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「がんばる」精神の弊害
最近、
「がんばらなくていいからね」
という母の言葉は
「じゃぁまたね」
と同義語になっている。
…
幼い頃から、「がんばりなさい」という母の言葉には強い圧があった。だから、決して優等生ではない私だったけれど、世間体を気にしがちな母を不満にさせない程度に努力してきたつもりだ。
それは、何かにつけて母とぶつかっていた姉を見てきたからだ。どういうことをしたら母が不機嫌になるかを知ることができるのが、妹という特権かもしれない。
部活も受験も就職も、自分のためというよりも母の理想(世間体)に少しでも近づくためだったように振り返る。父も母と同じく厳しいほうだったものの、とやかく言う人ではなかったから、無意識に母の顔色をうかがいながら育ってきた。
やがてそれは「親を心配させたくない」という思いに変化し、社会人になって残業で終電になる日が続いても、理不尽な社会に嫌気が差しても、母に弱音を吐くことは一切しなかった。
…
2020年初夏、私は仕事にプライベートに複数の要因が重なり、心を壊してしまった。食欲も気力も失い、友人の勧めで心療クリニックに通い始めていた。
そんな最中、母に誘われて都内で会った時のことだ。会うこと自体、特別な機会ではなく、その日も自分の状況を積極的に話す予定にもしていなかった。
ふいに「仕事大変なの?」と聞かれたときに「いろいろと大変でね」程度で終わらそうとしたところで、母は続けて私にこう告げてきたのだ。
「もうがんばらなくていいのよ」
母がそのような言葉を掛けてくるとは全く思ってもみなかった。私はその瞬間、全身の血液が胸に集まってくるのを感じた。同時に、あふれ出す感情と涙を抑えることができなかった。
社会人になってから二十数年、母の前で涙を見せたことはなかったように記憶する。どんなにつらくても「心配させたくない」という思いが強かったからだ。
幼い頃から「がんばりなさい」と言われて育ってきて、誰に言われなくとも自ずと「がんばらなければならない」という性格が形成されていた。
けれど、その頃の私はどうにも動かせられない問題が立ちはだかっていた。すぐ諦められればラクなのだけれど、私の場合はとにかくその場に留まりもがき苦しんでしまう。体内に熱がこもり脱水症状になってしまうのと似たように、胸の中のドロドロとしたモノがこもり心身が機能不全になっていた。
その渦中での「がんばらなくていい」という母の言葉は、私にとってどれほど高名な医者の診断よりも救われた。
「がんばらなければならない」に支配されていた私は、ようやくその支配から解放されたような気がした。
私は人の子の親になったことがないため、自分の子供への期待、心配、不満、悦びなどがどのような心情レベルかわからない。いずれにしても子の幸せを思ってのことというのはわかるものの、親は静かに見守るしかない。そうそう親の思いどおりにはいかない。子は親の希望を歩むものではなく、子は子の人生だから。
それでも、最近の母は事あるごとに
「がんばらなくていいからね」
と告げてくる。
何だか長年のがんばりをようやく認めてくれているようで安心する。しかし、親の言葉はいくつになっても意識し過ぎてしまうものだ。そのくらい、言葉にはそれなりのチカラがある。
大丈夫。
いまは自分のために、自分のペースでがんばるから。
そう思っていても、言葉にはしない。
「うん、わかったよ」
その返事のほうが、母を少しでも安心させられることを知っているから。
ただ、どのような状況にも、どストレートに真正面からぶつかっていってしまう性分は、どうにかしたいものだ。責任感の強さも、両親ゆずり。
40代になっても、世渡り下手な私はまだまだ未熟者だと痛感する。
また今度、心の整理ができたら、この理不尽な社会をどう攻略しながら生きていくか、自身の身の振り方について書き残したい。
すべては自分のために。