かいけつゾロリは仲間じゃない
「かいけつゾロリは仲間じゃないぞ〜!」
小学生の頃、図書館で知らないおじさんが言った。
よく電車の中にいるような変わった人と同じ類の人間。
私の地元でいうと、
自転車に乗って所構わず挨拶をかましてくる女、通称「すみません」とか、通学路の途中にある小さい丘の上でずっと正拳突きをしている老人、通称「少林寺」とかと同じ類。
彼らは頭のネジが外れてしまっているのだと思う。先天的、後天的はしったことじゃないが、そういう個性を持った人間なのだろう。
ああいう人間を街中で見かけると行動に驚いてしまい、その行動のインパクトが頭に残るが、図書館のおじさんの場合は「かいけつゾロリは仲間じゃない」という言葉が凄く頭に残っている。
10年以上経った今でもかいけつゾロリという単語を見るたびに思い出すし、最早何もしてなくても頭の中に流れてくることがある。
それほど衝撃的だった。
トラウマに近いのかもしれない。
「かいけつゾロリは仲間じゃない」
小学生の頃は理解できなかったこの言葉が、なんとなく理解できる様になっていることに最近気づいた。
昔は好きだったかいけつゾロリ。
あの頃は確かにどこか仲間だと思っている節があった。
笑いとか勇気とか貰ったし、楽しかった。
だけど私がゾロリに何かを施した事は一度も無かった。
一方的な感情だった。
どうあがいてもこちらからの声が届かないというのは虚しいもので、好きだったゾロリを懐疑的な目で見てしまう様になる。
すると歳を重ねて仲間が減っていく自分に対し、仲間と共に何時までも楽しそうにしているゾロリの姿に悔しさに近い感情を抱く。
裏切られた気分になる。
確かに「かいけつゾロリは仲間じゃない」
あのおじさんもきっとゾロリに裏切られた様な気分になって、それを伝えたかったんだろうな。
子ども達に自分と同じ思いをしてほしくなかったんだろうな。
優しい人じゃん。
そうだ、公園に行こう。
図書館にも、久しぶりに母校にも行ってみよう。
今度は私の番だ!
「かいけつゾロリは仲間じゃないぞ〜!」