見出し画像

両親への手紙を綴って行う洞察瞑想 #52

今日も新しくはいったコミュニティで色んな瞑想の実践。

最初に簡単な集中瞑想を行った後、
今日は両親に感謝の気持ちを手紙に綴ってみる。

その後、それを気持ちを込めて読み上げる。
その際、自分の身体の変化を感じ取る洞察瞑想を行う。

両親に感謝の手紙なんて、そう書かない。
いや、そういや誕生日に簡単に書いたか。
でもあれはほとんどプレゼントの本の解説だった。

手紙を出さなていいし、誰にも見せなくていいから、ただただ思いの丈を綴る。

昔と違って、今は以前よりかは両親への共感的理解をもって気持ちが少しはわかる。
だから書けること、伝えたいことはたくさん出てきた。

読み上げるときは、この一人暮らしの家の中、誰に聞こえるでもない。
だから自分らしく、気持ちを込めて読んでみる。

気持ちを込めて声に出すと、急にスイッチが入ったかのように、身体の中が温かくなる。
声に出すと、声に気持ちがのっかって、その声を自分の耳でも聞こえてきて、連動して身体の中に変化していく。

書いていないこと以外にも伝えたいことがあって、勝手に言葉を足して、伝えたいことを話し出す。
目頭が熱なり、涙がこぼれそうになる。

読み終えた後に、優しく目を閉じ、身体を観察する。
目に涙がたまっていたからか、鼻が少しつまって、
呼吸するたびに、かすかにピューと音がなっている。

幸せな鼻詰まり。

こう思うと、慈悲の瞑想を終えた感覚と似たものがある。

実際慈しみの文章を読むだけではなく、
自分にとって言葉でその人への文章を読むことから狭く深い部分はあるかもしれないが、満たされる気持ちになれる。

今日もこの取組がなければ、気が付けなかった気持ち、感覚ばかりだ。

改めてこの場に感謝したい。

2021年2月3日の日記より
2021年2月4日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?