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阿留辺幾夜宇和(あるべきやうは)


先日、書店で購入した河合隼雄先生(以下、河合先生)の「明恵 夢を生きる」は、河合先生がかなりの年数をかけて書き上げられた。
鎌倉時代初期の仏僧である明恵は、十代から夢を記録し続け、その夢を通して現実と向き合い、修行を重ねてこられた。

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河合先生もその明恵の原典を引用され、さらにユングと河合先生ご自身による夢分析とを重ねて解説をされているが、何よりも明恵の「勝れて夢を畏るべき事」と神に対するように夢に対すべき姿勢をとても重要視されており、とても共感するものがあった。

また、明恵は、「阿留辺幾夜宇和(あるべきやうは)」と高山寺での僧としてのあるべき規範の言葉として残されている。

河合先生がこのあるべきやうはに関して以下のような記述をされている。

明恵が「あるべきやうに」とせずに「あるべきやうは」としていることは、「あるべきやうに」生きるというのではなく、時により事により、その時、その場において「あるべきやうは何か」という問いかけを行い、その答えを生きようとする、きわめて実存的な生き方を提唱しているように、筆者には思われる。

明恵 夢を生きるより抜粋

 「夢に生きる」の中で河合先生が白洲正子さんが執筆された明恵上人に関しての本をとても高く評価されており、その本を読みたくなった。
白洲正子さんの本は以前に読んだことはあったが、その際はあまり感じるものがないままに終わっていた。
いつも行く地域の図書館に立ち寄って白洲正子さんの明恵上人の本を探したが見当たらなかった。

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図書館の帰り、やや肌寒くなりつつも、いつもとは違うルートでぶらぶらと坂道を上がっていくと、お寺の山門に出会った。
そこにあった掲示板を見るとそのお寺に白洲正子のお墓があることがわかり、背筋が寒くなった。ご主人である白洲二郎氏は現在、私が住んでいる町の出身であるようなことを聞いた記憶があったがすっかり忘れていた。

このような導きで、白洲正子さんの明恵上人の本がすぐに欲しくなりメルカリで探したところ、とても手軽な価格で愛蔵版が販売されており、すぐに購入した。

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この本の中で、白洲正子さんも明恵上人の「あるべきやうは」を引用されて次のような解説を述べられている

「僧は僧のあるべきやう。俗は俗のあるべきやう。乃至帝王は帝王のあるべきやう。臣下は臣下のあるべきやうなり。此のあるべきやうを背く故に一切悪しきなり」しごく平明な言葉ですが、人間にはこの当たり前のことが一番守りにくい。それというのも自分が見えないからで、現代語では、自己発見とでもいうのでしょうか、それぞれの天性を知り、その天性に忠実であるべきだ、それが生きることであると」

明恵上人 白洲正子著より


白洲正子さんは幼少の頃から能を学んでこられ、特に薪能を重んじておられた。この本を読んでいる頃に、たまたま吟行に立ち寄った城址公園の東屋で、この5月に3年ぶりに開催される薪能のプロモーションビデオが繰り返し上映されていた。何故かそのビデオからの笛と太鼓の音が胸に響いてきた。
薪能は観たことがなかったが、このように薪能に行くように導かれた感覚があったのでこの5月に城址公園で開催される薪能には行ってみようと思う。

また、白洲正子さんが2,3か月通われた京都の高山寺にも今年は是非、訪れてみたいと思う。

世界遺産 栂尾山 高山寺 公式ホームページ (kosanji.com)



花馬酔木土塁連なる虎口門





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