「あぶない音楽」入門
ネット記事でこんなものを読みました。
「ブライアン・イーノ、現代のアートやカルチャーはその意味が取り違えられていると語る」
(引用)そもそも芸術や文化というのは、個人が「かなり極端でどちらかというと危険な感情を体験するための安全な場所」を提供するものであり、芸術や文化がこれまで受け入れられてきたのはそうした精神状態をすぐにオフにできるからで、さまざまなアートはこういう形で人々にとっての刺激になってきたのだとブライアンは説明する。
僕はブライアンイーノさんが言う、「かなり極端でどちらかというと危険な感情を体験するための」ものが芸術だとすると、そう言う音楽って何だろうって考えてます。
そう言う音楽は確かに好きです。解釈はさまざまですがいわゆる、「危ない音楽」とも言えるかもしれません。僕にとっては例えばテクノ。高校生の頃、聞き方がわかんなくて、友達にどうやって聴くの?って尋ねたことあります。そしたらこう言う返事がありました。「四つ打ちに合わせて体を動かしながら、ひとつひとつ増えてく音を追っかけてていくと、いつのまにか、ひゃーーーー!ってなるよ。」文字に起こすとマジヤバ笑。そんな僕がかなり好きなテクノの曲をひとつ紹介。
次は、ベルリオーズの幻想交響曲。ウィキ読むとマジやばいです。
「恋に深く絶望しアヘンを吸った、豊かな想像力を備えたある芸術家」の物語を音楽で表現したもので、ベルリオーズの代表作であるのみならず、初期ロマン派音楽を代表する楽曲である。現在でもオーケストラの演奏会で頻繁に取り上げられる。
聴いてみましょうか。50分00秒あたりから最後まで聴いていただけると、ベルリオーズがいかに危ない方であるか、お分かりいただけるかと思います。
ラストにかけてのハードロック的展開、あぶないっすね。余談ですがこの曲ベルリオーズがギターで作曲したとか。途中のガー!っとみんなで合わせて演奏してるとこは開放弦?とかそんな説もあるようです。
さて、ブライアンイーノの言う、極端で危険な感情を体感すると言う意味では演歌とか、昭和歌謡とかもある意味そうかもしれないですね。演歌、昭和歌謡に関してはみなさまの心の音源を鳴らしていただくとして。
僕はそんな思索を巡らす中で、ひとつ身近で危ない感情を体感できる歌を見つけたんです。それは、、、鼻歌、ハミングです。
普通に生きてると鼻歌・ハミングが危ない音楽だと思うことはことはないと思います。なぜなら基本的には鼻歌・ハミングは自分が発して自分が聞くものですから。
でも、やばいのは、思いがけず、ひとの鼻歌・ハミングを聴いてしまったときです。
鼻歌・ハミングは、当たり前ですけど、観客を意識して演奏されるものではありません。しかし、それが聞こえてしまった時、ぼくは思いがけず、その人の心の世界に踏み込んでしまったような、イケナイ感じを抱いてしまいます。そう、鼻歌・ハミングは人に聞かせるものじゃないからこそ、とっても無防備で、とっても美しいことがあるのです。
こういう理由から、ハミングはある意味セクシーさやあぶなさを演出するツールとしてジャズやポップミュージックでも使われることがあります。
それではここで、ハミングの女王カヒミカリィさんの、歌を聞いてみましょう。
やや危ないですね。ただ、この歌はハミングではありますが、カヒミカリィさんはハミングで歌うことを狙ってますので天然物のハミングとは言えないのです。
さて、ここからが本題なのですが(遅っ!)僕がこだわる(?)天然物のハミングを聞いてしまう実例を紹介します。
1番多く耳にするのはレコーディングの時かもしれません。歌い手はブースの中で実際に歌を録音する前に、譜面を見てメロディを確認することがあります。ふんふんふん♪。これは歌い手が自分自身のために歌っているので、なんとも肩の力が抜けていて最高なのです。
「今の感じ録音したいのでお願いします!」
しかし、お願いしたが最後、決してそんな感じでは録音できません。不思議ですね。
どうすれば天然物の鼻歌・ハミングが録音できるのでしょうか。想像するに相当な工夫とドキュメンタリー的覚悟が必要です。
僕は天然物のもののハミングを集めたアルバムとか映像集があったらきっと見てしまうと思います。
みんなの心の中をなぜか感じとれてしまう不思議な短編映画のようになるのではないでしょうか。
みんなのハミング展という展示なんかも最高な気がします。
というか、僕がやるべきなのだと思います。
コツコツと取り組みたいと思います。
ちょっと今回飛ばしすぎたかな。。。
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