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【家賃200万超え】芸能人だらけ・川口アパートメント在住記。日本最古の超セレブマンション

昭和の劇作家王・川口松太郎が成した財を、「川口浩探検隊」で一世を風靡した息子・川口浩が惜しみなくつぎ込んで建てた超高級マンションが、東京・文京区の高台にある。築60年近くの時を経て、むしろいま輝きを放つ。親子2代にわたる普請道楽の血が息づいている。

筆者は、20代前半でフリーターをしていた時期に、
バイト先で知り合った彼女とこのマンションで同棲していました。
彼女は当時は女子大生で19歳。
彼女の父親が当マンションの管理会社の社長でしたから、完全な居候です。

分譲賃貸でしたが、後の岳父がワンルームを5000万で購入。一人娘に住まわせていました。
家賃相当だと50万くらいです。

168cmと背が高いモデルの彼女は、スタイルが近いということで、千葉真一氏の奥様の野際陽子さんから高級衣服をたくさんいただいていました。
もちつき大会や、食事会、当時の集まりは8mmに収めています。


ある日の日曜日のこと。

前日の夜から宿泊して、朝から彼女とイチャイチャしていると。。。

"習志野ナンバー〇〇〇〇のトヨタスプリンター・トレノ(AE86)のドライバーさん。速やかにこちらにお越しください!!"   


とのアナウンス。

見本 同一車。

「ちょ、ちょ、全裸なのに・・・困ったなー、とりあえずパンツ履かなきゃ」

「大丈夫なの? とにかく速くいかないと」

「うん、パンツは見つかったけど、他の服が見当たらない」

「だったら、わたしの部屋着でいいじゃない」

"ドライバーさん、何してるんですか?? 速やかに!!"


わたしは、急いでパンツを探して履いて、彼女のスエットを着て外に飛び出すと怖い顔をした警察官が二人。

マンションの前に路駐していて、警察に呼び出されて、パトカーに乗せられて30分くらいいろいろお説教されました。

「ダメじゃないか!! なんだ君は学生か? 何時間停めているんだ。それ相当の反則金は覚悟しなさいよ!! タダじゃ済まんぞ!! 」

「はい。すみません・・・(あちゃー、青キップかいな。お金ないのに)」

「ちょっと、免許証見せたまえ。あっ? 千葉県民か。だから習志野なんだな。千葉の走り屋か? ちょっとこっちの車に乗って。詳しく事情を聞こうじゃないか」

「いえ、走り屋じゃありません。ただスポーツカーが好きなだけで・・・」

「で、今、なにしてたんだ? ん、何をしてたんですかと聞いてるんだ」

「いや、その、あの、特になにも・・・・」

しかし、わたしがこのマンションの関係者だと知ると。

「お坊ちゃまは、川口さまのご関係者の方でしたか。これはこれはお時間頂き、失礼しました。こちらに何時間でも停めていても全然構いませんから。これからも川口さま同様に私どもをどうぞ、宜しくお願い致します。どうか安全運転で千葉まで気をつけてお帰り下さいませ」


と、無罪放免。キップも切られず、会釈と敬礼で見送られたのです。

写真は。
川口アパートメント駐車場での私になります。
外装は既に老朽化しています。
岳父に購入してもらったスカイラインGT-S。
駐車場は5万。
まだ、アルミホイールに交換していません。
妻は大学生。モデルとコンパニオン。
私は芸能関係と、ロックバンドのメンバーで活動していました。
翌年から丸の内の会社に就職して結婚。
私が24歳。妻は20歳。


「こ、コレが上級国民の威力か。スゲーな・・😨」


歩いてすぐ側の東京ドーム。


あなたは東京は文京区春日、最寄駅は後楽園駅から徒歩で数十分、
ここに当時時代を象徴したマンションが今も変わらずに建っているのを知っていますか?


その名も「川口アパートメント」


たくさんの芸能人が住み、交流の場ともなったことから東京でも有名なクラシックマンションの1つです。


今回はこの伝説的な建物「川口アパートメント」について紹介していきます。


ではさっそく行ってみましょう!

そしてこの川口アパートメントの実質的な運営は、松太郎の息子である川口浩が行いました。


年齢が40過ぎの方なら、ギリギリ「川口浩探検隊」で知っていますかね。

70年代から80年代にかけて、川口浩隊長が秘境に探検に出かけ未確認生物などを捜索するという、ものすごい番組でした。昔のテレビ番組は強烈でした!

川口アパートメントってどんな人が住んでいたの?

川口松太郎 三益愛子夫妻


川口松太郎さんの奥様の三益愛子さんは戦前から戦後にかけて活躍された女優さんです。


榎本健一(エノケン)、古川緑波(ロッパ)という日本の喜劇2大スターと共演されているすごい方です!


川口浩 野添ひとみ夫妻

慶應幼稚舎上がりのセレブなご子息・川口浩さん。

「川口探検隊」の浩さん。 今考えるとメチャクチャうさんくせーーー😁



そして川口松太郎さんの息子、川口浩さんと奥様の野添ひとみさんも住んでました。
野添ひとみさんも女優さんです。

川口浩と共演した「巨人と玩具」という映画にも出演しており、
日本映画にも類のないヒロインなのに虫歯だらけの少女を演じてます。


しかもこの映画コメディかとおもいきや社会派的な部分があり、
ラストのインパクトも忘れなれない大好きな邦画なので、見たことない方はぜひ一度見て下さいね!


栗原怜児

栗原怜児さんは、テレビの司会やレポーターなんかで活躍された方です。


前妻は坂本スミ子さん。
坂本スミ子さんは、ラテンの女王と呼ばれ紅白にもたくさん出場されている歌手で映画にも出演されています。


後に離婚しますが、坂本スミ子さんも川口アパートメントに住んでいたかは不明です。
離婚時には栗原さんがゲイであったと妻の坂本さんが告白し、話題になりました。


そして現在の奥様は、みなさんご存知の料理研究科の栗原はるみさんです。


※2019年にお亡くなりになりました。


藤村有弘


人形劇「ひょっこりひょうたん島」のドン・ガバチョの声で有名な藤村有弘さんですが、
映画やドラマ等にも脇役としてたくさんの出演作があります。


そしてこの方適当な雰囲気だけで話すインチキ外国語でも有名です。
ん?インチキ外国語といえば、そうタモリさん!この芸の元祖は藤村さんなんですよ。


本当に芸達者な方でしたが48歳の若さでお亡くなりになってしまいました。


栗原さんの同性愛は元妻による告白なので疑惑に終わりましたが、藤村さんはゲイであることを隠しませんでした。


今なら同性愛に対する偏見もあまりありませんが、その当時はとても勇気のいることだったでしょう。


ひょっこりひょうたん島 ヒット・ソング・コレクション(オリジナル版)


加賀まりこ


寺山修司に高校通学中にスカウトされて、
芸名の「まりこ」は写真家の秋山庄太郎につけてもらったというすごい経歴を持つ女優。

ノーベル賞作家の川端康成氏に「愛人にならないか?」と誘われたとか。

お食事程度でごまかしたそうですが。。。。。

小学校の頃から神保町の古本屋街に通いマルキ・ド・サド選集などを愛読し、六本木の伝説的なイタリアンレストラン「キャンティ」(今でも営業中)に学生服で通っていたという尖ったエピソードが多数あります。


64年の映画「月曜日のユカ」はコケティシュで小悪魔的な主人公を演じて、今でも多くの人たち、特にクリエイターたちに影響を与えています。


最近は、怖いおばさんというイメージがあるかもしれませんが、本当にこの人はすごい人です!


安井かずみ


数々の名曲の作詞を手がけた作詞家・コラムニスト。


加賀まりこと親友で同じく「キャンティ」常連組み。加賀まりこに誘われて、川口アパートメントに住むことになります。


関連記事:作詞家【安井かずみ】ってどんな人?「川口アパートメント」に住み「キャンティ」で食事する最先端な女性!


この二人の人脈が、時クリエイティブな人々がこのアパートメントに夜な夜な集まったきっかけであり、またさらにこのアパートメントが伝説になったきっかけでしょう。


二人と交友のあった代表的な人は、ムッシュかまやつ、コシノジュンコ、吉田拓郎、画家の金子國義などで、さらにその人たちの知り合いが集いました。


安井かずみさんが作詞した曲で大好きな2曲を紹介した記事を以前書いたので、よかったら読んでみて下さいね


野際陽子 千葉真一夫妻


千葉真一さんと、真剣佑さん親子。


千葉真一さんは、離婚されてから他の場所に住んでいたみたいですが、
陽子さんはお亡くなりになるまで川口アパートメントに住んでいました。

立教大学へ通われた、これまたお嬢様の野際陽子さん。

野際さんも安井かずみさんと交流がありました。


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初代水谷八重子 二代目水谷八重子


友近の水谷千重子ではありませんよ(笑)元になった水谷八重子さんです。


初代の水谷八重子は歌舞伎の十四代目守田勘弥と結婚し、二代目水谷八重子となる娘ももうけましたが、後に離婚しています。


守田勘弥なんて知らないよ~というあなた、歌舞伎役者の五代目坂東玉三郎さんをご存知ですか?
そう、人間国宝の玉さまです。


玉三郎さんは、守田勘弥さんの養子なんですよ!


いつまで住んでいたのかは不明ですが、親子で川口アパートメントに住んでいました。


月丘千秋


月丘夢路さんの妹さんです。お姉さんの夢路さんと共に宝塚歌劇団出身。


その後やはり姉とともに松竹へ入り映画界へ入りました。



家の美は心の美を作る

本当にたくさんの有名人が住んでいた川口アパートメント。


もちろん今でも空室が出れば、不動産屋さんから募集が出ますのでよーくチェックしていれば、あなたも住人になれるかも!?


そして最後にこのマンションのエントラスには、直木賞作家川口松太郎の書が掲げられています。

「家の美は心の美を作る」


さすが直木賞作家ですね。素晴らしいお言葉。


出入りするたびにこの書に触れられるのが、もしかしたら一番のこのマンションの贅沢かもしれません。


photo: Akinobu Kawabe / text: Yuka Sano / edit: Tami Okano

川口アパートメント訪問記。1964年完成のヴィンテージマンション | ブルータス| BRUTUS.jp

どんなものでも一流の、優れたものを

家の美は心の美をつくるロビー正面に飾られた、たっぷりとした毛筆の書に見とれていたら、同行したカメラマンが聞いてきた。「この字、うまいんですかね?」そう言いたい気持ちもわからないではない。うまいかどうかはともかく、いい字だと思う。
書いたのは、川口松太郎(1899〜1985)。直木賞の第1回受賞作家であり劇作家。大映や明治座の運営にも関わった、昭和の演劇界の重鎮である。直木賞受賞作の『鶴八鶴次郎』『明治一代女』や『愛染かつら』など、代表作は数知れず。妻は女優の三益愛子。流した浮き名も数知れず。きっと川口松太郎は、この字のような人だったろう。力強く剛胆で、見る者の心をそらさせない。
そんな川口松太郎の書がなぜ飾られているのかといえば、ここ「川口アパートメント」は、松太郎が一代で築いた財を、長男で俳優の川口浩(1936〜87)が惜しみなくつぎ込んで企画運営した高級集合住宅だからだ。川口家もここに暮らした。竣工は東京オリンピックが開催された1964年。築50年以上経ったいまも当時と変わらない姿で、東京の街を見渡す文京区春日の高台に立っている。

  • 中庭を見下ろす。外廊下の湾曲したコンクリートの壁が独特。内側はモザイクタイル張り。

見積もりを取らずに
工事を始める

ゆったりとした車寄せから玄関を入ると、広いロビーはほんのりと暖かい。春の初めの頼りない天気に、冷えた体がほっとする。受付には、年配の男性と女性、時にはアルバイトの若い人もいて、24時間常に誰かが出迎えてくれる。昨今の「コンシェルジュ」と呼ばれるような、マニュアルで働く人々とは一線を画す。アットホームで職人気質な雰囲気が、マンション全体を包み込む落ち着きと安心感につながっている。
ロビーを挟んで東西に棟が分かれて、地上5階建ての全83戸。敷地は約930坪と広大で(竣工当時は1700坪)、かつては1階にレストラン、美容室、庭にプールもあった。全館セントラルヒーティングはいまも変わらず。洗濯乾燥用の浴室電熱器、ダストシュートなど、最新の設備を備えていた。洗濯機は各室に置けない代わりに各階にランドリールームがあり、屋上が開放されており、竣工当時は「貸し女中室」もあったあたりは時代を感じさせる。

  • 手すりやドアノブまで、ゆき届いたデザイン。

建築主だった株式会社川口エンタープライズは、取締役会長に川口松太郎、取締役社長に川口浩、取締役に当時大映の社長だった永田雅一やフジテレビ初代社長の水野成夫ほか、監査役に明治座の社長も務めた三田政吉などが名を連ねた。当時のパンフレットに社長・川口浩は、「どんなものを買うときでも、一番すぐれたものをというのは、私がものを選ぶ場合の昔からの基準であり希望でした。それが『川口アパートメント』の建設にあたっては、みごとに実現できたのです。……」と記す。

その言葉通り、当時の最先端の設備と竹中工務店の丹念な施工技術を駆使し、建築家・橋本嘉夫によって隅々までデザインされた、モダンな超高級アパートメントが誕生したのだ。

興味深いのは、当初は分譲ではなく賃貸だったことで、一度に大きな買い物をするより賃貸でお金を払う方が、「合理的で近代的」という浩の考えによるものだった。とはいえその賃料は、約41㎡で月額約8万円。150㎡近い部屋では月額36万円程度。当時のサラリーマンの平均月給が2万7000円ほどだから、超がつく高額。いかに限られた富裕層向けだったかがわかる。

しかし、理想はあれども計画性に乏しい経営により、結局は入居者に買い取ってもらわないことには存続が難しくなり、途中から分譲に切り替わっていく。何しろ施工の段階で、見積もりを取らずに工事を始めたというから恐れ入る。当初5億円の予算で始めた工事は、最終的には8億円に膨れ上がった。もちろん当時の金額で、の話だ。

女ができるたんびに
家を建ててました

「そりゃあもう兄貴は、あほボンの王道を行ってましたから」と愛情を込めて語るのは、國重(旧姓:川口)晶さん。松太郎・愛子の一人娘で、浩の13歳年下の妹だ。現在、夫の光煕さんと「川口アパートメント」の一室に暮らしている。すでに川口家が経営から手を引いて久しく、國重さんも、いち区分所有者として住んでいる。

「川口アパートメント」が完成した時、晶さんは中学2年生だったという。初期の住人には、松太郎や浩の人脈により文化人や芸能人も多く「加賀まりこさんや安井かずみさんにも、すごくかわいがってもらいました。部屋にも遊びに行ったりして」。1階にあったレストランは、晶さんたちの「ばあや」が、料理上手の腕を買われて任されていた。人気メニューはシュウマイ定食。ハーシーやキットカットなど、まだ日本では知られていない菓子も売っていた。

そもそも川口家は、松太郎が「大借金で買った」(『人情話 松太郎』高峰秀子著より)広大な敷地に建てた、建坪だけで100坪もある一戸建てに住んでいた。

アパートメントに建て替えるにあたり、一切を仕切ったのは浩であり、松太郎は特に口出しはしなかった。「でも父にも普請道楽みたいなところはあったと思いますよ。3軒建てないと本当に自分の住みたい家はできないとよく言ってましたし、女ができるたんびに家を建ててあげてました。4軒あった時があるっていうから。父はマメだったもん。

モテる秘訣は、マメ、金(笑)」

その甲斐性に驚くが、「遊んでもいたけど、父は働いてました。ひたすら働いてたから、お金はありましたよ」。だから父と兄では遊び方が違うのだと晶さん。「父は自分のお金で遊んだけど、子供は全部、親のお金だもん。兄なんてね、ドリルで父の金庫を壊してお金を持ってったことがあった(笑)。めちゃくちゃでしょ」

松太郎自身「子供については、俺は教育を誤ったような気がするねぇ」(同前)と語っている。

しかし親子に共通しているのは、金儲けのためだけの仕事や遊びではなかったという点だ。松太郎も決して株やギャンブルには手を出さなかったという。浩の「川口アパートメント」も、投機目的ではなく、あくまで自分が住みたい、かっこいいと思う理想の集合住宅を造ったのであり、そのちょっとクレイジーな心意気とサービス精神が、今日までこの場所に、人を惹き付けてきたに違いないのだ。

存続の方向へ
舵を切ることに

2001年から住んでいる青柳光則さんも「ほかにはない魅力」に惹かれた一人だ。アパートメントの存在を知ったのは、遡ること36年前。男性ファッション誌に勤務していた1981年に「加藤和彦さんの指示で、私服を受け取りにここの受付に来たことがあったんです。こんなマンションがあるんだ、って驚いた。

それから20年経って引っ越しを考えていた時、当時住んでいたマンションに、ここの分譲のチラシが入ってきたんです。ああ、あの時の!と思いました」。見学したのは、まさに加藤和彦・安井かずみ夫婦が入居していた部屋だったという。結局、選んだのは別の部屋だが、まさか自分がここに住むことになろうとは。「元の持ち主の独特のセンスが気に入って」居抜きで入居した。

3年前に越してきた一級建築士の篠原惇理さんは、住居と一緒に、同じオーナーが売り出していたかつてのレストランのスペースも買って、そちらは最近、息子の明理さんが設計事務所を開いた。「いずれカフェみたいなこともやってみたい」と明理さんは考えている。
住み始めた頃に管理組合が検討していた建て替え問題は再検討され、これまでやってこなかった部分的なメンテナンスを見直して、存続の方向へ舵を切ることになったという。当然、老朽化も進み、「いろんな問題は含んでいるけれど、空間的価値はほかの何ものにも代えられない」と篠原さん。時間をかけて育まれた剛胆な「家の美」は、住まいの豊かさとは何かを問いかけながら、新たな入居者の心も、しっかり掴んでいる。


長い文となりました。
最後まで、お読み下さり、ありがとうございました。よかったらスキ、フォローよろしくお願いします😉

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