見出し画像

腹を割り、同じ釜の飯を食い、寝食を共にして、朝から晩まで一緒に働く仲間。

 従来「福祉」というのは「弱者に対して措置するもの」という認識が強い概念であったが、近年はそうではなく、「福祉ニーズのある人」が、「必要に応じて選択して契約に基づき獲得するもの」という概念に変化してきている。いわゆる「措置制度」から「支援費制度」への移行が進んできている。

 そういう意味で、「共同生活援助」という言葉は、なかなかいい言葉だなぁと感じている。なぜかというと、共同生活という言葉の中に、「障がいのある人もない人も共同(一緒に)生きることを援助するサービスですよ」、と言っているようなニュアンスを感じとれる言葉だからだ。国連からもインクルージョンの推進が、これまで以上に強く求められるようにもなってきている。

 しかし、実際のところはどうか。そういった理念に対して、現場にはまだ「管理」して「守る」という色彩がまだまだ色濃く残っている。お恥ずかしながら、私たちの運営する「トライフル」や「L-BASE(エルベース)」も例外ではない。「支援を与える者」と「支援を受ける者」という明確な構図があり、「社会的弱者」である障がいのある方を「管理」し「守る」ことを行っている。それはある側面から見れば立派なことでもあるが、別の側面から見れば無意識な上下関係の中から障がいのある人を捉え、自分たちよりも下に見る「間接的差別」を行ってしまっている。当然よくは思っておらず、日々カイゼンに努めているがなかなか一朝一夕になおるものでもないのが、この問題の難しいところだ。支援技術を専門的に行おうとすればするほど、そのような色彩が高まってしまうというパラドックスをはらんでいることも悩ましい。

 ゆえに、障がいのある方に対する間接的差別を排除して、共同生活をするということは、想像を絶する難しい行為だ。障がいのある方に対して心の底から腹を割り、同じ釜の飯を食い、寝食を共にして、朝から晩まで一緒に働く。そんな日々の生活に価値を感じ、人生を賭ける人がいったいどれくらいいるのだろうか。

 トライフルやL-BASE(エルベース)の運営母体である株式会社ダブルコーポレーションという社名には、上記のように、「障がいのある人もない人も一緒になって(ダブル)、寝食を共にして、朝から晩まで一緒に働くことに価値がある(コーポレーション)」という強い決意が込められている。私たちの取り組みはまだまだ未熟ではあるが、このような使命を社名に背負っているということを常に意識して、日々カイゼンに努めていることは偽りのない事実でもある。だからこそ、そのような私たちの未熟さを咎めつつ、そういった理想を目指して、応援してほしい。

 トライフルでは「仕事を支援する」のではなく「一緒に働く」だし、L-BASE(エルベース)では「生活を支援する」ではなく「一緒に暮らす」なのだ。

 そのことを言葉にした時に、私にはまだ、十分な説得力をもつほど実績も人望も持ち合わせてはいない。だからこそ、いつもそのことを胸に秘め、いつかそんな人間になりたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?