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【連載評伝】「劇秦美新」王莽~諡号なき皇帝🐉第一話:王莽、皇帝への道

王莽の野望:新王朝の夜明け

若き日の王莽。不遇な時代を送っていた。

 前漢の終わりに、野心に満ちた王莽は、天下の秩序を揺るがす大胆な一手を打った。彼は新王朝を宣言し、自らを皇帝に即位させた。この行動は、前漢の官吏であり学者でもあった揚雄をして、「劇秦美新」という作品で秦の国策を批判し、新王朝を讃えるに至らしめた。

 揚雄は言った、「新においては、失われた殷、周の偉業を受け継ぎ、絶えてしまった堯、舜の遺風を継承する。立派な制度、良き計らい、重要な法律があり、優れた占いが行われ、昔の典籍がすべて世に現われて、光り輝き、もれなく行き渡っている」と。

 しかし、王莽の野望は、彼の理想と現実の間の大きな隔たりを露呈した。彼は古の偉業を復興しようとしたが、その方法は時代遅れで、民衆の支持を得られなかった。彼の政策は、しばしば理想主義的で非現実的であった。彼の占い師たちは、星々の配置を読み解き、吉兆を探したが、天は彼の新王朝に長い命を与えなかった。

 王莽の物語は、野心がいかに高く飛ぼうとも、地に足がついていなければ、いずれ墜落することを教えてくれる。彼の新王朝は、短命で終わり、歴史のページには一時の夢として記された。しかし、彼の試みは、後世の人々に多くの教訓を残し、野心と現実のバランスの重要性を説いている。

 この物語は、王莽の野望と彼の新王朝の栄光と挫折を描き出し、読者を古代中国の政治的陰謀と権力闘争の世界へと引き込む。王莽の野望は、歴史の教科書から飛び出したかのような、息をのむような物語を紡ぎ出す。そして、読者は、王莽の新王朝の興亡を通じて、権力の本質と、それを追求する人々の運命を見つめ直すことになるだろう。

揚雄と王莽:古代中国の文学と政治の交錯

 揚雄、この名は古代中国の文壇において一際輝く星のような存在である。前漢末期の文人であり、思想家としても知られる彼は、その生涯を通じて多くの文学作品を残し、後世に大きな影響を与えた。

 しかし、彼の人生には一つの大きな汚点がある。それは、簒奪者として知られる王莽を称えた「劇秦美新」という作品を上奏したことだ。

 王莽は、前漢の末に自らを皇帝とし、新王朝を樹立した人物。しかし、彼の政治は混乱を招き、わずか15年で滅亡するという短命なものであった。揚雄がなぜ、このような人物を称える作品を書いたのか、その背景にはどのような事情があったのだろうか。

 揚雄は、若い頃から学問に傾倒し、特に司馬相如や屈原の賦を愛好していた。彼の文才は、成帝の時代に認められ、宮廷での地位を得る。しかし、その後の王莽の時代には、彼の才能が試されることになる。

 王莽が新王朝を建国した際、揚雄は「劇秦美新」を上奏し、王莽の政策を賞賛する内容を綴った。これは、王莽が儒教の経書に基づく政治を行うという理念に共感したためか、あるいは時の権力者に迎合するための政治的な策略だったのかもしれない。

 揚雄のこの行動は、後世の評価を二分することになる。一方で、彼の文学的な才能は高く評価され、漢代の賦の代表的作家として名を馳せる。一方で、王莽に仕え、彼を称えたことで、彼の人格や思想に対する批判も生まれた。宋代の儒学者たちは、揚雄の作品を模作として批判し、彼の性善悪混説や3朝に仕えたことを問題視した。

 また、彼の人物像は、彼の文学作品と同様に、時代や視点によって異なる評価を受ける。彼は、文学と政治が複雑に絡み合う古代中国の世界で、その才能を発揮し、また時にはその才能が試された人物である。彼の生涯は、今日においても多くの議論を呼び、古代中国の文化と歴史を考える上で欠かせない一ページとなっている。

 揚雄の作品は、彼の時代の社会や文化を反映しており、彼の文才と政治的な判断が交錯する点で、非常に興味深い。彼が王莽を称えた「劇秦美新」は、その最たる例であり、文学と政治がどのように関わり合っていたのかを示す貴重な資料と言えるだろう。揚雄の人物像を通じて、我々は古代中国の複雑な歴史を垣間見ることができるのである。

「劇秦美新」:王莽、皇帝への道

 それは、秦末期の混乱の世を平定した高祖劉邦から数えて10代目の元帝の時代のことである。前漢の末期、天下は混沌としていた。皇帝の座は、まるで熱いじゃがいものように、誰もが手を出し、誰もが手を引く。そんな中、一人の男がいた。彼の名は新都侯の王莽。彼は、ただの貴族ではなかった。彼は野望を抱いていた。皇帝の座を狙う野望だ。

 「劉氏よ今に見ておれ、この混乱はチャンスだ。天下は新しい風を求めている。それが、この王莽の風だ。」

 王莽は、王成君(王莽の叔母で元帝の皇后・成帝の母)の前で堂々と宣言した。劉氏は、王莽の野望を知っていた。しかし、彼女は心配していた。王莽の野望が、彼をどこへ導くのか。

 「莽よ、あなたは本当にそれができるの?皇帝になるなんて、許されることではないわ。」

 「心配はご無用。私には計画がある。そして、それが成功すれば、天下は私のものだ。」

 王莽は、自信に満ち溢れていた。彼は、自分が天命を受けたと信じて疑わなかった。そして、彼の野望は、揚雄によってさらに後押しされる。

 「王莽殿、私はあなたの計画を支持する。私は、あなたが新しい秦の始皇帝となることを願っている。」

 揚雄は、王莽の前で「劇秦美新」を上奏した。これは、王莽が新しい皇帝となるための布石だった。王莽は、彼の支持を得て、さらに自信を深めた。

 「よし、それでは、計画を進めよう。天下を取るのだ。」

 王莽は、野望に燃え、皇帝への道を歩み始めた。彼の前には、数々の困難が待ち受けていたが、彼はそれを乗り越える覚悟だった。

「金科玉条」:王莽の理想とは

 「金科玉条」とは、最も重要な法律や規則を指す言葉であり、しばしば価値ある原則や信条を象徴するために用いられる。この言葉を用いて、中国史上の二人の暴君、始皇帝と項羽の治世を考察することは、歴史の教訓を今に伝える貴重な機会となるであろう。

 始皇帝は中国統一を成し遂げた秦の初代皇帝であり、彼の治世は中央集権化と法律による厳格な統治が特徴だった。彼は法を金科玉条として扱い、反逆者や異論を持つ者に対しては容赦なく処罰を下した。

 その結果、多くの学者や書物が焚書され、知識人が迫害されるという暗黒の時代を生み出した。しかし、同時に彼の政策は中国の統一という偉業を成し遂げ、後の王朝に影響を与え続けたのであった。

 一方、項羽は秦末の混乱を収束させるべく立ち上がった英雄でありながら、その後の行動は暴君としての評価を受けている。一方の劉邦は西楚の覇王項羽によって任命された漢の初期の君主として、短期間ながらも権力を握ることに成功した。

 しかし、彼の支配は専制的であり、自らの権力を固守するために悪妻の代表格とされる呂后と共に、韓信、彭越、黥布らに罪を着せて粛清するなど、多くの残虐行為を行っていく。これにより、彼の治世は漢の限界として記憶され、後の漢王朝の基盤を弱める結果となった。

 これら二人の暴君の治世を振り返るとき、金科玉条という言葉は、法と秩序がいかに人々の生活に影響を与えるか、そして権力がいかに恣意的に用いられるかを示す鏡のようだ。

 始皇帝の時代の法律は、秩序と安定をもたらす一方で、創造性と自由を抑圧し、項羽と劉邦の時代の法律は、短期間の平和をもたらす一方で、長期的な混乱と不安を引き起こしたからだ。

 歴史は私たちに、金科玉条が単なる文字に過ぎないこと、それが人々の手によって生きたものとなり、時には人々を守り、時には人々を苦しめることを教えている。

 始皇帝と項羽の例は、権力者が法をどのように扱うべきか、また、人々がその法にどのように応じるべきかについて、深い洞察を与えてくれることとなった。そして、それは現代においても変わらぬ価値を持つ教訓である。権力と法の関係は、常に慎重に考慮され、バランスを取る必要があるのだ。


 これは、王莽の物語の始まりだ。彼の野望、彼の挑戦、そして彼の最期。すべてが、この連載評伝「劇秦美新」に綴られていく。

 次回、王莽はどのような困難に直面し、どのようにしてそれを乗り越えるのか。お楽しみに。

参考文献として

 秦から新の時代に至るまでの歴史を理解するためには、多岐にわたる資料が必要です。以下は、その時代を学ぶ上で参考になる文献の一部です。

  1. 『秦漢時代における法の儒教化』 - 法治主義がどのように発展し、儒教とどのように結びついたかを探る研究です。

  2. 『秦史研究説』 - 秦の歴史に関する研究の序論で、春秋期から戦国時代にかけての秦の社会秩序の変遷を分析しています。

  3. 『秦漢の歴史』 - 秦王朝の成立から滅亡まで、そして漢王朝の始まりに至るまでの歴史的背景を概説しています。

 秦から後漢時代にかけての中国と日本の歴史を題材にした小説やマンガは、歴史愛好家や文学ファンにとって魅力的なジャンルです。この時代は、中国では秦の始皇帝による中国統一から始まり、後漢の時代までという、変革の時期を経ています。一方、日本では弥生時代が始まり、稲作の導入や社会構造の変化が見られます。

 中国の歴史を題材にした小説では、司馬遼太郎の「項羽と劉邦」が有名です。この作品は、秦の始皇帝の死後の混乱期を舞台に、項羽と劉邦という二人の英雄の対立を描いています。他の日本の歴史小説には、塚本靑史の「王莽」と宮城谷昌光の「草原の風」のような作品があります。これらの作品は、中国史における重要な時期を描いており、読者に深い印象を与えるものです。

 塚本靑史の「王莽」は、紀元前の中国、漢の時代末期から新の時代にかけての政治的混乱を背景に、王莽という人物の生涯を描いた作品です。王莽は、漢の皇帝の摂政として権力を握り、後に自ら皇帝となり「新」という短命の王朝を建国しました。しかし、その理想と野心は、最終的には彼の破滅を招くことになります。塚本青史は、王莽の人物像を新たな視点で捉え直し、彼の理想と挫折を深く掘り下げています。

 一方、宮城谷昌光の「草原の風」は、三国志の時代よりも約200年前、後漢王朝を建国した光武帝・劉秀の若き日々を描いています。劉秀は、劉邦の子孫でありながら、王莽の横暴な政治によって国が混乱する中、自らの運命を切り開いていきます。宮城谷昌光は、劉秀の人間性や、彼を取り巻く時代背景を丁寧に描き出し、読者に後漢王朝の創始者の生きざまを感じさせます。

 これらの作品は、歴史小説としての魅力だけでなく、人物の内面や時代の流れを理解する上での貴重な資料とも言えるでしょう。歴史に興味がある方には特におすすめの作品です。

 日本のマンガでは、石ノ森章太郎の『マンガ日本の歴史』シリーズが、秦・漢帝国と稲作を始める倭人を描いており、日本史の初学者にも理解しやすい内容となっています。脚色が目立ちますが、本宮ひろ志の『赤龍王』は、途中からのパワーダウンは否めませんが、劉邦の人柄や魅力と、おおらかさが満面に描かれています。

 また、近年ベストセラーとなった『キングダム』は春秋戦国時代を舞台にしたストーリーで、若き天才・信と秦の国の王・政が中華統一を目指す壮大な物語を展開しています。この作品は、起業家精神やリーダーシップの教科書としても読むことができるでしょう。

 これらの作品は、歴史的な出来事や人物をフィクションの形で再現することで、読者に知識と同時にエンターテイメントを提供しています。小説やマンガを通じて、秦から後漢にかけての中国と日本の歴史を学ぶことは、単なる事実の学習以上の価値があると言えるでしょう。

 歴史の流れを理解すると同時に、当時の人々の生活や文化、思想に触れることができるからです。興味を持った時代やテーマから読み始めてみるのがおすすめです。

 これらの文献は、古代中国の歴史、文化、法制度、政治構造に関する深い理解を提供します。さらに詳細な研究や特定のトピックに関する情報を求める場合は、専門の歴史書や学術論文を参照することをお勧めします。

 また、出土文献や考古学的発見も重要な情報源となり得ますので、最新の研究成果にも注目してください。

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