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【エッセイ】早く帰りたいなぁ、と家の中で呟く僕は今日も迷子で泣きじゃくる。

2021/2/6

 「早く帰りたいなぁ」。また呟いてしまった。僕の口癖。家にいるにも関わらず。
 ある時から、この言葉が口癖になってしまいました。明確にいつからというのは思い出せないんだけれど、大学生の頃にはもう口癖になっていた記憶があります。高校生の頃は言っていなかったような気がするので、大学の1年生か2年生の時だと思う。

 外出しているときはもちろん、家の中をうろついている時にも発してしまうこの言葉。
 お前は一体どこに帰りたいというのだろう。家にいるのに。家で呟くたびに僕は自分で自分にツッコミを入れてしまいます。一人ボケ、一人ツッコミ。ピン芸人みたい。

 自分で自分のことがわからない。まるで赤の他人みたいに思える時があります。まだあまり親しくない間柄の女の子を見ているみたいな感じ。その人のことが少しは気になるんだけど、でもあまり踏み込めない感じです。

 大学生の頃に僕に何があったのか、なぜ「早く帰りたい」が口癖になってしまったのか、それは僕にもわかりません。
 もちろん僕も人並み程度には大学生特有の将来への不安感とか、自分探しの悩みとかはありました。自分という存在の存在理由を考えたこともあります。答えはもちろん出なかったけれど。大概の人間の悩みって考えても明確な答えなんてないんだと思う。だから悩むんだもの。人間だもの。みつをじゃないです。

 明確な理由はわからないけれど、そうした悩みをきっかけとしてこの口癖が発露したような気はしています。あるいは、それは悩みを象徴的に表すために僕の心が叫んでいると言い換えることもできるかもしれない。

 では、僕の心は何を求めて叫んでいるのか。それを明らかにすることができれば、もう少しだけ僕は生きやすくなるかもしれない。そういうわけで今日はこの文章を書いています。

 「帰りたい」と言った時に僕はどこを求めているのか。それは空間的な問題なのか、時間的な問題なのか。そこから考えてみました。

 はっきりと言えるのは(太陽が西から昇ってくると言えるのと同様のはっきりさで)時間的な問題ではないだろうということです。僕ももちろんあの頃に戻れたらな、と妄想を広げることはあるけれども、「早く帰りたい」という言葉を発する時に、どこか特定の過去の時点を想定してはいないからです。

 では空間的な問題なのか、と言われるとそれについても特定のどこかを想定していないから違うのかもしれない。

 次に考えたのが、言葉の意味するところについて考えてみました。
「早く」と言っている以上、帰れることは決まっているけれど、タイミングの問題であることがわかります。「いつか」ではなく、「早く」帰りたい。そのタイミングが訪れるのを僕は待っている。ご主人様の帰りを尻尾を振りながら待つ忠実な犬のように。
 では、「帰りたい」という言葉は何を意味しているのか。それは明白です。「帰る」という言葉は世界中の各地域において、あるメタファーとして使われる言葉です。土に帰る、天に帰る、いろいろな使われ方をしますが、死のメタファーとして使われている言葉です。

 ここまで考えてみて、僕は自分でもビックリしました。暗闇から急に人の手がナイフを持ってぬっと出てきた時みたいにビックリした。
 僕は早く死にたいと思っているのかと。そんなことはないはずだ、と自分で否定はしてみるものの、他に良い答えが見つからない。

 でも思うんです。本気で死のうとなんて思ってはいないけど、ストレスのガス抜きとして言っているんじゃないかって。
 「死にたいな」とか「消えてしまいたい」と言った直接的な表現ではなく、「帰りたい」と暗喩的にメタファーとしての言葉に置き換えていることで、ガス抜きにちょうど良い塩梅にしているんだと思います。
 だから僕は今日も元気に生きているだと思います。

 みなさんも、辛い時、苦しい時、いっぱいあると思います。だってこんなに厳しくてタフさを求められる現代社会を生きているんだもの。そんな時は弱音を吐いてください。少しでもストレスを吐き出してください。そのためのちょうど良い言葉、「早く帰りたい」。

 みなさんも使ってみてください。もちろん他の言葉でも良いんだけど、現実逃避や弱音や愚痴をこぼしてください。ずっと前向きなんて無理な話だけど、前向きになるための努力は必要です。僕と同じような口癖を前向きに生きるための言葉として使ってみてくださいね。

 それではみなさん、良い一日を。

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