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目標とする作家探し

小説講座の先生の教えで、
自分が目標とする作家を絞り、その作家・作品を研究せよ、というのがある。

何人もの受講生が、そんなアドバイスを受けていた。

私はというと、
憧れたり、尊敬する作家は複数いる。
純文学、エンタメ小説、児童文学でも、リストには複数名あがっている。

とある受講生が、
「沢山いるんですよ」と困ったように言ったら、
「みんな好きというのは、誰も好きじゃないのと同じ」
と言われていて、なるほどと思った。

この人、という作家を一人絞って、
その人に近づく練習をするのが、いいらしい。

なるべく具体的に一人に絞った方がいい、とのこと。

なので、私もいよいよ絞ろうとおもって、
まずは、受講当初に作成した「好きな作家リスト」を引っ張り出し、
その作家たちの作品を読み直すことにした。


吉行淳之介


たまたま本棚にあって、最近読んでない作家から読んでみた。

昨年泊まった、神田・山の上ホテルは、
たしか吉行淳之介も行きつけだった気がする……なんて思い出しながらの、久しぶりの吉行淳之介。

意外なことに、以前ほどの感動を覚えなかった。
久しぶりだったのもあり、
観察するような心持ちで読んでいる自分がいた。

吉行淳之介には、なぜか以前から一目置いていた。
どうしてだろう?と思いながら、読んだ。

一番最初に読んだのは、大学の時で、
「驟雨」、「暗室」、「夕暮れまで」など。

男女の性が渇いた感覚で描かれ、
冷たく乾燥した主人公の感覚がクールに感じられ、
それが純文学っぽく感じたんだろうな。

あらためて読むと、
繊細で敏感、冷めていて、孤独感でひりひりするような筆致。

読みやすく、無駄がない文章。
でも、一つ一つのモチーフ(小道具ともいえる?)が的確に配置され、
ディテールがうまい。
人物の心理描写も繊細ながらリアル。
そういうところが、上手だなって感じる要素なんだろう。


一昨年あたりに、作家の文章作法・小説講座系の本を買い集めていた頃、
吉行淳之介の対談本を読んだら、
随分と女性嫌悪があって、へえ、そうだったかと納得したのだけど、
吉行淳之介のミソジニーは有名な話らしい。
(二十代のころはわからなかったけど、
作品を読んでいても、今ならそうだよねと納得する)。

特に、大学生のころに印象の残った短編が、
「寝台の舟」
というので、
実に、十数年ぶりに読んだ。

女装した男性と関係をもって、しばらく続く話。

上手だとは感じるけど、
初めて読んだ時ほどの驚きと新鮮さを感じなかった。

自分が年を取ってしまったせいもあるだろう。

いまやLGBTQの小説も映画も、
珍しくないのもあるのかもしれない。

「娼婦の部屋」という作品も読んで、
赤線地帯らしき地域が舞台でもあり、
懐かしいというか、レトロ感を感じた。

こんな世界観、今の若者じゃあ到底わからない。
大人でも、知らない人は知らないだろう。

すでに平成、令和と時代が過ぎて、
戦後派、第三の新人、昭和的なものも随分古くなったんだなあと感じた。


第三の新人


そして、気づいたのは、
私が「現代の」「純文学」として習ってきたもの、
大学の講義などで学んだものが、
たいてい明治~第三の新人くらいまでの作品が中心だったので、
「純文学」というと、
第三の新人あたりが、どうしても浮かびがちだったという点。

私が大学の創作講座で学んでいた頃は、
第三の新人あたりのものが、
一番近い見本になっていたのかもしれない。

第三の新人の特徴。

大きな物語が終わって、
いよいよ個人の時代の到来で、
でも個人を描いているけど、
そこに社会的、時代的な象徴もはらんでいる。

小さいながらも、うまいなあと思う作品が多い。

では、私はそれを見本にするかといったら、
今回は「なんとなく違うなあ」と今思った。

例えば吉行の場合、
渇いた感覚やひりひりするような孤独感など、
ここをもらいたい、という部分はある。
だけど、
全部を全部トレースしたいわけじゃないなあと。

変な比喩になるかもしれないけど、
親戚のおじさん、みたいだと思った。

すごく身近な、
子供のころからよく知っているおじさんたちで、
おじさんたちの長所も短所も知っている。
で、自分もいよいよ大人になってきたから、
そのおじさんたちのことを思い出しつつ、
自分も良いところをまねようって感じ。

安岡章太郎なら、ここ、
遠藤周作なら、ここ、
といった風に、
尊敬して学びたいところがあって、
そこだけもらいたい、みたいな。

小島信夫はちょっと別格みたいなところがあって、
またちゃんと読みなおそう。


厳選していく作業も、案外楽しい


この調子で読み直して、厳選していく予定。

吉行淳之介の件で、
とある作家の作品が、
単純に一読者として好きで、
その作者独特の世界観や人物造形が好きだったとしても、
自分がその人と同じようなものを書きたいか、
また、似たタイプの人間像や価値観、メッセージを伝えたいかとなると、
違うって場合もあるとわかった。


これは結構大きな気づきだと思う。

ただ読むのと、
書こうとする場合とでは、
視点が変わるということ。

その相手の技術や感性を、
まねできるか、できないかってこともある。

でも、本当に憧れて好きで、
どうしてもその作家みたいになりたいなら、
研究し尽くせば、
真似ることはできる気はする。

この厳選する作業の中で、
より自分が何を表現したいのか、
また自分がどんなタイプなのかを、知ることができそうだ。


好きな作家リスト


参考までに。
以前作ったリストでは、こんな感じになってました。

★の作家が特に世界観が好きで、尊敬し憧れている作家。

(娯楽小説)
★山本周五郎
★司馬遼太郎
★池波正太郎
・藤沢周平
・大沢在昌
・桐野夏生
★窪美澄

(純文学)
★宇野千代
★遠藤周作
★吉行淳之介
★村上春樹
★よしもとばなな
★江國香織
・吉田修一
・山田詠美
・川上弘美

(児童文学、ファンタジーなど)
★パウロ・コレーリョ「アルケミスト」など
・ルグウィン「ゲド戦記」
・ロードオブザリング
・小野不由美さんの十二国記シリーズ
・柏葉幸子さんの作品(霧のむこうの不思議な町)
・福永礼三さんのクレヨン王国シリーズ

リストにはあげているけど、
とても感動したけど、
一、二度読んだきりという作家もいる。

好きの度合いも、作家ごとに違うということだ。

結局、気が付けば継続的にずっと読んでいる作家や、
何度も読み直している作家が、
一番影響を受けている作家なんじゃないかなあと感じた。

好きだから、何度も読むわけで。

理屈ではなく、
本当に好きな作家を最後の一人に残すということかもしれない。

「日常的に、何を一番読んでるかなあ?」って、
自分の動きを見直してみると、
自分のことが分かってくる!と気づいた。



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