サステナビリティ経営は甘くない 眼光紙背 7月12日

要約

日本の経営者の中でサステナビリティ経営やステークホルダー経営の意味を取り違えている人がいるようだ。日本の従業員の満足度は低く女性があまり活躍していない現状で今のままの経営方式でいていいのか、改革が求められる。

感想

 「舞姫」という作品はご存知であると思う。最近授業で読んだのだがとても興味深いことを示唆している作品である。主人公の豊太郎はエリートで更に出世して自分の家名を上げてやるぞと意気揚々としてドイツに留学する。そこでエリスという踊りで生計を立てている少女に会う。そこで恋をし子供ができる。しかしこのことが日本の役人の目に止まり解雇される。そこで助けてくれたのが古くからの友人である相澤。相澤は職を与え豊太郎に出世してエリスと別れ日本に変えることを促す。その言葉に豊太郎はyesと即決する。エリスと親密になり子供さえいるのにだ。
 このことは豊太郎はエリスよりも自分の出世、日本の友達を選んだことを意味する。エリスと親密になりドイツの自由な気風にさらされたとき自分に自我が芽生えて自分のやりたいことが見つかったと思っていたのにこの自我は偽物であることに気づく。そして結局日本、自分のふるさとのほうが大事であったことに気づく。
 ここで下図。B君視点で考える。そしてB君には好きな人がいて隠している。しかしそのことを見抜いたAくんとCくんがいて、CくんはBくんに本当かずっと聞いてくる。(教えてよ「だって友達だから」)。一方でAくんは聞いてこない。不思議に思ったBくんはその理由を聞く。するとAくんは(聞かないよ「だって友達だから」)。
 ここにはAくんとCくんの間に自分の範囲に差が生じている。Cくんは同胞意識、集団で一人と考えているのに対しAくんは個人は個人ときっぱり分けている。この現象は舞姫でも起きていて豊太郎はA君つまりドイツのエリスと自分の意志で付き合ったがC君つまり日本や相澤との同胞意識に負け日本に帰ることになる。そしてこの意識はずっと日本人の中で苦難を引き起こしている。そして森鴎外は100年前にこのことを発見していた。

 昔日本人は会社の中で年功序列とともに会社の中で同胞意識を持っていた。 しかしこの体制が崩れ日本人は何を拠り所にすればいいのかわからなくなっている可能性がある。家族というのも拠り所になっているかもしれないが会社がat homeだったときの感覚と比べると幸福度が低くなる可能性は頷けるのではないか。
 会社も経営方法を変えつつ私達も自分を見直していかなくてはならないと思う。

ん、「友達だから漫画よこせ」のジャイアンはC君で、「可哀想よ、その漫画はのび太さんのよ」と言っているしずかちゃんはA君になるということか?。ここにも隠されていたのか、ぬぬぬ。
 アニメのしずかちゃんはジャイアンの同胞意識が強すぎてエスカレートしないように警備をし映画のしずかちゃんはみんなと力を合わせて、同胞意識から抜けてしまいそうなスネ夫を警備する。この同胞意識というものも時と場合によって変化する。ドラえもんのあの5人が異彩を放っているのはこの意識の変化が鮮やかに書き分けられ面白く仕立てられているからなのかもしれない。

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