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氷の遺産(Ice Heritage) 3.野 望

目 次
1.ありえない遺跡
2.調査隊 (前の章)
3.野 望 (このページ)
4.人類の英知 (次の章)

3.野 望

 調査隊に命令したヘリコプターは、更に近づいてきて調査隊の十数メートルほど先に着陸した。調査隊には、これからの運命を暗示するかのようにヘリコプターのメイン・ローターの風が容赦なく吹き付けてきた。ヘリコプターのドアが開き、完全武装した五名の兵士が調査隊に銃を向けながらゆっくりと近づいてきた。
 調査隊のメンバーは、全員成す術もなく手を上げて待つしかなかった。五名の兵士は、調査隊を取り囲むようにして調査隊に銃を突きつけた。
 もう一機のヘリコプターは、少し遅れて先に着陸したヘリコプターの隣に着陸した。そのヘリコプターからは、銃を肩に担いでいる四人の兵士が大きな二つの木箱を機体から運び出していた。それを合図にするように、二機のヘリコプターから武装していない五名の人間が降り立ちゆっくりと近づいてきた。

 先頭に立って歩いている男は、インゲの前に来て立ち止まった。他の四名のうちの一人は、中国語で木箱を運んでいる兵士に何か命じてから調査隊の横を通り過ぎると遺跡に向かって歩いて行った。慎重に扱えとでも言っているのだろう。木箱には大きなそりが付いていて二名の兵士が木箱を押して四名の後に従っていた。隅田たちは、成す術もなくただ見守るしかなかった。
「悪いが二人を借りるよ」
 男は、隅田とアンネを一瞥してからインゲに告げた。
 二人の兵士は、隅田とアンネに銃口を付けて背中を押した。二人は、渋々従うしかなかった。

「君にも付き合ってもらう。リモコンも忘れるな」
 男は、思い出したように付け加えると顎で促した。
 インゲは、何の抵抗もできなくなっているヨハンセンから球体のリモコンを受け取ると無言で男に従って遺跡の入り口に向かった。残された三名の兵士は、銃口をヨハンセンと雪上車のドライバーそれに中国人の作業者に向けていた。

 驚いたことに、遺跡の入り口は開け放たれていた。
 入り口を入ると、プラネタリウムのような直径三十メートルほどの巨大な半球のドーム型の空間が現れた。ドームの中央には、高さ五メートルほどの円柱の味気ない装置が置かれていた。
 床から一メートルほどのところに少し丸く窪んだ箇所以外は、ただの円柱の柱に見えた。他には金属の床だけの、すべてがシルバーで何も無い殺風景な空間だった。照明はないものの、金属自体が光っているようで明るかった。
 先に入って行った兵士たちは、木箱の梱包を開けている最中だった。中には、テーブルと折りたたみ椅子それに各種装置類とパソコンが入っていた。武装していない男たちは、装置類とパソコンをセッティングし始めた。

 男は、その光景を満足そうに見守りながら頭のフードを取った。一年ほど前に、インゲと対峙していた男の顔が現れた。
「私は、中国共産党の劉秀峰と申します」
 言葉は丁寧だが、有無を言わさない態度の様なものがにじみ出ている顔で名前を名乗った。が、「思った通りだ。中は寒くはない」と、ほっとした顔になった。

「我々を、どうするつもりだ!?」
 隅田は、劉に鋭い視線を向けた。
「まだ、君たちの仕事は、残っているだろう」
 劉は、もったいぶった言い方で二人を交互に見ながら、「詳しい操作方法は、まだ判明していない。遺跡の中に、説明が書かれているプレートがある筈だ」と言って、ニヤッと笑った。

「どうしてそれを…」
 隅田は、驚きの目を劉に向けてから、「極秘計画の筈だ…」と、怪訝な顔になった。
 劉は、インゲに目配せをしたように隅田には見えた。
「悪いが、私は、こちら側の人間だ」
 インゲは、言ってから劉の隣に立った。
「隊長…!」
 隅田は、驚愕した。
「悪いが…。これが終わったら、中国に行って研究費を考えずに思う存分研究ができる」
「そんな…」
 隅田は、絶句したが、「中国に装置を渡したら、世界がとんでもないことになりかねません。そんなことも分からないのですか」と、インゲに食って掛かった。

「人聞きの悪い」
 劉は、不本意だという顔になった。
「何をするつもりだ?」
 隅田は、劉を睨みつけると語気も荒く詰問口調で尋ねた。
「中華人民共和国建国百周年までに、海の水位を五十メートルほど下げるのだ」
 劉は、得意げになって説明した。
「何の目的のためだ?」
「君は、地理を勉強した方がいいようだね」
 劉は、小馬鹿にした顔で言った後に、「台湾海峡が干上がって、我々は台湾に侵攻しやすくなる」と、自慢げに言葉を繋いだ。

「荒唐無稽じゃない」
 アンネは、呆れ果てて馬鹿にした。が、声は上ずって小刻みに体が震えていた。無理して言っていることは、隅田にも分かった。
「そうでもないだろう。水位が五十メートル下がればどうなる? アメリカやロシアそれにヨーロッパは、氷漬けになる。我が人民共和国が、世界に覇を唱える唯一の国になることができるのだ。素晴らしいことだとは、思わないかね」
 劉は、隅田たちに同意を強要した。
 インゲは驚いた顔をしたが、無言を通した。インゲは、劉から詳しいことは聞かされていなかったのだろう。と、隅田は理解した。劉の言葉は、インゲの国ノルウェーが危機に瀕することを意味するからだ。隅田は、劉の言ったことが現実になったときのことを考えるとぞっとした。

「実は、チベット自治区で、君たちが発見したキューブと同じものを発見した。キューブは、全世界五か所に遺跡として残されていたのだよ。
 ご丁寧にチベットの僧侶たちが、隠していたために発見は遅れてしまった。が、君たちと同じころに譲り受けて、我々のものとなった。アルゼンチンは経済支援で問題ないが、グリーンランドとカナダは、我々に対して警戒感があるため表立って調査することは秘密がばれる可能性があった。
 お目付けを引き連れて行く訳にはいかないからね。そこで、インゲ君に協力を頼んだという事だ」
 劉の言葉に隅田は、力ずくで奪ったに違いないと考えた。インゲは、きっと金に目がくらんだに違いない。いや、中国お得意の、債務の罠に陥って脅されたのだろう。

 武装していない一人の男が、プレートを探し出して劉に手渡した。
「おしゃべりが過ぎた様だ。このプレートの解読が、君の最後の仕事だよ」
 劉は、余裕の表情のままで隅田にプレートを渡した。
 隅田は、仕方なくプレートを受け取った。プレートは、今までの中で一番大きく一辺が六十センチ以上はありそうな正方形だった。操作の説明が書かれているようだ。

「協力などできるわけないだろう」
 隅田は、思いっきりプレートを床にたたきつけた。
「拾うんだ。さもなければ、このお嬢さんが最初の犠牲者になる」
 劉が目配せすると、キャーというアンネの悲鳴が聞こえた。隅田が振り返ると、アンネは兵士に羽交い絞めされていた。インゲは、顔を背けただけだった。
「ケン。協力しちゃダメ!」
 アンネは、叫んだ。

「おやおや。まあ、我々の学者の中にも優秀な者がいるんだ。多少時間はかかるだろうが、時間の問題だ」
 劉は、別段気にしていないような口ぶりだ。
「我々の命は、補償してくれるんだな」
 隅田は、念を押した。
「もちろん。我々の国にも民主主義はあるのだ。安心したまえ」
 隅田の言葉に、劉は即答した。劉の言っている民主主義とは、劉の言うとおりにすれば命を補償するという意味のようだ。隅田にとっては、人質犯の戯言にしか聞こえない。

 隅田は、どこが民主主義だ!? と、悪態の一つもつきたいところをぐっとこらえて、「分かった。少し待っていろ」と、自分がたたきつけたプレートをゆっくりと拾って解読を始めようとした。
「ちょっと待て」
 劉は、先ほど開けた木箱から出したノートパソコンを一人の男から受け取ると、「このパソコンに、解読したものを英語で入力しろ。テーブルと椅子は予約でいっぱいだから、悪いが床で解読してもらう」と命じた。

 隅田は、劉を睨みつけながらも無言でパソコンを受け取って床に置いた。分厚い手袋を脱いで、床にあぐらをかいて膝の上にパソコンを載せて解読を始めた。入口は開けっ放しの筈なのに、思ったほど寒くはない。これも我々が知らない、テクノロジーの一つなのだろう。一時間ほど経って、隅田の手が止まった。

 隅田は、手袋をゆっくりとはめてからパソコンを床に置いて、「これで満足だろ! 勝手にしろ」と言って立ち上がると少し後ろに下がった。
「そうさせてもらう」
 劉は、パソコンを受け取った男に目配せをした。その男は、パソコンとプレートを床から持ち上げるとディスプレイを覗き込んでから中国語で何かを叫んだ。他の武装していない男たちから、どよめきが起こった。
 アンネは、兵士から解放されると隅田に無言で抱きついてきた。

「彼らが、中国の誇る優秀な科学者たちだ」
 劉は、満面の笑みで説明した。
「どんなテクノロジーか知らないが、たったに二十数年で五十メートルも海面を下げられる訳がない」
 隅田は、懐疑的だった。隅田が、解読を同意した理由の一つでもあった。
「どうかな?」
 劉は、隅田の考えを否定して、「緊急事態に、対処する方法があるだろう」との考えを示した。

「…」
 隅田は、自分の浅はかさに初めて気が付いた。解読した文書に書いてあったが、極めて危険だとも書かれていた。隅田は、危険を必要以上に誇張した書き方をした。が、劉に伝わるとも限らない。逆に、サボタージュと受け止められるかもしれない。
 先ほどパソコンを床から持ち上げた男は、球体のリモコンを中央の装置の窪みに入れた。球体は、円柱の装置にぴったりとはまり円柱からキーボードのような長方形の金属が自動的にせり出してきた。

 これから始まることは、解読した隅田にとっては手に取るように分かった。パスワードを入力してから、現在の海面から海面を下げる深さと下げる期間を入力して長方形の金属を元に戻すだけで完了である。あまり急激に海面を下げると、オーバーヒートして装置いやこの遺跡全体が崩壊すると書かれてあった。

 操作している男は、劉に向かって何かを叫んだ。劉は中国語で応じた後に、「リミッターが邪魔しているそうだ。君なら、何とかできるだろう。解読していない文章があるのではないかな」と、隅田がまだ隠していると考えた口ぶりになった。
「そんなことまで書いてあるわけないだろう」
 隅田は、否定したが一抹の不安を抱いた。劉が気付けば、リミッターをなくすことも可能だからだ。

 パスワードは一つではない。三つあった。地位や立場などにより、リミットを変えていたのだ。現在の企業などによくある権限に似ている。
 三つ目のパスワードを入力すれば、リミッターをすべて解除できる。無理な設定をすると、装置が暴走して遺跡は崩壊するとも書かれていた。暴走するリミットは、書かれていなかった。
 何故、すべてのパスワードを一挙に書いたのかは不明だ。この装置を作った者は、未来の人類が愚か者とは考えなかったのか。それとも、愚か者になった人類に、この装置を託すべきではないと考えたのだろうか。隅田には、未来の人類を試しているようにも思えた。

「このリミットのままだと、五百年もかかるそうだ」
 劉は、科学者の言った言葉を英語で隅田に伝えた。
「遺跡が作られたとき(一万年前)と今までの時間に比べれば、あっという間だ」
 隅田も負けてはいない。
 科学者は、劉に中国語で何か耳打ちをした。
「そうか」
 劉は、言ってから、「小細工が過ぎるようだな」と、含みのある笑顔で隅田に言った。
 ばれた! 隅田は、戦慄した。

「やはり、パスワードは三つあるのだな」
 劉は、勝ち誇った顔になって、「三番目のパスワードは、リミッターを外せるのではないかな?」と、探りを入れてきた。
 隅田は、答える訳にはいかない。
「君が答えなくても、試してみれば分かることだ」
 隅田は、『とても危険だ! どうなっても責任は持てない』という言葉を呑み込んだ。今更何を言っても、この愚か者たちには意味がないと思い知ったからだ。
 彼らに命じているのは、もっと愚かな独裁者に違いない。独裁者にとっての民主主義とは、独裁者の無茶な命令に従った愚か者だけに許される民主主義かも知れない。いや、彼らとて、命がけなのかもしれない。

 装置を操作している男が何かを叫んだ。
「やはり、リミッターはなくなったようだ」
 劉は、満面の笑みをたたえて言った。
「危険だ! 暴走するぞ!」
 隅田は、後先考えずに叫んでいた。無駄だとしても、言葉に出しておかないと後悔するとの想いからだった。
「心配してくれてありがとう。だが、我々も命がけなのでね。他に選択肢はないのだよ」
 あくまで強気な劉は、命がけという言葉を使った。失敗すれば、良くて収監。最悪の時は、命を非合法にとられかねない。と、暗に言っているように隅田には受け取れた。

「こんなもん見つけて、あんたも災難だな」
 隅田は、鼻で笑った。
「成功すれば、私は英雄になれる」
 劉は、成功すると確信しているような口ぶりになった。

「暴走したら?」
「そのときは、思ったほどの効果がなかったと報告するまでだ」
 隅田の言葉に劉は、それで上司が納得すると思っているようだ。いや、思い込もうとしているのかもしれない。それとも、丸め込む自信があるのだろうか。

 装置を操作している男は、劉に向かって何かを言った。劉は、中国語で指示した。
「これから、装置を稼働させる。暴走するかしないか、君の目で見るといい」
 劉は、失敗など想定していないのだろう。

 その時中央の円柱からブルブルというエンジン音のような低音が聞こえ始め、微かな振動を床全体に感じた。隅田は、もう後戻りできないことを悟るしかなかった。

「何も起きないじゃないか。君の杞憂? いや、サボタージュは、失敗したということかな」
 劉は、装置が順調に稼働していることに満足していた。
 低音は徐々に大きくなり、振動も徐々に大きくなっていった。

 数分経っただろうか。いきなり装置から出る音は、低音から高音になり振動も激しくなった。中央の装置を見ると、シルバーではなく少し赤みを帯びた色に変わっていた。初めての稼働なので、通常の稼働なのかそれとも暴走なのか誰にも見当がつかない。
 隅田とアンネは、いきなり稼働させた劉たちの無謀な行為をじっと見守るしかないのだ。そう言えば、非常停止装置などはプレートには書かれていなかった。後戻りはできないという事なのだろう。途中で装置を止めた時に、自然にどれだけ混乱が起きるか分からないからかもしれない。と、考えるしかない。

 装置から出る高音は、ガガガという異音に突然変わり床も激しく揺れだした。中央付近の、天井のパネルが一つ落下した。大きさは、一メートルほどの弧を描いた正方形のようだ。劉は、ゆっくりと落下した後のぽっかりとあいた空間を仰ぎ見て凍り付いた。

「空が…、空が見えている…」
 そこにいる全員は、パネルが落下した個所を仰ぎ見た。薄っぺらなパネルが、一万年近くも分厚い氷を支えていた合金の強さに隅田は舌を巻いた。ドーム型にしたことで、重い重量を支えることができるとしても一万年前のテクノロジーには驚くしかない。

 それを合図にしたように、異音はさらに大きくなり他のパネルも落下し始めた。落下したパネルの空間から、空の光景が見えた。

 中国語の怒号が、あちらこちらから聞こえた。一人の兵士は、装置に向かって発砲した。が、装置を止めることはできなかった。
「アンネ。来るんだ」
 隅田は、アンネの手を取ってドームの端に連れて行った。「ここが一番安全だ」と、自分にも言い聞かせながら…。
 インゲは、複雑な顔で突っ立っていた。
 劉は、初めて見せる驚愕に満ちた顔で途方に暮れていた。立っていることも出来ずに、尻餅をついた。
 他の数人の男たちは、我先に入り口に向かってよろけながら走り出した。

「危ない! 危険だ!」
 隅田は、大声で叫んだ。中国語が分からない以上、英語で叫ぶしか方法はなかった。が、無駄だった。聞こえたとしても、英語を理解していたとしても、この混乱の中で冷静に伝わる筈はなかった。伝わったとしても、逃げることに必死の男たちに理解することは困難だった。
 数枚のパネルが、数人の男たちの頭上に降り注いできた。いくら軽い金属と言っても、高い天井から落下したのでは堪ったものではない。下敷きになった男たちは、動かなくなった。
「隊長。こっち!」
 隅田は、インゲに向かって叫んだ。インゲは、一瞬隅田を見たものの辛うじて立っている場所から動こうとしない。振動のため、動けないのか? いや違う。自分の愚かな行為を、恥じているのだ。

「アンネ、ここにいろ。動くな!」
 隅田は、アンネに告げるとインゲの許によろけながら歩いて行った。
 インゲは、驚いた顔になって、「君たちを裏切った男だぞ」と、困惑を隠せない。
「そんなことは、生き延びた後で考えてください」
 隅田は、インゲの手を取り無理やりアンネの所まで戻って、「伏せて!」と二人に命じた。二人は、咄嗟に何も言わず隅田に従った。

 劉は、まだしりもちをついたままで呆然と辺りを見回して、「俺の夢が…。栄光が…。消えていく…」と、中国語で呟いた。
「劉! 生き残りたいなら、ドームの端に行け!」
 隅田の叫びに気が付いた劉は、一瞬驚いた顔で隅田を見たが、床を這うようにして隅田と反対側の端に向かった。その間にも中央付近から続々とパネルが落ちてきた。他の男たちがどうなったのかは、混乱の最中では隅田にも定かではない。
 そのときは、突然やって来た。異音もパネルの落下も突然収まった。床から一メートルほどのパネルを残して、天井はすべて抜け落ちていた。隅田たちの頭にも、パネルが落ちてきたものの軽量のため怪我はなく無事だった。アンネは、隅田の行動が正しかったことにほっと胸をなでおろした。立ち上がると外の景色が見えた。

 生き残った男たちは、辺りを窺いながらゆっくりと立ち上がる。生き残った二人の兵士は、思い出したように隅田たちに銃口を向けた。アンネは、観念したのか隅田に抱きついてきた。
 そのとき、防寒服を着て覆面で顔を隠した完全武装の四人の男がいきなり駆け寄ってきて突然兵士たちに銃を突きつけた。二人の兵士は、咄嗟の思いがけない敵の出現に抵抗できず銃を放り出すと両手を上げた。

 その後から、武装していない一人の人物がゆっくりと歩いてきて、「連れていけ!」と、完全武装の四人に日本語で命じた。
 日本語? 隅田は、違和感を覚えた。何故日本語なんだ? と、命じた男をまざまざと見た。

 男は、ゆっくりと隅田の前まで来ると、「ご無事でよかった」と、ほっとした顔になった。が、「もうお忘れですか?」と、困惑顔の隅田に尋ねた。
「田中さん?」
「覚えていてくれて光栄です。私は、自国民を守ることも仕事のうちですから安心してください。と以前言ったでしょう」
 田中は、言ってから笑って見せた。
「じゃあ、あの人たちは自衛隊の方…」
「そうなりますね。但し、とっておきの隊員たちです」
 田中は、言ってから笑った。隅田は、自衛隊の特殊部隊だと気が付いたが詳しいことなど分かる筈もない。
 他にも、十名ほどの自衛隊員たちが事後処理を行っていた。生き残った人民解放軍の兵士たちは、全員武装解除され劉たちも拘束された。

「どうやって来たんですか」
「あれですよ」
 田中は、遠くに目を遣ってから、「ここからは見えませんが、一キロほど離れた場所までグライダーに乗って来ました。人質を取られている可能性があるので、派手にエンジン音を轟かせて来るわけにはいかなかった。これでも苦労したんですよ」と、隅田に恩を着せているような口ぶりだ。

 隅田は、驚きと共に呆れかえった。こんな極寒の地に、グライダーで良く来られたものだと舌を巻いた。
「彼らにとっては、朝飯前ですよ。おかげで、私も付き合う羽目になりましたが…」
 田中は、後悔しているのか首をすくめた。

「これから、どうなるんです?」
 隅田は、少し不安になって田中に尋ねた。
「まあ、あなたたちも無事だったことだし、こんなとんでもない遺跡ですから…。表ざたにするには時期尚早です。これから秘密裏に南極のように、世界各国で調査研究することになるでしょう。中国や危ない国抜きでね」
 田中は、決めつけているような口ぶりだが、水面下で決まったであろうことは隅田にも察しはついた。

「でも、何で分かったんですか?」
「あなた方が使っていた部屋ですが、あの部屋は日本人が以前研究していた部屋です。その日本の研究者に疑惑があったので、盗聴器を仕掛けたまでです。盗聴器を回収しそこなったので、そのままにしていただけです」
 田中の言葉を、額面通りに受け取るわけにはいかない。詮索したところで、真実など聞けるわけはない。それにありふれた田中という苗字も、今となっては怪しい。隅田は、これ以上不毛な会話をすることをやめることにした。

 隅田とアンネそれに調査隊の全員は、簡単な事情聴取をされて解放された。秘密厳守を言い渡され、誓約書にサインさせられたたことは言うまでもない。

 田中の説明では、天井のプレートの下敷きになった科学者や兵士は絶命していたという。劉と他の生き残った科学者や兵士たちそれに中国人の作業員は、アメリカに連れて行かれて監視下に置かれるという事だ。
 インゲと作業員は、表向きは事故で怪我をしたためヘリコプターで救急搬送されたことにするという。
 本当のところインゲは、母国に連れて帰ってそれなりの罰が与えられるようだ。中国人の作業員は、二台の雪上車を故障させた疑惑と秘匿のためアメリカに連れて行くという。他の作業員たちも、まだ彼らには知らされてはいないが同じ嫌疑でアメリカに連れて行かれる。

 いずれにしても、秘匿しなければ世界の人々が混乱することが危惧された。中国も迂闊に表ざたに出来る訳がない。

「何故、あの時解読したの?」
 アンネは、帰りの雪上車の中で思い出したように尋ねた。
「君の命を救うためだけど、それだけじゃない。海面が下がるには時間がある。生きていれば、それを防ぐことだってできるだろう」
「呆れた。ケンは、どこまでポジティブなの? シャイな日本人にしておくのは、もったいないぐらいね」
 アンネは、本気で言っているような口ぶりだ。
「あ~あ、せっかく参画できると思ったのに…」
 ヨハンセンは、遺跡の研究に参画したいと申し出た。田中が考えておくと、お茶を濁したことに絶望的になった。様々な想いを乗せて、心地よいエンジン音を響かせ雪上車は何事もなかったように帰途に就いた。

4.人類の英知 (次の章)


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