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小説「素ナイパー」第5話

 立地や交通の便を考えると、東京都狛江市の街は殺し屋が住むのには最適だ。

 一線を越えた人間の醸し出す独特な雰囲気は、他人に関心を持たない現代人でも気づく。闇を背負った者の瞳は、人間の第六感の危険察知能力を刺激するものだ。
 だから狛江のように都内でありながら自然が残り隣人との距離がそれなりにある街は人と交わる確率も低く殺し屋が潜伏もしくは暮らすには理想的なのだ。


 風通しの良い住宅街に囲まれ小学校の横にあるいわゆる「コーポ」と呼べる鉄筋で出来たアパートの2階に今回の標的は住んでいた。
 部屋の間取りは十四畳の広めのワンルーム。バス、トイレ別。家賃8万5千円。
午後6時を過ぎると周辺の人通りは極端に少なくなる。外灯は10メートルおきに立っていたが、ハロゲン灯ではないので道は暗い。
 さらに標的の部屋は角部屋でその隣には誰も住んでいなく下には大家である初老の女性が一人で暮らしているだけで殺し屋が住むには素晴らしい環境が整っていた。

 いつものようにターゲットの部屋から半径5百メートルに住む住民達の生活パターンはすべて調査済みだった。あとはターゲットの生活リズムを調査し一番油断しているところで早々と仕事を実行するだけなのだが、今回はさらに慎重さが必要とされた。相手が同じプロの殺し屋の可能性があったからだ。

 
 標的の名は武井音羅と言った。いや、それはその男の住んでいる部屋の名義の名前であるだけで本当の名前ではないだろう。三つ前の偽名までは掴めたが、本名までは調べがつかなかった。

依頼人はとあるヤクザの若頭だった。1年前。武井音羅はある仕事を引き受けた。依頼主の若頭の父親だった組長を植物人間にするというものだった。
 武井に依頼してきたのはその組の叩き上げの幹部だった。両手の小指と右手の中指はなく数度の刑務所暮らしを経験していて、今では珍しい「後戻り」という言葉を捨て覚悟と出世に命を掛けているような男だ。
 跡目争いで若頭と対立していたその男は当時、組の半分以上の勢力を誇っていたがやがて訪れる後継者争いの際に残りの派閥に血筋の議論を叩きつけられることを恐れていた。 

 息子がいるのなら、その息子を他の幹部が推薦することは目に見えていた。武力ではどうしようもない「血筋」という壁を目の前にした男は、遺言状を書かれる前に組長を消してしまおうと考えた。
 しかし普通に殺してしまうと自分が疑われるのは確実だった。ただでさえ血筋贔屓の幹部との折り合いは悪い。
 考えた挙句、彼は殺す事を諦めた。しかしその瞬間にあるアイデアを思いついた。殺さずに生かして、思考させないようにすればいいのだと。
 男は毒殺を得意とするプロを探した。ゆっくりと誰にも気付かれないで自然に衰弱させてゆく方法を持つ殺し屋。そこでリストアップされたのが武井音羅だった。ちなみにその時の名前は安藤圭と言った。
 武井は何処にも属さないフリーの殺し屋で医学的知識を利用した毒殺を得意としていた。元々医者であったらしいが突き止めた偽名のどれも医師会に登録されていなかった。
 殺し屋としてのキャリアは浅いようだったが、仕事の評判は上々だった。彼の狙った標的はある日突然その命を失くすと。
 なるべく外傷を与えずに実行する事を求めていた男にとって、その殺しのやり方はまさに探していたものだった。

 依頼を受けた武井は毒薬にヘムロックを選んだ。いわゆる毒人参でその効果は緩慢で少しずつ相手を弱らせていくのに最適なものだった。
 ヘムロックを少しずつ組長の食事に混ぜて衰弱させるというのが男の殺しの筋書きだった。そのために組長の世話をする組員数名と愛人を買収した。
 計画はうまくいった。武井から仕入れたヘムロックを組員と愛人は組長に与え続けた。日に日に衰弱していった組長はやがて意識不明の重体となり植物人間と化した。その時点で武井は金を受け取り姿を消した。

 組長が床に伏せると男は順調に勢力を増やしていった。もちろんその間も組長の監視は怠らなかった。無理やりに手を動かせて遺言状を書かれてはたまったものではない。
 やがて跡目に関する話し合いが始まった。床に伏せたままの組長を頭にしておくのは組のメンツが立たないと男が提言したのだ。
 8割の幹部は男を次の跡目に押した。残り2割の血縁の幹部達にはなす術はないように思えた。しかし、ただのボンボンだと思われた若頭は脳無しではなかった。
若頭は父親の緩やかな体調変化を不審に思い秘密裏に父親の身体を調べた。そして、毒を盛られていたことがわかると愛人と世話人であった組員を拷問にかけ全てを吐かせた。

 買収されていた幹部達は愛人が秘部に焼棒を突き刺されたまますべてを白状する映像を見せられると若頭の残忍さを知りすぐに寝返った。そして男は権力を失い生きたままドラム缶に入れられ海の底に沈められた。
 しかし若頭は抜け目のない男だった。跡目を継ぐと、いつか自分も同じように毒を盛られないようにと武井の処刑を沖田家に依頼してきたのだ。
 

 直哉達は武井の部屋の窓側と扉側に一軒ずつ部屋を借りこの三日間、様子を伺っていた。

 「ねえ。大丈夫よ。あんな弱そうな男。もうやっちゃいましょうよ」

 ドア側の部屋で張り込んでいる姉の里香がトランシーバーで源次郎に訴えた。里香は3日も風呂無しのアパートに缶詰でまたイラついていた。しかし窓側の部屋で直哉といる源次郎は何の反応も返さなかった。
 源次郎はカーテンも閉めずにテレビを見ている武井を注意深く見つめていた。その眼光は銃さえ持っていれば完全なスナイパーのものだった。隣にいる直哉も源次郎の眼差しにつられるようにして武井を見つめていた。
 色白でガリガリの武井は確かにすぐに殺せそうではあった。しかし得体はしれない。長年の経験から相手の力量を図る源次郎の目利きによって、相手の技量を測っているのだ。この結果が外れたことはない。
 数時間後、突然源次郎が武井から目を離し力が抜けたように座り込んだ。

 「直哉よ。大丈夫じゃ。いつでも里香と二人でいっていいぞ」
 

 直哉には突然の源次郎の脱力の理由がわからなかった。

 「え?なんで?どうゆう事?」
 「ああ。あいつは素人じゃ。ただの医者崩れかなんかじゃろう」
 「なんでそんなんがわかんの?」
 「一昨日も、昨日も、今日もな。わしはあいつに視線を送ってたんじゃ。
殺意を込めて。しかしあいつは全く何も気付きゃせんかった。ずーっとテレビ見たまんまだった。プロならこんな近くで殺気をおくられたら数秒で気付く。つまりあいつは何の訓練も積んでない薬だけに詳しいだけのアマチュアなんじゃ」
「じゃあ殺っても?」
「ああ。いいぞ」

 その会話をレシーバー越しに聞いていた里香が「オーケー。じゃあ私1人で行くわ」と意気揚々と言った。しかし「いや2人で行きなさい。念のためな」と源次郎に諭されたため里香はかなり大きな舌打ちをした。

 「じゃあ直哉。サポートね」

 不機嫌に言うと里香は直哉が手順を聞こうとする前にレシーバーの電源を切り外に出て行ってしまった。

 「なんだよ!」

 直哉も急いで外に出た。源次郎はそんな二人を見て嬉しそうに微笑んでいた。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。