発達障害と一般社会

こんばんは、ご無沙汰しております。みなさまお元気でしょうか?note (ノート)に記載するのも久しぶりです。私は音楽以外に、とある発達障害者や精神疾患の方の就職のサポートをする仕事をしています。この業界に飛び込んでかれこれ、6年くらい経った。当の私も当事者です。

周りとは違いうまく接触できないなど昔から違和感はありました。人ができることはできない、できないことはできたりと不思議な状態でした。

そんな私も強みを活かせる会社や人に恵まれてこれまでやってきました。失敗を積み上げ、たくさんの人も失ってきた。その中で、妻が献身的に支えてくれて、自分は、今の自分を受け入れ前向きになれているのは、紛れもない事実です。

家族を支えないといけないけれど、自己理解がないと一般社会では生きていけないと強く感じたのが、2015年のこと。音楽の仕事をしている時に、特性上できないことが浮き彫りになってきて精神的に追い詰められて、鬱になり「楽しみたい」そんなことを毎日思っておりました。ここにきたのも、その入院している最中のこと、いつかの自分を笑顔で迎えられるように記録することを行いました。退院したのが2015年末。翌年の2016年に自分を知るために、「就労移行支援事業所」へ通所し始めました。

そうした中で、障害者雇用での就職は自分自身が事務経験がないこともあり、大変難しかったことや障害福祉の世界ってどんなところなんだろ?と思い、就労移行支援事業所で働くことを考えるようになりました。就労移行支援事業所に通所しただけでは社会通念を理解しきれなかった部分があったこともあり、もっと自分のことを仕事を通じて知りたいし、同じ思いをしている人を支えたいというのが、根底にありました。

そこから、就労移行支援事業所でかつ自分のことを本当の意味で理解できる、社会通念も学べるところで働いていきたいと思います。

就労移行支援事業所にも、いろいろなところがあります。ビジネススキルを中心に習得できるところや、ヒューマンスキルに徹底したところがあります。私が通っていたところでは全障害を対象としたところだったため、どうしてもスキルを上げた支援が提供しづらかったこともあり、自分は基礎の基礎を知ることしかできませんでした。

そこで、もっと自分というヒューマンスキルを通じて自分自身の特性と向き合い自分を知り、私は一般雇用の世界に戻ることを妻と約束をし、働くことの道筋が決まっていたのもあり、焦りはありましたが、ちゃんと地に足をつけて一般社会に溶け込んでいける人材になることを決めました。

障害者として働く日々は正直大変苦痛でした。毎日、「特性、特性」と言われるからです。耐えに耐えた日々だったことは記憶に新しいです。そこでも、人に支えられたことによって、戸惑いも多かったけど本当の意味で自分を知る場として基盤ができました。ここでは、実に4年半働いたことで感謝しても仕切れないくらいのヒューマンスキルと社会での必要な力を手に入れました。本当に感謝でいっぱいです。

今もそんな自分と付き合ってくださる元いた会社に感謝いたします。

話は変わり、ここからが本題です。現在は、一般雇用に切り替え、別の就労移行支援事業所で働いております。今や立場も変わり、頼られる立場として、いろいろな学んだことを役立たせて活躍しております。

そんな中で私と同じような悩み自分では少し自覚しているのだと思いますが、特性に近いものが激しく出る方がいます。支えていきたいものの、自分のように「自己理解」することができていないから故日常生活の中で散見されるのです。それは、とてつもなく守りたいですが、自己受容できないあるいは自己受容しているが幼さも感じることがあり、非常に悩みの種になっております。

つまり、人を支える=自分のことを知っていないと人を支えることはできない。と感じているからです。偏見と言われるかも知れませんが自分のことを知らないと働いている中で、迷惑もかけるし対話におけるズレが生じそれが、会社の仇となることもあるということです。

そもそもこんなことを話しているのは、職場に「ザ・常識人」が存在するからです。この方からは「一般社会通念を知っていないとこのようにして左遷される」「社会から弾かれるということがこういうことだ」というのを目の前で教えられているようなそんな感覚になります。

そもそも発達障害者は人と感覚が違うので一般常識を学ばないと社会とのズレが起きるのです。このズレこそが、左遷されるポイントなのだと強く実感をします。

社会の中では、人と対等にいるために「空気を読む」これこそが大切だと日々感じますし、その常識を持った方からはそういうことを言いたいんだろうな〜と肌で感じております。

また、一般社会で怖いのはそれを直接的に教えてくれません。大人はそれを言わないのです。能力を見て、呆れてしまい蓋を閉じ、自分に被害が加わったら面倒だと感じ関わることをやめるのです。

私も自己理解がなく、周りに迷惑をかけていた時はそのように成りかねない状態だったはずです。現に音楽でも人が離れていくことは多々ありました。

こんな社会がきついなと。でも、これが一般雇用。

その空気が読めるか読めないかで、環境の変化の違和感みたいのを感じないといけない。

けして、その特性を持った方を責めいたいわけではないけれど、これだけは言いたくて記載しました。

”自己理解がないと社会では生きていけない”

ということ。

今後どのようにして生きていくのか。一度見つめ直すきっかけとして、自分自身で情報を自らが掴みにいくべきだと思いますし、自分でその情報を拾いにきて欲しい。

あと、”ザ・常識人”の方にも言いたい。

こういう業界だから障害や多少特性がある方がいることは知ってますよね?
それを受け入れてあげることも大切ですし、寄り添ってあげるのも支援だと思うのです。だって、わからないから苦しいんですよ。
普通の社会でリスクを背負わず、何もしないのは社会課題と向き合っていない、単なる偽善者だと当事者からして思ってしまいます。
もう少しヒントを与えてあげてもいいのではないでしょうか?
あと、冷めているというか、典型的な日本人みたいでおもんないっす。あと、発達障害者は空気が読めないのだから示していくしかないんです。つまり、ストレートに事実を伝えないとわからないのです。

対等を維持するのは、
”自己理解”と”他者理解”が必要だということです。

障害と診断されていないくてグレーゾーンの方やそういう方がもし仮に職場にいたとしても、目を瞑って自分の保身するためだけに冷たく遇らうのだけは辞めて欲しいのです。

みなさんの会社に仮にそういう人がいるとするならば、自己理解を促すきっかけ作りをしてあげてもいいのではないでしょうか?

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?