右手に高原、左手に都会、その境目は
ある天気のいい日、「朝」ムードをしっかり味わってみようと思い、YouTubeで朝向けのBGM音源を探して流してみた。
良い(*´∀`*)
鳥がさえずる自然音に、ゆったりしたジャズアレンジの有名曲ギターインストゥルメンタル。まるで高原にいるかのようだ。
その時開けていた窓から、かなり大きな音がする。ゴオオオオ…
実際に見たわけではないが、何かすぐにわかる。アスファルトの道を走る、トラックの音。ああ、そうだったと思う。ここは東京、コンクリートジャングル。
右耳からはパソコンの高原のBGMが聞こえ、左耳からは窓の都会の騒音が聞こえている。
すごく、変なかんじ。。。
世界が真っ二つに割れてるみたい。その境目にいるようで。
聴覚って有無を言わさず身体に繋がり、その瞬間に生理的なレベルで体感が変化するなと思う。
それはただ聞くだけではなく、もはや実際に体験している感覚だ。
人によって感じ方は違うから一概に言い切れないかもしれないが、視覚より聴覚のほうが、そういうダイレクトな体感覚には繋がりやすい気がする。
たとえば、綺麗な場所の写真や映像を見ると「わ〜綺麗」としみじみ見惚れて楽しむが、実際その場に自分がいるような感覚とはちょっと違う。
そんな聴覚の特性を感じる出来事だった。
高原の世界も、都会の世界も、本当にどっちも同時にその場に存在しているように感じたから。
その2つの世界の境目は、
私の脳の中だった
ということになろうか。
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