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小説「素ナイパー」第16話

 知子と再会したニューヨーク最後の日。直哉は父の淳也から「次の仕事から1人でいい」と告げられた。おそらくこの数ヶ月の二人の旅は社会人に例えて言うなら上司との研修ツアーだったのだろう。
 実はいくつかの試験が仕事の中に設置されていて淳也はそれに相対した時の直哉の行動を細かく見ていたのかもしれない。

 「ただ、お前はまだ詰めの甘いところがある。黒人を拘束する時もそうだ。予想外の事態を常に頭の中でシュミレーションして、それに対する対応を考えておく事を忘れるな」

 一人での海外での仕事に不安はなかった。常に緊張感を発している父親が横にいると休むべき時でも休む事ができなかったのでむしろ気楽だった。

 初夏のマドリードは湿気もなく気持ちの良い気候だった。地中海の海の幸を使ったタパスはどれも美味く、街もラテン系の人種の陽気さを表すように活気がありニューヨークに向けて弾む自分の心にリンクしているように思えた。
 遅い昼食を食べ何処に行くでもなく街を散策した後、夕暮れを迎えると直哉はスペイン広場から程近いグラン・ビアという地区に向かった。
 様々なブランドショップが並ぶ一体は一見安全そうに見えるが、小さな路地に入ると人気は少なく犯罪も多い。そのため観光客は注意して歩かなくてはならない。
しかし直哉はグラン・ビア通りからシルバ通りを左折し平然と裏通りに入っていった。

 ロシアの血が混じった彫りの深い顔はこういうときに便利だとつくづく思う。移民が多い国ならば現地の人間と思われ面倒な事件を免れることができるからだ。
 いくつかの路地を曲がった後、通り沿いにある古びアパートの中に入った。そして人の気配に注意しながら屋上に辿り着くと黒ずんだ埃だらけの床に敷いておいたビニールシートの上にうつ伏せに横たわり路地を眺めた。

 時が経つに連れ、少しずつに冷たくなってゆく緩い風の中で1時間程待っていると路地に数人の若者が集まりだした。
 若者達はいわゆる日本で言う「ヤンキー」のようなもので迷い込んだ観光客から金をせしめるのが仕事だ。皆、破れたジーンズや色あせたTシャツを着ている。
(日本のヤンキー達とは違い、生活のためにこんな事をやっているのだろうな)
と考えると、ここ数日の間に何件か見た強盗の現場にも同情心が生まれずにはいられなかった。

 若者達はいつものように持ってきていたボールでサッカーを始めた。ストリートサッカーに熱中する子供を装って迷い込んで来た観光客を油断させるためだ。
 そして今日もまた買い物袋をぶら下げた観光客が現れた。おそらく東欧系と思われる中年女性の二人組みは、サッカーをする彼らに気にせず旅行ガイドの本に熱中していた。

 ヤンキー達は目配せをしボールを蹴りながら彼女たちを囲んでいく。そして陣形の真ん中に二人が入るとわざと蹴り損じをして観光客の前にボールを転がした。

 「すいません。とってくれますか?」

 片言の英語で言うと観光客の一人が笑顔で応じ両腕の買い物袋を地面に置きボールを拾い上げた。

 それと同時に彼らは観光客二人を狭い円を作り取り囲んだ。するとさっきまでにこやかだった全員が急に険しい顔つきをしスペイン語で観光客を怒鳴り始めた。女性二人は怯え慄いた表情を浮かべた。

 「OK、SORRY、SORRY」

 意味も分からぬまままくし立ててくる若者になす術なく、観光客は同じ単語を何回も繰り返すしかなかった。
 周りを取り囲む若者たちはただ睨みを効かせてそれを見ている。やがてリーダーの若者がジェスチャーを交えて喋り始めた。直哉はここからの彼の行動が好きだ。

 観光客が持っている買い物袋とハンドバッグと地面を交互に指差し「それを置いて行け」と繰り返す。言葉は喋れないので行動で示しているのだ。
 その下手くそなダンスをしているような姿は、傍から見ていると間抜け以外の何者でもなかった。ただ、さらに間抜けなのはその迫力に圧倒され持物を置いてしまう観光客達だ。
 今回も例外なく二人の観光客は地面に荷物を置いた。すると今度は腕を左右に振り泥鰌すくいのような仕草をし始めた。

 「早くここから立ち去れ」

 というジェスチャーだ。スカートが捲くり上がるくらいの風を起こすその仕草で、観光客二人は走って路地から逃げ出した。
 その途端に睨みを効かせていた仲間達の表情は綻び、暗い路地に歓声と笑い声が響いた。
 仕事の成功を喜んだ彼らは買い物袋の中身を物色し、バッグの中の金を均等に分け合った。そして散り散りになってそれぞれの家に帰って行った。

 ヤンキーグループのリーダーの男の名はルイス・フレオと言った。彼が直哉の今回の標的だ。年齢は16歳。
 彼は昔からこのように強盗をやっていたわけではない。ついこの間までは本気でサッカー選手を夢見て練習に励む真面目な少年だった。
 しかし高校に入学してからすぐにサッカーを辞めた。それはくしくも母親がサッカーと勉学をフレオに続けさせようと無理して高校に進学させた事が原因だった。

 「高校に行きなさい」

 その言葉を母親から聞いた時フレオは素直に喜んだ。これでサッカーを続けられる。もしそれがダメでも、勉強をして大学に行けば将来的には母を楽させる事が出来ると。
 しかし高校に通い出すと母親は今までにも増して働くようになった。学費の為に昼も夜も休むことなく。
 その姿はフレオの心に少しずつ気兼ねを生まれさせた。さらに様々なところから生徒が集まる高校のサッカー部では試合にさえ出る事ができずフレオの心は次第に腐っていった。

 勉強にも身が入らなくなったがフレオは高校を辞めるわけにはいかなかった。それこそ母親を悲しませるとわかっていたから。
 サッカー部に行かなくなったフレオはその時間を使って高校に行けなかった仲間達とアルバイトを始めた。それが観光客をターゲットにした強盗だった。
 少しでも生活の足しになればと稼いだ報酬は母が金をしまっている洋服箪笥に足していた。

 「お帰り。どうサッカーは?」

 帰るたびに疲れた顔に無理に笑顔を作り学校や部活の話を聞こうとする母親の姿はフレオの心を鋭く突いたが生活のためだと自分に言い聞かせその痛みを拭い去り学校も部活も順調だと母親に告げた。

 すると母親は嬉しそうにジンジャークッキーを出してくれた。なけなしのお金で買ってきてくれるそのおやつを食べるとフレオはいつも泣きそうになった。
 夜になるとフレオは母親が寝たのを確かめ箪笥にその日の稼ぎを入れた。そして1人外に出た。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。