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僕が出会った風景そして人々(番外編⑨ )

発掘現場の人間模様その2
この物語(?)に登場する人物については、「番外編⑤」でも簡単に触れたが、読者の皆さんが覚えやすいように、もう少し彼らのキャラクターについて補足しておこう。

なお、モデルとなった人物は実在するものの、かなり誇張して描いており、しかも虚実取り混ぜて書いていることを、あらかじめお断りしておきたい。
 また、僕のいい加減な記憶に基づいているため、彼らと出会った時期(現場)も、実際とはかなりズレがあると思う。モデルとなった皆さん、万が一これを読んでも怒らないでね。あくまで創作物語ですから。

I塚(愛称:チャイ塚)
某私立大学を卒業したが、発掘のアルバイトをよほど気に入ったのか、就職せずに現場に舞い戻ってきた変わり者だった。
 フォークソングをこよなく愛し、岡林信康、高石ともや、高田 渡、中川五郎、忌野清志郎といった伝説のミュージシャンたちの歌をいつも口ずさんでいた(たぶん、今でも)。
 よく、彼に誘われて吉祥寺の「のろ」という居酒屋でお酒を飲んだ。知る人ぞ知る、隠れた名店である。

発掘のバイトをしながらコピーライターを目指していた彼は、その後とある広告会社に就職して遺跡の世界から巣立っていった。
 彼とは今も親交があるが、昔から変わらず飄々と人生を送っている。

G藤氏
ジャングルK内調査員に負けず劣らぬ迫力のある顔つきだった。ひげ面というよりは寧ろ、ひげの中に顔のパーツがあるといった風情だ。

前回は彼を自称ミュージシャンとご紹介したが、自称カメラマンだったかもしれない。小栗虫太郎や夢野久作、中井英夫といった、いわゆる異端文学をこよなく愛し、インド・ネパールが大好きだった。

何故かいつもつまらなそうな顔をしているのだが、実際はたいへん情熱家で、何をやるにも一生懸命だった。
 彼は数年に一度の割合でインド~ネパールに出かけては現地の人々の写真を撮っていた。発掘調査の仕事をしているのは、旅費を捻出する手段だったと思う。

彼は非常に多趣味であり、友人たちとバンドを組んだり、同人誌を作ったりしていた。僕が小説家を目指していることを知ると、ある日僕のアパートにやってきて、彼が主催している同人誌への執筆を依頼してきた。

『ろーりんぐ30』という名で、執筆者から受け取った原稿を全部彼が自筆で書き写し、ところどころに自分で描いた挿し絵まで組み込むという、労作だった。

僕は、そんなG藤氏の熱意にほだされて、当時途中まで書き進めていた『チカムリオ』というファンタジー小説を連載することにした。

『チカムリオと挿し絵』

これがチカムリオの初デビューで、読者の方からお褒めの言葉をいただいたりしたのだが、残念ながら連載は2回だけで終わってしまった。
 
彼がつぶやいたセリフの中で、今も覚えているものがある。

「ヒマラヤのふもとに小さな村があってね。そこを通りかかったとき、一人の可愛らしい少女に出会って、友達になったんだ」

こんなに見た目がコワイ男と友達になれるなんて、よっぽど人を見る目がある娘なんだなと、その時僕は、いたく感心したものだ。

「その子に、“今度またここへ来るときには、アナタの国に咲く花の種を持ってきてほしい”と言われたのさ。だからオレは、何としてももう一度あそこへ行かなくちゃならない。花の種をどっさり持ってね」

こうして彼はせっせとアルバイトをして旅費をため込んでいた。食費も切り詰めて、毎食お握りとゆで卵という生活を続けたら、とうとう栄養失調になり、銭湯でぶっ倒れたそうだ。

その後、彼がその村に行き、可愛い娘と再会できたのかは、とうとう聞かずじまいだった。

Tムラ
自称天才画家の彼は、頬がこけてギタギラした目つきの、しなやかな野獣を思わせるような男だった。
 何に対しても自信家であり、また、自身のライフスタイルにも独特なこだわりを持っていた。
 たとえば一緒に酒を飲むにしても、彼は普通の居酒屋よりも、蕎麦屋で熱燗を一杯やる方を好んだし、モノの見方や考え方については、他人がどう言おうと、まずもって自説を曲げようとはしなかった。

彼はいろいろな紙、たとえば新聞の折り込み広告などを細かくちぎってキャンパスに貼り付け、その上から絵の具を塗りつけるような手法で絵を描いていたと思う。
 人物画が多かったような気がするが、その画風は独特で、そこに描かれる人物はみな、なんとなく暗い雰囲気で、目と目が離れ、ずんぐりした体つきをしていた。

たとえば「麻雀男」と題した絵は、髪がボサボサで太った男が手に麻雀パイを握っているという構図だった。その男はどう見ても作家の阿佐田哲也さんそっくりだった。そう、名作『麻雀放浪記』で一世を風靡した無頼派作家だ。しかし、Tムラが言うには、その絵は麻雀を打っている時の僕を描いたいうのだ。
 それを聞いて僕は笑ったが、内心とても嬉しくて、その絵が欲してたまらなくなった。けれど、僕以外にも気に入った人がいたようで、その絵は買い手がついてしまった。

もう一つ、絵に関して彼が言った一言が今も強く印象に残っている。

僕が、好きな絵は何かと尋ねた時だったかと思う。

彼は宮本武蔵の絵が好きだと言った。

確か、長くまっすぐ上に伸びた細い木の枝に、一羽の鳥(モズだったか?)がとまっている絵だったと思う。その絵は僕も何かの本で見て知っていた。

「あの絵の緊張感は凄いよ。一目見て寒気がしたよ。まさに剣豪の絵だね」
Tムラはギラギラとした目つきでそうつぶやいた。

彼は今も絵を描いているのだろうか。風の噂では、まだ遺跡調査の世界で頑張っている由。年齢からしても、相当なベテランの境地だろう。

果たして彼は、今なお孤高の天才であり続けているだろうか?
 僕はそうあって欲しいと思うし、きっとそうに違いない。

さて、僕が遺跡で出会った人物の解説については、ここで一区切りとしよう。これからまだまだ魅力的な人物が数多く登場するので、読者諸賢は期待してお待ちいただきたい。

新たな現場、新たな出会い
そうこうするうち、次の現場が始まった。

今度もまた市道の調査で、M市南側の「T坂遺跡」という、縄文~旧石器時代の遺跡だった。

この調査では、遺跡調査会の固定メンバーのうち、N上君がリーダーとなり、僕が補佐することになった。N上君は僕より2~3歳年下の好男子で、友人たちとロックバンドを組んで活動していた。
 黒澤明の映画と「フーテンの寅さん」をこよなく愛する、ペーソスに満ちた男であった。

この現場でも、あらたに発掘調査メンバーが必要となり、アルバイトニュースで募集をかけた。
 三々五々、希望者が集まってきたので、我々のボスである”笑い仮面”ことK主任調査員が中心となり、N上君と僕も加わって面接をした。

そして、ここでまた怪しくも魅力的な面々が仲間に加わったのであった。

さて、ここで筆者は一旦筆を置き、酒を飲むことにした。
 あの頃の懐かしい思い出に浸りながら、きっと今夜も美味い酒が飲めるだろう。

ということで、次回もまた波瀾万丈、涙あり笑いあり、大恋愛ありのドタバタ悲喜劇が展開される・・・かもね。ではまた。

(続く)


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