『夢十夜 第三夜』を読む。考察、感想

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 夢十夜 第三夜 です。前回 『夢十夜 第一夜』を読む。考察、感想③|純文学の感想で飯を食べていく (note.com) 次はごんぎつねとか言ってたり気がしますが、二夜ではなく三夜から。個人的には三夜の方が引き込まれたので。出典は変わらず、夏目漱石 夢十夜 (aozora.gr.jp) さん。

 ※作中に不適切な用語が出てきますが、当時のままの記載とします。

こんな夢を見た。

 い つ も の。
 いいですねえ共通出だし。

六つになる子供を負ぶってる。たしかに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰つぶれて、青坊主になっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答えた。声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるで大人おとなである。しかも対等だ。

 
 六つになる自分の子を負ぶっていて、盲目で坊主頭。そしてなぜか、6歳なのに大人のように、対等に話しかけてくる。少し不気味ですね。

左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇やみに差す。
「田圃へかかったね」と背中で云った。
「どうして解る」と顔を後へ振り向けるようにして聞いたら、
「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。
すると鷺がはたして二声ほど鳴いた。

 未 来 視。
 見聞色の覇気の使い手じゃったか…しかも未来が見えるとはかなりの使い手…。
 冗談はさておき、やはり少し不気味ですね。

自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、この先どうなるか分らない。どこか打遣る所はなかろうかと向うを見ると闇の中に大きな森が見えた。あすこならばと考え出す途端に、背中で、

「ふふん」と云う声がした。

「何を笑うんだ」

 子供は返事をしなかった。ただ

「御父おとっさん、重いかい」と聞いた。

「重かあない」と答えると

「今に重くなるよ」と云った。

 こ、こわ~。語り手が子供を捨てようとした瞬間に笑うのも怖いし、そのタイミングで「重いかい」って聞いてくるのも怖い。語り手が重くないって答えるのも信頼ならないし、「今に重くなるよ」ってのも全てをわかってる感あって怖い。

自分は黙って森を目標にあるいて行った。田の中の路が不規則にうねってなかなか思うように出られない。しばらくすると二股になった。自分は股の根に立って、ちょっと休んだ。

「石が立ってるはずだがな」と小僧が云った。

 なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左日ヶ窪、右堀田原とある。闇だのに赤い字が明らかに見えた。赤い字は井守の腹のような色であった。

 森まで歩く。相変わらずなんでも知っている子供。分かれ道は、左は窪に、右は原につながっている。なぜか闇夜なのに赤い字は明らかに見えた。

「左が好いだろう」と小僧が命令した。左を見るとさっきの森が闇の影を、高い空から自分らの頭の上へ抛なげかけていた。自分はちょっと躊躇した。

「遠慮しないでもいい」と小僧がまた云った。自分は仕方なしに森の方へ歩き出した。

 
 「命令」って、もはや対等でもないですね。そして、自分はなぜかちょっと躊躇する。でも、小僧は”遠慮”しないでいいという。遠慮?いったい誰に。小僧に?何を?

腹の中では、よく盲目のくせに何でも知ってるなと考えながら一筋道を森へ近づいてくると、背中で、「どうも盲目は不自由でいけないね」と云った。

「だから負ぶってやるからいいじゃないか」

「負ぶって貰もらってすまないが、どうも人に馬鹿にされていけない。親にまで馬鹿にされるからいけない」

 何だか厭いやになった。早く森へ行って捨ててしまおうと思って急いだ。

 やはり言葉遣いが子供ではない。親へのちくちく言葉がひどい。親は親で、捨ててしまおうと急いでしまっている。

「もう少し行くと解る。――ちょうどこんな晩だったな」と背中で独言のように云っている。

「何が」と際きわどい声を出して聞いた。

「何がって、知ってるじゃないか」と子供は嘲あざけるように答えた。

 怖い怖い怖い怖い怖い。なになになになになになに。未来視じゃなくて、タイムトラベラー?未来から来てるの、これ。なんにせよ、この後おこる何かの話をしている。

すると何だか知ってるような気がし出した。けれども判然とは分らない。ただこんな晩であったように思える。そうしてもう少し行けば分るように思える。分っては大変だから、分らないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。自分はますます足を早めた。

 語り手も、何かが分かってしまう気がする。だからこそ、分からない方がいい、分かる前にけりをつけてしまおうとする。長くなってきましたが最後まで行っちゃいます。

雨はさっきから降っている。路はだんだん暗くなる。ほとんど夢中である。ただ背中に小さい小僧がくっついていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実も洩もらさない鏡のように光っている。しかもそれが自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。

 自分の子が、目が見えないはずなのに、自分の過去、現在、未来をことごとく見通してくる。それが語り手には耐えきれない。恐ろしい。必死に前江進む。

「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」

 雨の中で小僧の声は判然聞えた。自分は覚えず留った。いつしか森の中へ這入はいっていた。一間ばかり先にある黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木と見えた。

 わかってしまう前に止まるはずだったのに、夢中で歩いていたら、分かってしまうところまで来てしまった。

「御父おとっさん、その杉の根の処だったね」

「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。

「文化五年辰年だろう」

 なるほど文化五年辰年らしく思われた。

 なんだ、いったい、文化五年辰年になにが…。

「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」

 ひ、ひいいいいいいいい~~~~。シンプルにホラーじゃん!!!!!!怖すぎる!!!!よくあるやつじゃん!!昔子供を殺して生まれ変わった子に「今度は突き落とさないでね」って言われるやつ!!!それの原典がこんなところに!!!!

自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。おれは人殺であったんだなと始めて気がついた途端に、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。

 罪を自覚した瞬間、「今に重く」なりましたね。百年前、この子を殺した記憶がよみがえる。


 未来視というより、ループものが近いのかな。百年前って話が出てるけど。個人的には、犯した罪を償うための地獄的な罰として、何度もこのやり取りを語り手がループさせられている的な気がする。子供はその間に精神が成熟していく。語り手は罰だから記憶を失って何度も同じ過ちを犯す。


 窪と原で迷ったのは、子供を捨てやすいのは窪だろうし、それを思ってい
たからこそ語り手はためらったし、それを知っていたからこそ子供は「遠慮しないでいい」といったって感じですね。文字が読めたのは記憶がすでにあるから。


 もしかしたら、子供を捨てないっていう選択肢をとれた瞬間が、この語り手がこの罰から逃れることができるタイミングなのかもしれませんね。

 以上です!長々とありがとうございました。次は何を読もうか。悩み中です。


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