【エッセイ】非みかん的みかんのアイデンティティ。それはきっと自分探しという名の巡礼への旅立ち。

2021/2/15

 今日食べたみかんが史上最悪にまずかった。スーパーに普通に売られている市販のみかんでこんなにまずいものが存在していていいのかってレベルでまずかった。
 酸っぱくて、薄皮が全然薄くなくて分厚くて硬くて、いつまでも口の中でくちゃくちゃ噛んでても薄皮だけが残るタイプのやつだった。

 間違ってオレンジとか他の柑橘類を買ってきてしまったのかと思ったほど、それはみかん的じゃなかった。もう一度、袋を確認するとちゃんと産地と一緒に「みかん」という文字が書いてあった。

 だから僕は憎々しい気持ちを込めて手の平に乗っているその非みかん的なみかんを睨みつけてしまった。
 それなのにその非みかん的みかんは「私はみかん。美味しくないと思ったあなたが悪いのよ」ってふてぶてしい顔をして僕の手の平に座っていた。まるで丸々と太った野良猫のボスみたいな感じで、本当にふてぶてしかったんです。

 捨てるのは勿体無いし、なんだか負けたような気がするのでちゃんと全部食べました。

 それで食べながら思ったんです。こいつはすごいなって。全然みかん的じゃないくせに、ちゃんと自分はみかんって主張していて。周りがどう思おうが関係なく、自分のアイデンティティとして「みかん」というものを持っていて、それを一切の迷いもなく主張している。
 非みかん的みかんが持つみかんとしてのアイデンティティ。僕は食べながら少し感動すら覚えました。

 僕もこれくらい確固とした自己を、アイデンティティを持っていたらよかったのに。僕の面の皮がこのみかんの薄皮くらい分厚ければよかったのに。
 そう思わずにはいられませんでした。

 僕はどうも顔の皮が薄いのか、周りの人の様子ばかり気にしてしまうところがあります。すぐに破けてしまうトイレットペーパくらい面の皮が薄いかもしれない。
 いつもヘラヘラと笑って周りの人に調子を合わせて、怒ったり不機嫌になったりしている人がいると怖くて緊張して黙り込んでしまう。
 それもこれもアイデンティティとしての自己を確立していないからなのかもしれない。

 別にヘラヘラしてたっていいんです。それが自分だって胸張って言えるくらい自己が確率してたらヘラヘラしてて何が悪いって言えるんだと思います。非みかん的みかんがドテンと僕の手の平にふてぶてしく座ってたみたいに。

 だから僕は自分を探し続けないといけない。これが僕なんだ、何が悪いって言えるくらいの自分を。
 今の所はヘラヘラしているのが自分らしいような気がするから、とにかくヘラヘラし続けようと思います。
 不機嫌な人の横でヘラヘラ笑いながらワインを飲めたら、その時、僕のアイデンティティの確立が成功したと言えるのかもしれない。そして周りの空気まできっとヘラヘラにできるようになってるかもしれない。そんな日曜日よりの使者みたいな男になりたい。

 だから今日もヘラヘラします。頑張ってヘラヘラ的じゅんちちを手にするまで笑っていきます。
 
 それではみなさん、良い一日を。

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