人1人感じ方が違う。人生が1人1人違うように。

だからすべての経験こそが懐かしさをより進化させる。

より上質な懐かしさを感じれるよう、すべての嫌な感情も良い感情も懐かしさに変わるように。より多くの五感を懐かしさに変えられるように。何気ない日常がのちに懐かしさとしてふと蘇るように。そんな懐かしさ、感情を少しでも多く記せるように。このブログを書いているわけです。

圧倒的リア充映画「耳をすませば」

作品を掘り下げてみると、うらやましいという感情以外にも、色々な感情が見え隠れしていました。どうかその感情を大切にして、こぼれないように掬ってみてください。

それでは皆さん、さよなら、さよなら、さよなら。



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