みなかみで春が到来する瞬間を見た
その年の冬、わたしはウィンタースポーツにチャレンジしようと思っていた。スキーなどありきたりなものではなく、もっとユニークな遊びをやりたかったのだ。
しかしダラダラと過ごしている内に、いつの間にか3月を迎えているではないか。
まだウィンタースポーツを体験できる場所ないだろうか、調べてみると群馬県みなかみなら間に合うようだ。
わたしは「スノーシュー&エアーボードツアー」というツアーを予約すると、そのまま電車と宿の手配をした。
次の土曜日。わたしは新幹線でみなかみへ向かった。外はポカポカと温かく、春の陽気を感じさせる。
駅に着くとバスで「宝川温泉」へ向かう。今日は温泉でのんびり過ごす予定だった。
道中では想像を絶する光景を目にした。雪ははるか頭上の高さまで積もり、湖は白く凍っていたのだ。景色はどこを見ても白、白、白。あまりの豪雪ぶりに思わず暦を確認してしまう。
宝川温泉では広さ120畳の露天風呂を満喫した。雪景色を見ながらの入浴は実に風流だった。
ゆったり温泉につかったあとは、バスで宿泊先の民宿へ。
この日予約したのは「野菜ジュースのファスティングプラン」という一番安いプランだった。
「ファスティングってどういう意味だっけ? まぁいいか」
わたしはお腹が減っていた。さっさとチェックインを済ませて、宿の食堂で何か食べよう。
しかしチェックインが終わると、大将が妙なことを言い出した。彼はオレンジ色のジュースを差し出すと、
「ファスティングプランのご予約ありがとうございます。お客様は今晩から明日まで、当館がお出しするジュースのみで過ごしていただきます」
と言い出したのだ。
しまった。「ファスティング=断食」か! よりによって、空腹の状態で断食することになってしまった。
わたしはジュースの載ったお盆を持って、とぼとぼと部屋に向かった。
どうしよう。内緒で食堂を利用してはいけないだろうか。そんなことをしたら大将にどやされて、旅館を追い出されるかもしれない。
観念したわたしはジュースを飲んだ。りんごとにんじんの甘味をベースに、しょうがのピリッとした辛味が伝わってくる。
ジュースは飲みごたえたっぷりで、飲み終えると空腹がピタリと収まった。
翌日。旅館を出ると送迎バスでガイドショップへ向かう。
午前中はスノーシューツアーに参加する。この日は10人ほどのツアー客がおり、子供連れがメイン層だった。
スノーシューは「西洋かんじき」とも呼ばれる、雪の上を歩く道具だ。細長い板のような見た目をしており、履いてみるとけっこう軽い。
わたしたちはガイドさんの案内で雪化粧した森を歩いた。みなかみの雪はサラサラのパウダースノーで、歩くときゅっきゅと楽しそうな音が鳴る。
周囲をよく見ると木々の周辺だけ雪が溶けており、ボコボコと穴が空いたように見える。これは「根開き」といって春の風物詩なのだそうだ。
森を抜けると広大な雪原に出た。辺り一面真っ白で、サングラスがないと目を開けていられないほどまぶしい。
雪原を歩いているとガイドさんが
「この場所は冬にしか来ることができないんですよ。実はここ、足元に川が流れているんです」
と教えてくれた。
自分が今、川の上を歩いていると思うと不思議な気持ちだった。
やがて折り返し地点の「一の倉沢」という山が見えてきたので、来た道を戻る。こうして3時間のスノーシューツアーは終了。
ここで他のツアー客は帰り、わたしはお店に一人残された。この後行われるエアーボードを体験する人間は自分だけのようだ。
お昼休憩を挟むと、ガイドさんの運転する車でスキー場へ行く。
スキー場に到着したわたしたちは、エアーボードを持ってゲレンデに向かった。
エアーボードはスイスで生まれたウィンタースポーツである。「U」の形をしたゴムボードに腹ばいで乗り、頭から滑走する遊びだ。要は「すべり台を頭から滑る遊び」をゲレンデで行うのである。
わたしは初心者向けのコースでボードの操作方法を教わった。やり方は簡単で、
・ボードを左右に傾けて移動
・ボードを前に倒してアクセル・後ろに引いてブレーキ
の2つを覚えればOKだ。
さっそくエアーボードに乗ると、ゆっくりと体を前に傾ける。するとボードが滑り始めた。
しゅーっと雪を切る音と共に、ボードは猛スピードで加速していく。地面との距離が近いため、かなりスピード感があった。頭から滑走する体勢はあまりにも無防備で、恐怖のあまり思わず声が出てしまう。
体を大きく後ろに引くとブレーキをかける。ああ、やっと止まってくれた。
ボードの操作に慣れると通常レベルのコースを滑る。
こちらもかなりのスピードが出た。ゲレンデの景色が目まぐるしく流れて行き、もはや「滑走」というより「落下」しているような気分だった。
時にはスピードが出すぎて制御不能になることもあった。ブレーキをかけても減速しないのでボードを横に倒してみる。するとボードが転倒し、体がゲレンデに放り出されてゴロゴロ転がった。
肝が冷える思いだったが、わたしはこういう危険な遊びが大好きだ。怖い怖いと言いつつ何度も滑った。
最後はガイドさんと一緒にロングライドにチャレンジ。
たくさんのスキーヤーを追い越しながら滑る体験は、人生でも指折りのスリルを感じた。長時間滑っていると気分がハイになってきて、最後の方は叫びながら滑走していた。
こうして「スノーシュー&エアーボード」ツアーが終了。
ガイドさんに挨拶をし、帰りの送迎バスに乗る時のことだった。
お店の前の道路には大雪が積もっており、壁のようにそり立っていた。
よく見ると、道路の端をちょろちょろと水が流れている。誰かがホースで放水でもしているのだろうか。
いや違う。これは……雪解け水だ。
春の陽気に包まれて、ついに大がかりな雪解けが始まったのだ。
雪解け水はいつまでも流れ続けた。まるで「春が来たよ」とふれまわるかのように。
こんなにも春の到来を感じさせる景色があるだろうかと、わたしは嬉しくなった。
そばにいたガイドさんが
「この調子だと、スノーシューツアーは来週で終わりだな」
とつぶやいた。
エッセイ「大人の遊びのずかん」
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