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なぜアーティストになったのか。HIPHOPで東京へ。中学・高校編

どうも藤本潤です。
誰の得にもならなそうな私の歴史も第3弾となりました。
前回の記事では少年期編を書いたんですが、小学校の頃の思い出は大きく自分を左右したんだなぁと書きながら感慨深い想いを巡らせておりました。
今回もまた私だけに限らず誰にも共感のできる時期のお話かと。
のうのうとした馬鹿みたいな話ばかりですが、アーティストはどのようにしてできていくのかという精神の過程を軸に今後アーティストを目指す方の参考になればと。

小学5年生の時に友との出会いで価値観の革命が起こり、HIPHOPと出会い、中学校に突入します。
小学校ではあまり真面目に取り組めなかった部活に専念しようと思い、テニス部に所属しました。理由は団体競技がとにかく苦手で個人がよかったんですが、他が柔道と剣道のみでその2つは部員がほぼいなく隔離された室内で顧問と二人、もしくは一人で自主練。小学校の頃はずっと空手を習っていたこともあり、そこに魅力を見出せず青春の要素も見出せ無かったのでテニスを選びました。
ハマれば案外楽しくて人生で唯一スポーツに打ち込んだ時期でした。またここで学んだことは努力と鍛錬は報われる。またそれと同時に努力の質と費やした時間には明確な差が生まれ、才能めいたものも目の当たりにした私は「上には上がいる」ということも知りました。
一定の線を越えると向き合う強さと覚悟が勝敗を分ける。その勝敗とは他者との競い合いではなく自分との戦いに負けないことなんだということ。あの瞬間私は大事なことを学んだと同時に大敗を喫しました。

私はヤンキーではなかったのですが不良ではあったと思います。
”悪さ”は好きでも嫌いでもなく楽しければするくらいの感覚で、とても中途半端なまさしく”不良品”。
ほんとに私はクソ野郎で、仲間のヤンキー達の気合いの入り方をみて「こいつら偉いなー」と人ごとに感心するだけの奴でした。
小さな田舎町なのでヤンキーと言えば法律に反く、怖い先輩との付き合いを重んじる、高校には行かず仕事をするetc....。
当時の私にはそれらが楽しいこととは思えず都合の悪い時だけ良品ぶっていて、今思えばとてもカッコ悪い奴でした。
それから高校へ出て(その高校選びも女子がいっぱいいて校則も緩いからという理由)なんとか卒業までありつけたのですが、私はそこで大きな失望を覚えました。
都心にある幼稚園から大学までの一貫校でお金持ちも多く、頭は悪くはないけど良くもないくらいの高校。そこには私の地元の仲間の様な人種はいなく恐い田舎者というレッテルの下、孤立してしまいました。
そのことが悲しかったわけではなく、見た目や家柄での評価、尊敬することはできない先輩や先生への同調圧力、集団心理の醜い側面など、田舎者の野良同然の未熟者の私にはとても居心地の悪い場所でした。
そもそもその高校の選び方に自分の非があるので自業自得ではあります。
ですが自分自身を抑え込み周りと同じようにやり過ごす感覚は私にとっては違和感しかありませんでした。
もともとレベルミュージックに惹かれていた自分ではありますが、この頃から徐々に自分で”表現”をするに至るまでの精神性が組み上がっていったと思います。
また、その高校には地元の気の合う仲間と3人で通い出したんですが1人はすぐに退学。もう1人は小学校からのツレだったんですが、2人になると長くコンビを組んでいる芸人の関係の様に会話も減っていき会っても話さないようになり、終いに彼はバイクの事故で大怪我をしてしまいあまり学校にも来なくなりました。
腫れ物の様な私にも話かけてくれる友人は何人かいましたが、それでも最後まで完全に心を開くことはできず基本的には地元にすぐ戻りバイトとバイクの改造に明け暮れる日々でした。
ですが地元にいてもみんなは基本パチンコ。週末にみんなでバイクを走らせてもどこか気が晴れない気持ち。
あてもなくただ流れていく日々。
この場所に居続けた時の自分の10年後20年後に想像がついていくようになりました。子供の頃から落ち着きなく1人でふらっとどこかにいってしまうような私ですのでそういった人生の歩み方は性に合わないと思いはじめました。
そこから当てもなくステレオタイプ的に東京へ想いを馳せていくことになります。
具体的に言うと東京に行きたいと言うより同じ場所に居続けたくないという感覚に近かったと思います。
自分はどの程度の人間なのか。想像もつかない様な人生とは。誰かの自慢になれる自分になりたい。
この様な想いにリンクしてきたのが私の中にあるクリエイティブの感性でした。
ものづくりをしたいという感覚が蘇ってきたのです。
そこからは若さもあり自分ができることではなく自分がやりたいこととはなんだろうと考えました。
この様な育ち方をしている私ですので本など一切読んで来ず、漫画ばかり。見ていたテレビもお笑いばかり。そして聞いていた音楽もHIPHOPばかり。
なので必然と漫画家かお笑い芸人、ラッパーのどれかでした。
その中でもやはり純粋に憧れたのがロックンロールでありHIPHOPなラッパーでした。
そこから高校を卒業し東京へと向かうことになります。

今振り返ると本当に子供でろくでもない中学・高校生でした。
当時は大人ぶって斜に構え、沢山の人を困らせ、悲しませました。
あの時の孤独は全て自分で巻いた種で全て自分に返ってきていたのだと思います。
人は自分を写す鏡という言葉がありますがあの時、私の目に敵のように写った人々はそのまま私が周りに与えていた印象なのだと思います。
ですがそんな時もあっていいとも思います。
傷つけたり悲しませた人への償いは必ずしなければなりませんし、いつか攻撃ではなく笑顔を与えれる人間になるべきだと思いますが、最初から完璧な人はいないし完璧であり続けれる人もいないはず。
そしてそれは自分に限らず、コミュニティやシステム、社会やルールもそうだと思います。
もちろん社会のルールや無難なあり方は大事です。
ですがそれでも私が尊重すべきはルールではなくモラルであり、同調なんかよりもその人にしかない個性を磨くことが何よりも大事なんではないか。表面ばかりでなく心こそ豊かでありべきだと思う。
少なくとも私が惹かれてきた仲間達は、汚れのない純粋で真っ直ぐな優しい心を持った個性溢れる魅力的な愛すべき奴らでした。
私もそうでありたいと思い、今でもそうありたいと思っています。

次回はいよいよ最終回、東京編。

ご静読ありがとうございました。

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藤本潤 プロフィール
熊本出身。
1993年生まれ。
作曲、プロデュース、映像ディレクターなど幅広く手掛けるアーティストでもあると同時に、クリエイティブ集団Transistory Projectの運営も行なっている。
ラッパーではjumLiv(ジャムリブ)の名義で活動をしておりHIPHOP集団Before Sleepin' showerのリーダーも務めていた。
日本語と和の精神をスタイルとしたジャンルレスに表現を行うアーティストである。

ストリーミング配信
https://www.tunecore.co.jp/artists/JUN-FUJIMOTO#r752260

Transistory Project - 雪のあかり
https://youtu.be/AbsiZP6TNRg
藤本潤 - YES
https://youtu.be/wEQILKzffTY

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