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ただ感謝してほしいだけ

 今日12月9日はもともと「障害者の日」だったそうですが、法律改正に伴い、12月3日から12月9日を「障害者週間」と改められたそうです。今日は長く障がいのある方の支援に携わってきた一人として、支援者としての想いみたいなものを綴ってみたいと思います。

支援を始めた経緯

 思えば大学2年の頃、ある特別支援学校の小学部にボランティアで入った時、先生から「知的障がいのあるASDの児童と遊んできて」、と言われたのですが、全く遊ぶことができずに「なんだこの世界は」と狼狽したのが始まりでした。その後高等部のボランティアに入った時には、当時はなんの障がいがあるのかわからなかった軽度知的障がいの生徒から「先生、僕はマクドナルドとかで働いてみたいと思うんだけど無理かな」と相談を受けました。当時は右も左もわからない私は、なんの考えもなしに「働けばいいじゃん」とあっさり応えたりしていました。

 その後、グループホームの世話人やガイドヘルパー、肢体不自由の児童の介助員、通常級の支援員を経て現在の職場にたどり着いたのですが、当時から思っていたのは「仕事も生活も全て自分の目で見て体験しないと、いい支援はできない」という感覚でした。現在も週に2日宿直をして、毎朝移動支援、日中には就労支援と行なっているので、当時も今も変わっていないかもしれません。学生時代に自身が脳出血を起こした時の経験から「無条件で相手にコミットする(まずは一旦相手の想いを受け止める)」ということを信条としながら、支援者としてのキャリアを築いてきました。

 どんなに難しいとされる人にも対応できるようにするにはどうしたらいいのかを考えている中で、強度行動障害の支援に行き着きました。強度行動障害の支援を勉強していくにつれて、ASDのある人への適切な支援を行うことができる人になることが、いい支援者に近づくロードマップとなるということがわかり、ASDの支援についてかなり研究しました。結果強度行動障害のある方を、入所ではなく地域の通所施設で支援してきた実績があるので、ある程度の水準で支援できるレベルまでは頑張れるようになったと感じています。

家族支援の重要性

 ある時、重度の知的障がいのあるASDの方の支援をしていて、障がい者支援には本人を直接支援することと併せて、間接的にご家族を支援することが、支援の成果をあげる上でとても重要なことだと気がつきました。重度の障がいがあるお子さんを持つご家族は、往々にして子どもに生活の中軸を置いているため、自分自身の主体的な生活を放棄して、子どもに全振りしているご家族に多く出会いました。そういった環境に疲弊しているご家族、その中でも前向きに療育しようと努めるご家族と、障がいのあるお子さんを持つご家族といっても十人十色です。だからこそ、ご家族のニーズをきちんとアセスメントして、本人だけでなく家族のニーズも併せて応えることができると、療育の成果も出るし、ご家族もエンパワメントされるし、いいことづくしだと感じました。以来私は本人だけでなく、ご家族の支援についても、いつも心に留めて支援するように心がけてきました。

難しいケースにも、ご家族と一緒に対応する

 しかしながら、全てがうまくいくわけではありません。私にはここ数年だけでも苦い思い出がいくつもあります。例えば、ある行動障害のある方です。ご家族もだいぶ高齢になってきて、ご家族としての支援力が低下していました。ある時家から脱走するということが続きました。しかし、ご家族で対応することが難しく、昼夜を問わず私たちに連絡が来るようになりました。自宅の環境を整理したり、GPSを持たせるなどの事後対応を固めつつ、でもどうしてもその行動問題が抑えきれずに連日脱走することが続き、毎日迎えにいくことになりました。時には電車や駅で隣人とトラブルになり、通報、警察署に行くということも何度か続き、次第に「今度やったら・・・。」と、指導も厳しい言葉に変わっていきました。私たちも、ご家族と一緒にそういった支援にあたっていました。ただ、あまりにもそういったことが続いたため、ご自宅での支援に限界を感じ、住まいの支援を紹介しました。すると脱走という行動問題は一切なくなりました。

ただ感謝の言葉を一言もらいたいだけ

 事態は一件落着。そう思うのですが、私の心の中では、どこかモヤモヤしていることがありました。それはなんだろう、なんだろうと考えていたのですが、あることに気がつきました。それは「ありがとう」ではなく、「いろいろ迷惑をかけて申し訳ないです」という言葉が先に出ていたことです。支援者として未熟であるが故の言葉であることは重々承知なのですが、私としては「あなたのおかげで、私たちの生活はよくなりました。ありがとう」そう言ってほしかったのです。例え、どんなにお金を積まれることよりも、何よりその感謝の言葉「だけ」がほしくて頑張っていたのだと実感しました。改めて、支援することの難しさと、感謝されることの喜びについて考えさせられる出来事でした。お互いに感謝し、感謝される関係性をつくれるように、これからも支援者としての鍛錬を積みたいと思っています。



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