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小説「素ナイパー」第4話

 何もない森に建てられた八畳一間の畳張りの小屋に戻ると直哉はトカレフTT33を分解してそのパーツの一つ一つを磨き始めた。
 石油ストーブの上にはアルミ製のヤカンが置いてありここでの唯一の楽しみのコーヒーを飲むための湯を沸かしている。
 二週間後まで仕事はないので週末以外はここに籠もるつもりだった。携帯の電波塔は母のサーシャが立ててくれたので友人との連絡に不自由する事もない。

「常に緊張感を持て」

 父に口酸っぱく言われた教えを守るため、直哉も里香も暇になればこの別荘でのトレーニングを欠かさない。
 日々の鍛錬は不意の危機から命を守ってくれる。というか、二人とも他にこれといった趣味もなかった。
 銃の手入れをしながら直哉は脇に置いた携帯を気にしていた。洋介からの誘いの連絡を待っているのだ。
 今日は木曜日。週の半分が過ぎ金曜を迎えて連絡がなければ、相手が見つからなかったという事となり週末もここに籠もる羽目になる。
 訓練に苦痛はなかった。幼い頃に叩き込まれた基礎の反復は自分の今の身体の状態を確認するには必要不可欠で、殺し屋としてのほんの少しの自覚がそれを拒む事はなかった。最近では自分で考えたメニューも取り入れ、その成果が仕事上で繁栄されると小さな喜びもあった。
 しかし耐えがたいのは一人でいる事だった。昔は姉か父のどちらかが帯同していたので森の中で孤独を感じる事はなかった。しかし二十歳を過ぎてからは一人での訓練を義務付けられた。

「自分と向き合うのも待機時間が長い殺し屋の訓練のうちだ」

 父の言い分は理解できた。数週間も標的を観察し続けることは仕事の中でよくあった。相手の行動パターンを読み切る事で実行のタイミングを計る為だ。
 その時に必要になるのが集中力と孤独に耐える強さだ。江戸時代には標的の家の池の中で数日その瞬間を待っていた祖先もいたという話を祖父から聞いた事があった。一人に慣れる事は殺し屋にとって不可欠な訓練なのだ。
 

 いずれすべての仕事を一人でこなす為にも、一人の時間に集中力を絶やさない訓練が必要なのはわかっていた。
 しかし直哉は未だに慣れる事はできなかった。騒がしくも掻き立てられる週末の喧騒。忘れがたい過去への妄想。周りが静かであればある程、彼の頭には様々な雑念が浮かびその集中力を途切れさせる。

 携帯はまだ鳴らない。ストーブの上のヤカンがカタカタと音をたて始めると、直哉はトカレフの掃除を一段落させ湯をカップに注いだ。
 下北沢の鈴蘭通りにある老夫婦が営むコーヒーショップで売っている豆は子供の頃からの味だった。湯を注ぐとその香りで初めて父にコーヒーを飲まされた時のほろ苦さを思い出した。
 カップに湯を注ぎ終わると待ちわびた瞬間が訪れた。直哉の携帯の着信音007のテーマが静かな森の中にけたたましく響いたのだ。

「もしもし?」
「おう。お待ちかね。週末の話です」

 洋介は半ば義務的な口調で言った。

「十九時にズームで」
「わかった」
「今度は看護婦だぞ」
(看護婦・・・)

 その言葉は、直哉に卑猥なものしか浮かばせなかった。

「十九時な」
「今度は遅れるなよ」
「ああ。大丈夫だよ」

 電話を切るとコーヒーを飲んで昂った気持ちを落ち着かせた。本当はわかってる。この週末もまた期待は現実のものとならない事を。自分の心はまだ新しい恋を枯渇していない。8年前に終わった恋の泉はまだ枯れてはいない。直哉はまた少しセンチメンタルになろうとする自分の心を看護婦姿の女の子を浮かべて無理矢理スケベな思考に変え打ち消した。
 

 コーヒーを飲み終えると刃渡り十センチを超えるアーミーナイフを腰に刺し、再び外に出た。
 森はいつの間にか暗闇に覆われていて気温も下がっていた。耳を打つのは微かに聞こえる虫や動物の足音と鳴き声だけだった。
 直哉は息を整えると暗闇の森を疾走した。整備されていない山道を2時間程度走り回るのが夜目を鍛えるトレーニングだった。
 目の前に現れる木々を悉くナイフで切り裂く。時折り姿を見せる動物は決して殺傷してはならない。
 この訓練には有酸素運動の中での判断力と冷静さも求められた。闇夜を走りながら、自分の進行方向を咄嗟に選び切るべきものだけを判断する。
 やがて森と一体化したような感覚に陥ると直哉の目は暗闇をすべて見通せる梟の目になった。しかし彼自身の果てしなく先にある暗闇までは映し出せはしなかった。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。