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失恋と涙腺の関係

以前にこのnoteで失恋した後輩君のことをチラッと書きました。朝方のとあるBarのカウンターで、30代の僕らを目の前にしておいおい泣く姿には清々しささえ感じたものです。

ふと、その時のことを思い出して、僕自身は若い頃に失恋で泣いたことはあったかなあと。結論から書いてしまうとないのです。もちろん、僕は一つ一つの恋に本気で、フラれたりした時には泣きたいほど悲しいわけです。でも、なぜか涙腺はパカーンと開かないのです。

こちらの小説「鎗ヶ崎の交差点」(絶賛第二稿執筆中です!)のモデルになった恋愛が終わった時も、立ち直れないかと思うほど悲しかった。でも涙は出なかった。意地を張っている訳でもなく、感情がないわけでもないのに、何故だろうと。

もしかしたら、おいおい泣いた後輩にとっての失恋は相手の死と同じくらい思いものなのかもしれないなあと。僕が泣く時は、親族や友人や飼っている犬が亡くなった時で、彼にとっての失恋は二度と会えないこととイコールだからこそ涙がでるのではないかと。

そう考えると、後輩君、重く受け止めすぎだぞ・・・生きていれば、もしかしたらまた会えるかもしれないぞ・・・と言ってやろうと思ったら、あっさり彼女ができましたと連絡が・・・うーん。切り替え早し。それが若さですね。





僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。