見出し画像

傷みのシャンデリア(私の草間彌生体験)

2014年に、松本市美術館に行った時の感想が見つかったので、アップしてみます。これが私にとっての草間彌生体験ともいえる作品を見た時の感想です。


草間彌生の作品を、生で久しぶりに見て、やっぱり感動した。
理屈ではないけど、なんか、ぐぐーっと胸に衝撃が走るというか。

ことばにならない、なにかが、そこにある。
かわいさの中の、狂気とか、孤独とか、繊細さ、美しさ、悲しみ、わらい。それらのカオス。
乱舞。

草間彌生は、水玉のカボチャや網目の絵や置物の作品が多いイメージだけど、ここにはお部屋自体が作品というインスタレーションもあった。

観る人が、直接、作品の中に入り込んでしまう仕組み。

今回、一番心に残ったのが、その中の一つだった。

「傷みのシャンデリア」


遊園地にあるような、全部の壁に鏡が張られている、鏡の部屋。

その真ん中に、きらきら光るシャンデリアが一つ、くるくると静かに回っている。

シャンデリアのライトは、スパークするようにできていて、常に線香花火のように、明滅している。

床はグレイ。

ずっと永遠に、連続する鏡の世界の中で、シャンデリアがチリチリ、キラキラ、スパークしている。

いくつものシャンデリアが、鏡の中で永遠にスパークして、火花を散らしている。

鏡像の世界。

きれい。

だけど、どこか切ない。

孤独。繊細さと、美しさ。悲しみ。

「傷み」というものの表現。

それが、あまりにあまりで、わたしは部屋を出た後、もう一度、見に行ってしまった。

最初は、連れと二人でその部屋に入ったけど、二度目はひとりで静かに入ってみた。

やはり胸がはりさけるような、泣けるような、切ないうつくしさだった。

わたしのこころのどこかに、引っかかった。

たぶん、なかなか言葉にできなかった感情とか、感覚が、そのまま形になっている気がした。

そのどうにもならない、切なさ、さびしさ、悲しみみたいなものは、みんな、あの作品をみたら、感じるのかな?。

連れは、なんもないみたいに、ふつうだった。

わたしには、どんぴしゃだった。

芸術ってすごいな~と、アートの力をやはり感じた。

その一つの何かに出会えるだけで、じぶんのなかの、モヤモヤが、すうっと昇華される。

それは必ずしも、喜びやしあわせとか、明るい、きれいな感情だけではない。

なかなか自分ではつかみきれない、悲しみや怒り、絶望など、暗い想いもあるかもしれない。

でも、それでいいんだとおもう。

それがつかめた瞬間、解放され、癒されるから。

そういうもんなんだな、芸術って。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?