食べること
彼は目を閉じて、ゆっくりと咀嚼を始めた。優しい仕草だと、思った。
「味わう」という、この光景は、わたしが三年前に見たものだ。
長野の山奥で、自給自足を営むお百姓さんのお手伝いをしていたとき。彼も、わたしと同じ志で、その場所にやってきた、きれいな顔立ちをした男の人だった。
なんて美味しそうにご飯を食べるのだろうと、感激したのを今でも覚えている。その仕草は今でも優しく瞼の裏に残っている。彼の一連の仕草は、”今”を心から楽しんでいるものだと思った。
その時、わたしも真似て、目を閉じた。
もぐもぐ、ゆっくり咀嚼してみる。
味覚、触感だけに集中するので、それはそれは食事を楽しむには素晴らしいものだった。お米ひとつぶひとつぶ、葉のものの歯ごたえ、柔らかい煮物、本来の甘さ。舌の上で十分に味わう。
ああ、これが「味わう」ということか、と気が付いた。
食べるということは、生きるということを豊かにする。
実際にわたしたちは食べることによって、必要不可欠な栄養分を摂取している。食べることは生きることを豊かにして、そして生きることに直結している。
そして食を介して育むコミュニケーション。美味しいね、と微笑み合うことがどんなに尊いもので、有難いものか。大勢や気の知れた友達や家族と食卓を囲む。他愛ない話をしながら、これ美味しいねどうやって作ったの?なんて生活の会話。ご飯は何倍も美味しくなる気がする。
たとえ、独りで食べるときでも、出来合いのものを食べるか、友達の作った玄米のごはんを炊いて食べるか、で異なる。
一粒一粒に、彼らの想いがどのようにして味として出ているか。友達の作ったお米だから尚更だ。身体と心に浸透していくエネルギーはとても暖かいものだった。たった一粒でもその優しさに包まれたとき、独りを忘れることができた。
独りのとき、出来合いのものは、わたしにとっては味気ない。どこか空っぽな気がして、満たされない。コンビニでおにぎりを買うよりも、自分で炊いて、ご飯茶碗一杯、お気に入りの天然塩をふたつまみ。後者の方が満たされた。
だから、食は選びたいと思う。
食べる仕草、食べるひと、食べるもの。(それが選べることはかなり贅沢で、恵まれているとも、つくづく思うのだけど。)
これから、さらに命と直結している、"食"というものに向き合えていけたら良いな、と思う。
五感をフルに使って食べることが、どれほど、楽しく、嬉しく、幸せなことであるか、もう一度よく考えたい。そうすると、どんどん美味しいものに気づいていくのでは、とも思う。
You are what you eat.
〜・〜・
少し前に書いていた文章。咀嚼をしている彼の姿は今も鮮明に浮かぶ。よく思い出しては、改めて食事をゆっくり味わっているわたしがいる。
きっと今も彼はどこかで美味しくご飯を味わっているんだろうなあと、思う。
船上ランチをしていきたいと思っているんだけど。その食に対する姿勢は、いつだって、大事にしたいものです。
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