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総合的な探究の時間 高校と地域の協働期待(河北新報 座標 2021.10.19掲載記事)

 学習指導要領の改定により、令和四年度から高等学校の「総合的な学習の時間」は「総合的な探究の時間」に変わる。社会に開かれた教育課程の実現を目指して設けられる新科目に関連して、教員の方から相談を受けることが多い。私が運営するカフェが、学校と家庭の間にある地域の活動拠点として、過去の高校生利用者たちに頼られてきた実績があるからだと受け取っている。

 この科目で地域の存在が重要視される背景のひとつに、「よりよく課題を発見し解決していく」ための資質・能力の育成が掲げられていることがある。複雑化した社会の一端に触れ、生徒自身が課題を発見するためには、学校の中の人間関係や教材だけではなく、地域での他者との対話や、経験が必要だ。生徒は、社会問題の現場を取材したり、日頃の生活から感じる問題を再考したり、すでに課題解決を実践する人の姿に共感する。

 現代における地域の課題は、解決の道筋がすぐには明らかにならない課題や、唯一の正解が存在しない課題に溢れている。市民ひとり、まして高校生ひとりの力では、解決できないものばかりである。たとえ解決のための手段があっても、環境・社会・環境の側面それぞれから持続可能性の検証も必要。手段が見つかっても、それを実践する人材や仕組みも必要。到底、1、2年では課題が解決した地域の姿を見ることは難しい。

 それでも、高校生の地域における探究的学びに、今後の地域の在り方の未来、そして地方出身の高校生のキャリアの在り方の未来を期待したい。地域の課題は、高校生が向き合う以前に、複雑化しており、容易に解決のための最適解や納得解は見いだせない。従来の手法を踏襲することが答えであるとも、他の地域の手法を借りてきて真似することが答えであるとも言い切れない。複雑化した社会の中から課題とその解決方法を見出そうとすることは、教育関係者であってもなくても、すべての市民に求められる態度だ。高校生が地域に飛び出て、粘り強く課題を発見し解決しようとする姿が、他の世代に示唆を与えてくれるはずだ。

 そして、地方出身の高校生のキャリアにとっては、地元との関わり方を考える契機になる。高等教育機関や就労場所の偏在によって、一生涯その地域に住み続けることはもはや前提ではなく、人生の中で幾度かの地域間異動が当然の社会になっている。いずれの地域でも少子化によって生業や文化の担い手が減少する中、例えその土地に住み続けなくとも、地域の魅力や課題と自分自身の関わり方を見出す次世代がひとりでも増えることが、持続可能な地域の可能性を開く。そして、自分のルーツである土地との関係において、自分自身にとっての最適な関わり方を見つけることができていれば、地域は自分を縛り付けるものではなく、自分の人生を豊かにする環境や文化、そして役割を見出す場所になるはずだ。

探究の実践ははじまったばかりで、関係者も手探りでそのカリキュラムをつくうと試みている。授業の在り方を探究しようとする方々と一緒に、地域と高校生の未来を考え続けたい。


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