見出し画像

24歳、鬱病になる。ー㊻夢

私24歳にして、今年2023年の1月に鬱病と診断を受けました。

鬱病になった私に起きたことや、そこから立ち直れるにようになるまでの姿を、自分なりに整理して、書き起こしてみたいと思います。

自分のために、そして同じような境遇の人の何かの一助になればよいなと思っております。


前回の記事では、疲労困憊で仕事に手につかない状態であることを母親に相談すると「とりあえず寝て休みなさい」と言われたことを書きました。今回は、母の忠告を受けて眠りについた後のことを書き記していきたいと思います。

・・・

次の日、私は校舎に出勤していました。そこには、1つ上の先輩社員と常務の姿がありました。

私はそのまま常務へに向かってつかつか・・・・と近づいていきました。そして常務の前まで来ると、口を開きました。

「もう限界です!もうあなたにも、こんな会社にも、うんざりです!今日で辞めさせてもらいます!」ときっぱりとした口調で私は言いました。

その言葉は受けて常務はうろたえていました。そして目をきょろきょろと泳がせた後、その場でうなだれるように倒れ込んでしまいました。

そんな常務の姿を背にして、私はまっすぐへと校舎の出口へと進んでいきました。その時、先輩社員と目が合いました。

先輩は私に一言、「これでよかったな」と優しい笑顔を向けてくれました。

「はい、ありがとうございます」と私は言って、校舎を後にしました。

校舎を出ると、母が車を止めて私を待ってくれていました。車に私が乗り込むと、母は「これでゆっくりできるわね」と声を掛けてくれました。

私は母の目を見て「うん、ありがとね」と言いました。その後、母は車を発進させました。

後ろを振り返ると、今まで働いてきた校舎の姿がだんだん小さくなっていきました。その光景を見ながら、私は身体がようやく軽くなっていく感覚を覚えました。

「やっと解放された」と思いながら、前を向き直し、通り過ぎていく外の景色を眺めました。すると、次第にその光景が歪んでいくのを感じました。それは車の速度によって景色が変に見えるのとは違っていました。渦のようになって、景色が実際に歪んでいったのです。

「おかしいな、疲れているのかな?」と思いました。その時になって、心の中に疑問が浮かんできました。「そういえば、どうやって校舎まで来たのだろうか?」車で帰っているのだから、きっと母に送ってきてもらっているのだろうと思いますが、そんな先程までの記憶が私にはありませんでした。第一、なぜ働いている時間のはずの母が今、私を乗せて車を運転しているのだろうか?という事の事情が全く分かりませんでした。

考えてみれば、「寝て休みなさい」と言われて布団に戻ってから、起きた記憶がありませんでした。どういった経緯で退職を決めたのかという過程の記憶も一切ありませんでした。

そんな疑問が泉のように私の心のなかを埋め尽くしていきました。

もしかして、これは…

そう思った瞬間に、私は目を覚ましました。


記事のバックナンバーなどは、こちらのマガジンでまとめていきます。