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旅をする木


星野道夫氏の著作は大好きで2年前にかなり読み込んだ。
新しい図書館で「旅をする木」という彼の文庫版のエッセイ集を目にした。
読んだ記憶はあったが、何か惹かれるものがあり再読してみた。
文庫本で3年ほど前の段階で52刷とあり、いかに人気があって良く読まれている本である。

星野氏のエッセイ集は、同じ物語が別の著作にもあちこちに登場してくる。
それは、星野氏の数々の人や動物や自然との出会いが深い部分で有機的につながりあっているということの裏返しなのかもしれない。

「旅をする木」とはトウヒのことである。
小鳥により川へりの湿った土地の種が落とされやがて大木になったトウヒは
川に浸食を受け、洪水で根こそぎ川に流れていく。流されたトウヒは、北極海流により木のまったく育たないツンドラの海岸で目立つ存在となり、そこに狐がそしてエスキモーの漁師も訪れる

あとがきは私の大好きな作家である池澤夏樹氏。
本書のあとがきの最後のページに星野道夫氏の名が刻まれ、見開きのその左側に解説として池澤夏樹氏の名が刻まれているというのもとても象徴的だ。
池澤氏がこのトウヒの物語と星野氏の人生と重ねて以下のように語られている。

彼の人生が平均よりも短かったとしても、そんなことに何の意味があるだろう。大事なのは長く生きることではなく、よく生きることだ。そして、彼ほそよく生きた者、この本に書かれたように幸福な時間を過ごした者をぼくは他に知らない。(中略)
ぼくには旅をする木が星野と重なって見える。彼という木は春の雪解けの洪水で根をを洗われて倒れたが、その幹は川から海へくだり、遠く離れて氷雪の海岸に到着した。言ってみればぼくたちは、星野の写真にマーキングすることで広い世界の中で自分の位置を確定して安心するキツネである。彼の体験と幸福感を燃やして暖を取るエスキモーである、それがこの本の本当の意味だろう。

旅をする木 池澤夏樹氏の解説から引用

池澤夏樹氏らしい物語性、普遍性を含んだメッセージで、旅をする木は星野道夫氏そのものを象徴していると最後に語られている。

本書は33のエッセイで構成されており、星野道夫氏の驚くべき出会い、衝撃的な体験が星野氏の情緒あふれる文体で語られており味わい深い。

星野氏の以下のメッセージに目が止まった。

ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間に、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは天と地の差ほど大きい

旅する木から一部引用

人間の風景の面白さとは、私たちの人生がある共通する一点で同じ土俵に立っているからだろう。一点とは、たった一度の一生をより良く生きたいという願いであり、面白さとは、そこから分かれてゆく人間の生き方の無限の多様性である。

旅する木から一部引用


その日その日の決断が、まるで台本のない物語を生きるように新しい出来事を展開させた。それは実に不思議なことでもあった。バスを一台乗り遅れることで、全く違う体験が待っているということ。人生とは、人との出会いとはつきつめればそういうことなのだろうが、旅はその姿をはっきり見せてくれた。

旅する木から一部引用


ひとりひとりの人生もまさに台本のないかけがえのない物語であるということを星野氏はご自身の体験を通して語られている




夭折の著作に付箋草の花

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