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シリーズ歴史に浸かる!!~義経編4~

2022年NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、源平合戦のクライマックス壇ノ浦の戦いが放送されました。ワクワク感とドキドキ感いっぱいで菅田将暉さんの義経を視聴し、サイコパスから情に厚い人間性と振り幅の大きい義経を書く三谷幸喜さんの脚本に感動すら覚えた一日でした。そんな義経の歴史を追いかけながら温泉を巡る旅日記「シリーズ歴史に浸かる!!」も壇ノ浦の戦い編となります。

NHK大河ドラマ「平清盛」を観て企画を思いつき、同じくNHK大河ドラマ「義経」のタッキーをイメージとして固めて旅に出たのは2017年でした。
2019年で一先ず義経の旅は終え、たまった記録を掘り起こしてブログ作成をしております。写真に写る僕の姿が痩せているのに驚きながら(笑)

「温泉には歴史あり」、温泉大国日本では、旅行の温泉ブーム・秘湯ブームにより、温泉は身近なお楽しみとなっている現代。温泉ソムリエの資格も出てくるぐらい温泉は根強い人気を誇っております。しかし、温泉の歴史は意外に知られていないもの・・・そこで「温泉好き」「歴史好き」「旅行好き」の僕は、温泉と武将の物語「シリーズ歴史に浸かる!!」を書くことにしました。
温泉の歴史を語るのではなく、「歴史を感じる場所で、温泉との出会い」をコンセプトに、旅日記的に語っていきたいと思います。
温泉と歴史で、心身ともに癒しになれば幸いです。

さて、今回のシリーズ歴史に浸かる!!義経編は、源平合戦最後の戦い「八艘飛び」で有名な「壇ノ浦の戦い」となります。舞台はなんと海の上・・・そんなところに温泉地が・・・

壇ノ浦の戦い

壇ノ浦の戦い屏風

『安徳天皇縁起絵図』赤間神宮所蔵

平安時代の末期の元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)に「長門国赤間関壇ノ浦」(ながとのくにあかまがせきだんのうら)で行われた戦闘。栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いです。

舞台の「長門国赤間関壇ノ浦」は現在の山口県下関市にあり、下関市と北九州市の間の狭い海峡で、非常に流れが早い難所です。

聞いたことあるでしょうか?「関門海峡」です。
ちなみに武蔵と小次郎の戦いで有名な「巌流島」もこの関門海峡に浮かぶ小島です。
さらに言えば幕末の偉人で、僕が尊敬する高杉晋作が英米仏蘭4ヵ国連合艦隊と大暴れした「馬関戦争」もここ関門海峡です。

この海峡に両陣営の水軍があいまみえます。その数、源氏側800艘、平氏側500艘。白旗をなびかせるのは、源義経が率いる源氏勢、対する平家は平宗盛、平知盛が率い、船には赤い旗が翻っていました。天下分け目の大海戦は、矢合わせを合図に火蓋を切って落とします。
まず優勢に立ったのは海上戦を得意とする平家の船団。東流れの潮流に乗り、戦いを有利にしていました。しかし、昼近く潮流が西に変わりはじめると接近戦となり、さらに義経が平家軍の水子・舵取りを射させて混乱させ、戦況は逆転。
この時、平家の剛の者、平教経が義経を討とうとして追い詰めましたが、義経は船から船へと飛び移り難を逃れます。これが俗にいう「八艘飛び」の伝説です。

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敗戦を覚悟した平家の二位の尼は、源氏が奪還を狙う三種の神器を身につけ、「海の底にも都はあります」と8歳の安徳天皇を抱いて海峡に身を投じました。後を追った帝の母建礼門院は助けられて囚われの身となります。
勝敗がついたのは午後4時、知盛はじめ主だった武将は一門の最期を見届けると、次々に入水しましたが、平家の総帥、宗盛親子は捕虜となって戦いは終わりました。関門海峡には、ただおびただしい平家の赤い旗印が漂うばかりでした。栄華を極めた平清盛の一族は歴史上からその姿を消し、再び表舞台に立つことはありませんでした。

終結後、源氏は三種の神器を必死に探しますが、草薙剣だけは見つけることができませんでした。三種の神器は皇位の正当性を示す宝物ですので、揃っていなくてはなりません。結局今日まで草薙剣は見つかっていません。
このことが、後に義経逃亡劇へのキッカケとなってしまいます。

下関温泉

温泉さる

泉質:塩化物冷鉱泉
冷え性、神経痛、筋肉痛、病後回復期などの効果があります。

温泉法が作られる前は、温泉は温かいもの、鉱泉は冷たいもの、と呼び分ける習慣がありました。
今でもその名残で、環境省の指針では 25℃ 以下の温泉水を「冷鉱泉」と呼ぶことにしています。
今回の下関温泉は塩分を多く含む 25℃ 以下の温泉となるので「塩化物冷鉱泉」となります。

温泉て暖かいものじゃないの?と思われる方もおられるかと思いますが、冷たい湧き水でも成分が基準量以上あれば温泉となります。

温泉宿「風の海」

風の海

2020年度JTBが選ぶサービス最優秀旅館・ホテルに選ばれた全室天然温泉展望風呂付き客室のお宿があります。
時代が動いた海、今は厳かな雄大な景色となる海峡、水平線から上がる朝日を贅沢に感じながら温泉に浸かるのは格別。
『今ぞ知る 身もすそ川の 御ながれ 波の下にもみやこありとは』を感じれるお宿です。

風の海 温泉2

風の海 全室部屋付き温泉

関門海峡を眺める

見た感じからリゾート感いっぱいで心身共に満たされるお宿です。
すぐ隣に「串崎城跡」があるので、お散歩がてら歩いてみるのもいいと思います。

風の海 2

僕は串崎城跡からホテル裏の遊歩道を通って宿入りをしようと歩きましたが、遊歩道が行き止まりになっていて宿に到着できず(笑)
途中のスーパー駐車場に侵入しないといけない事件に見舞われました・・・

串崎城跡

串崎城跡と僕

山口県の四季折々の旬を活かした創作料理
※HPの画像

風の海 料理

山口県は三方を海に囲まれた美食の郷だそうで
四季折々の新鮮な魚介をはじめ旬の美味の数々を楽しませていただきました。

料理

郷土の味覚の代表格の「ふく」もいただきました。

ふく

山口県では「ふぐ」ではなく「ふく」と呼ぶのが特徴的です。
下関駅でも「ふく」がお迎えをしてくれる「福(ふく)」が多いところです。

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壇ノ浦を攻める

壇ノ浦の戦い

壇ノ浦古戦場跡

源義経

平知盛

源氏と平家の最後の戦いとなった「壇ノ浦合戦」の跡。現在は「みもすそ川公園」として遊歩道が整備されています。公園前の海は関門海峡の一番狭まったところで「早鞆の瀬戸」といわれ、潮の流れが速く、潮流の変化が激しい海の難所です。
公園内には、源義経・平知盛両雄の像とともに、安徳帝御入水之処碑が配置されており、海峡の激しい潮流を背景に源平最後の合戦に思いをはせることができます。
また、壇ノ浦古戦場跡から海沿いを10分ほど歩くと赤間神宮(あかまじんぐう))という神社があります。赤間神宮には安徳天皇の御陵や平氏一門の墓、耳なし芳一像など、壇ノ浦の戦いにまつわる史跡が数多く残されています。
ここの道路向かい側には「関門トンネル人道」と言うものがあり、徒歩で山口県下関と福岡県門司を行き来できます。
全長780mなので10分ほど地下のお散歩です。

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赤間神宮

赤間神宮 (2)

源平壇ノ浦(だんのうら)の合戦で入水された安徳天皇を祭神とする神宮で、境内には安徳天皇阿弥陀寺御陵、平家一門の墓、七盛塚(ななもりづか)、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の怪談で有名な「耳なし芳一」の木像が祭られている芳一堂、「長門本平家物語」「源平合戦図」など貴重な資料のある宝物殿等があります。

赤間神宮

神宮側から海を眺めると感慨深い・・・と想像していましたが、景色は海がよく見えなかったのでなんとも・・・

「耳なし芳一」が喋りだすところが、エンターテイナーだと(笑)
隅っこに追いやられている感があったのは何故なんでしょうか・・・

唐戸市場

唐戸市場3

活気あふれる関門の台所。にぎり寿司、ボリュームある海鮮丼、揚げたてのフライ、フク汁等々、海鮮屋台が所狭しと並んでおります。お腹をすかせて食べ歩きや関門海峡を眺めながらいただくなんか楽しいイベントです。

唐戸市場2

門司

門司駅

今回は義経を巡る温泉旅なので詳しくは書きませんが、下関・門司観光が旅行プランとしてGoodです。
車やバス、電車でも行けますが、おすすめは先ほどお伝えした徒歩や唐戸市場のあるところから船で渡ることです。

唐戸市場

門司港レトロはおすすめ観光スポットとなりますので、お時間が許すならば是非、計画してみてください。

話を戻しまして、最後の戦いが終わり、平家滅亡となり、いよいよ源氏の世がやって来ることになります(途中で北条の世となりますが・・・)
源平合戦最大の功労者である源義経はこの先どうなっていくのか?
前編の源平合戦が終わり、後編は逃亡劇となります。
逃亡劇とはどういうことか?そして温泉との関係は?
では、次回もよろしくお願いいたします。

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最後に

後藤又兵衛

自称:後藤又兵衛の末裔の後藤純です。趣味は旅行で観光や温泉巡り。仕事ではアイデア創出に温泉活用と公私ともに温泉を愛している関西人。「ビジネスのヒントは歴史にあり」と歴史から学ぶことを日々の取り組みとしている後藤純がお送りする「シリーズ歴史に浸かる!!」
「源義経」伝説の戦いが最後となりました。次回からは義経の「逃亡劇」が繰り広げられ、そこには温泉と深い繋がりがあることになります。今後もお付き合い、よろしくお願いいたします。

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