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小説「素ナイパー」第14話

 昨日までほとんど向く事がなかった左側を頻繁に気にして、そこにいる女子に突然話しかけるようになった直哉の姿を見て洋介が事の始まりを見逃すはずはなかった。

 「お前、佐藤のこと好きだな」

 色恋事だけに発揮される洋介の勘は、特殊部隊が持つアーミーナイフ程の鋭さを持ちえている事を直哉は長い付き合いから知っていたので否定はできなかった。

 「そうだけど、お前まだ一平とかには言うなよ」
 「ああ。わかってるって」

 洋介は、笑いを堪えるような表情で直哉の肩を叩いた。

 (いや、わかってないだろうな)

 真剣さを微塵も感じない洋介の対応を見て直哉は明日の朝、隣のクラスの一平と数人の友人が佐藤知子の顔を覗きに教室のドアから視線を送る姿が想像できた。

 恋に落ちてから数週間。直哉は知子とどうにか挨拶以上の会話をする間柄にまで関係を築く事ができていた。
 しかし遊ぶグループ(知子は少し悪そうな男子連中と遊んでいた)が違うという事実が大きくて例えば一緒に帰るとか土日にみんなで遊びに行くなんてところまでは発展できずにいた。

 ただきっと印象は悪くないはずだと何故か楽観的な希望を抱いていた。なにせノートを貸してきてくれたのは知子の方なのだからと。
 だから用がなくても臆さずに話かけた。そのうちに向こうから何かアクションを起こしてくれるかもしれないという期待を胸に。
 しかし女性からのアプローチを待っては恋はなかなか動き出しはしない。何ヶ月経っても、二人はただのクラスメートという関係を脱却できず、あげくの果てには洋介の「席を流動的に変化させる事によってクラスのコミュニケーションの活性化と新しい人間関係の構築を図る」と言うわけのわからない席替えんぼためのスローガンが通り、2回目の席替えが決まり知子との距離が離れる事が確実になってしまった。

 直哉は焦ったが一歩を踏み出せなかった。もしもふられたらと考えると話しかける事以上の大胆な行動に打って出ることができなかった。

 「大丈夫。お前の事もちゃんと考えてるぞ」

 席替えの日。洋介は細工入りのくじを自慢げに見せて直哉に言った。しかしくじが終って新しい席に着くと知子との距離は列四つ分離れていた。
 直哉は自分の斜め後ろでまんまと田辺夕の隣に陣取り有頂天の洋介を睨んだ。すると、悪びれもせず洋介が言った。

 「ごめん。俺、不器用だからさ」

 直哉は呆れと落胆でいつもは寝ない授業までふて寝した。

 その日の夕方。席が遠くなりあげく土日を挟む事で知子としばらく会えないというなんとも言えない気持ちを抱えながら直哉は下駄箱に向かっていた。掃除当番だったのでほとんどの生徒は下校していて校内は静かだった。
 溜息交じりにスチールで出来た下駄箱の鍵を開けローファーを取り出そうとした時、人の気配を感じ自然とそちらに身体を向けた。
するとそこには笑顔の知子が立っていた。そしてこう言ったのだ。

 「直哉君、私と付き合って」

 (うまくいく事柄には、ちゃんとしたレールが敷かれているんだ)

 左隣で直哉の手を握り歩く知子の横顔を見ながら、直哉はそんな満足感に浸っていた。
 しかし予想外の告白を受けた時、直哉は喜びと共に疑問も抱いた。告白された瞬間に今まで自分が知子に対してがんばってきた期間のことが頭の中を流水のように流れて浮かんだ。そしてよく思い返すと知子はそれ程自分に親しげに接してくれてはいなかった事に気付いた。
 もちろんその場では交際をOKしたが知子が一体いつ自分の事を好きになったのかわからなかった。

 「あのさ・・・」
 「何?」

 学校の最寄の駅が近づいて来ていた。直哉は思い切って自分の疑問をぶつけようと決めた。この後、知子は英会話のレッスンに行く。駅に着いたら明日まで会えないのだ。

 「その・・・。いつ俺の事好きになったの?」
 「え?」
 「いやだからその、何ていうかあんま俺らって接点なかったじゃん?遊ぶ相手も違うしさ」

 知子は大きな瞳で不思議そうに直哉を見つめていた。直哉は自分の聞いている事が恥ずかしくて知子の方をまともに見れなかった。

 「席替えの日」
 「え?」
 「席替えした一時間後に好きになったの。ていうか好きだった事に気付いたの。席が遠くなって寂しいなって。ああ。好きだったんだなって」
 「ああ。なるほど」

 その時直哉は好きなバンドが自分達のCDジャケットについての説明をしている記事を思い出していた。
 そのジャケットの表面には無数の蜂が群がる巣を掴もうとする女性の手が描かれていて、裏面には剣道の防具のようなものを被り数匹の蜂に囲まれている男が描かれていた。バンドのリーダーはそのジャケットの意味をこう説明していた

「女性は恋愛を見つけると素手で勢いよく掴もうとするけど、男性は恋愛を見つけてもいろんなことを考えてすぐには飛び込めない。恋愛が近づいてくると防御したくもなる。その違いを表現したかった」と。

 当時はよくわからなかったが直哉はこの時、その意味を肌で感じた気がした。
知子が乗る電車が来るまでは少し時間があったので二人でホームに設置された木製のベンチに座った。
 生徒達が通る中、直哉と知子はずっと手を握り合っていた。しかし一瞬で時は過ぎ電車がホームに入ってきた。
 扉が開くと握っていた手を知子が無造作に離した。直哉はその一瞬に寂しさを感じた。握っていた手が離れる事がこんなに切ないものだと初めて知った。

 制服のスカートを翻し知子は電車に駆け乗った。扉が閉まり電車が動き出す。知子は直哉に手を振ると空いている席に座り英語の参考書を取り出し読み始めた。
 直哉はそんな知子を見つめていた。もう一度自分に顔を向けて欲しいと願いを込めて。
 しかし知子は顔を上げることはなく電車は見えなくなって行った。まるでこれから訪れる二人の成長の差をそこに示すようにして。

僕は37歳のサラリーマンです。こらからnoteで小説を投稿していこうと考えています。 小説のテーマは音楽やスポーツや恋愛など様々ですが、自分が育った東京の城南地区(主に東横線や田園都市線沿い) を舞台に、2000年代に青春を過ごした同世代の人達に向けたものを書いていくつもりです。